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2013福島のこども保養inあきる野をクラウドファンディングで実現!
生活クラブ生協の保有する協同村のサークルネットワークでは東京都は思えない「あきる野市」の自然豊かな協同村をフィールドに、福島県にお住まいの親子を対象とした企画として保養活動を8月19日~21日に行います。
このプロジェクトでは、ゆったり過ごして頂く時間を重要な事として、この場所でのんびりして頂く為に、福島から、協同村までの交通費や現地でのサポートの為の資金のご協力をお願い致します。
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福島の子ども保養inあきる野の実行委員会のmikiです。福島の子ども達の保養のプログラムを昨年に引き続き、8月18日〜21日に開催する事になりました。あきる野市にあり、秋川のほとりでの保養は、心も身体も開放され、リフレッシュされる時です。親子の交通費の補助に、みなさまの援助をおまちしています。たくさんの資金が集まれば、交通費全額補助にしたいと思います。よろしくお願い致します。
生活クラブ生協の保有する協同村のサークルネットワークでは東京都は思えない「あきる野市」の自然豊かな協同村をフィールドに、福島県にお住まいの親子を対象とした企画として保養活動を8月19日~21日に行います。
このプロジェクトでは、ゆったり過ごして頂く時間を重要な事として、この場所でのんびりして頂く為に、福島から、協同村までの交通費や現地でのサポートの為の資金のご協力をお願い致します。
2011年3,12福島第一原発の爆発事故以来、放射性物質が放出され、強制避難、自主避難を含め、未だに16万人という人々が避難し続け将来の生活設計も見えないままです。
特に福島の子ども達の置かれている状況は、少しずつ現れてきた健康被害において深刻なものがあります。「チェルノブイリの架け橋」の保養活動から分かってきたように放射線量の低い場所でまとまった日数を過ごすことで、放射性物質の体外への排出を促す、体調を改善するなど、新陳代謝の激しい子供たちの健康状況を回復する有効な活動として全国に広がっています。
しかし、量的にまだまだ足りない状況です。また、日頃から、外の自然に触れる事を抑制されて生活している子ども達にとって、自然の中でゆったりと過ごす事ができる貴重な時間は、何にも代え難い至福の時となっています。
生活クラブ生協の保有する協同村のサークルネットワークでは東京都は思えない「あきる野市」の自然豊かな協同村をフィールドに、福島県にお住まいの親子を対象とした企画として保養活動を8月19日~21日に行います。
このプロジェクトでは、ゆったり過ごして頂く時間を重要な事として、この場所でのんびりして頂く為に、福島から、協同村までの交通費や現地でのサポートの為の資金のご協力をお願い致します。
昨年、生活クラブ生協東京では、有志の実行委員会とボランティアにより、福島の子ども達その親達の保養をあきる野市にある生活クラブ生協の保養所「協同村」にて行いました。
その時の子ども達の楽しそうに遊ぶ笑顔が忘れられません。
9月中頃のプログラムで、朝から小雨が降るちょっと寒い日で、川遊びはちょっと無理かなとスタッフは思っていましたが、イワナのつかみどりを川の一部に池を作り、ヨウイドンで行ったのを合図に、子ども達は、川の魅力に取り付かれたように、1日中、川の流れと、魚と、カニと、遊んでいました。
次の日の朝早くも、お父さんに川に行こうと出かけて行った子もいます。
木登りもしました。安全にロープを付けて、見た事もない景色を木の上から見た事でしょう。
福島の子ども達は、今どんな状況なのでしょう。
今年も、やっとの事で開催できる事になりました。少しでも、福島の子の為になる事であれば、これからも、ずっと何回も続けて行きたいと思っています。そして、ゆったり休んで、心も、身体の中の放射能もすっきりさせて、欲しいと願っています。
参考に昨年2012年9月の保養プログラムの報告文章を載せます。
福島の親子 保養PJ
「1999年7(ナナ)の月 空から、恐怖の大王が降りてくる.」子どもの頃、ノストラダムスの大予言に、友だちと熱中し、テレビにくぎ付けになった。そんな予言の1999年7月に、我が長男は生まれ「恐怖の大王の母となったのか?」と思う子育ての大変な時期はやってきた。そして何もかもが平和な時が過ぎ、2011年3月11日は本当の予言の始まりだったのか、翌12日には、福島第一原発が水素爆発。「恐怖の大王が降りた」と言うべき、多量の放射能は、あれから1年半たった今でも、福島県に居座り続けている。
福島に残り続けなくてはならない子どもたちが、将来に渡って危惧される放射線の健康被害を背負って生活している現状を知り、福島の子どもたちに心と体を少しでも休めてもらうPJを運営委員として企画した。
2012年9月15-17日の3日間、生活クラブ協同組合の協同村(東京都あきるの市戸倉)。秋川渓谷のほとりにある保養所は、川のきれいな水と山に囲まれ、畑で野菜を作り、果物やシイタケを栽培する組合員の場である。お寺の庫裏(くり)を移築した宿泊施設は、大きな古民家で、6つの部屋をふすまで区切り、障子と網戸と縁側と一昔前の日本の生活そのままの時間が流れている。
今回、生活クラブ生協の募集に応じたボランティアと東京学芸大学、桜美林大学、専修大学の学生10名が参加、プレイリーダーとして子どもたちの遊びに力を貸した。と言っても子どもたちは、この1年半の間、除染をしてある学校と保育園とその通学路のみしか行くところは近所に無い。庭の草を触ることも、石を拾う事も許されていない。そんなストレスをここで一気に吐き出すには、大人の手も、ためらいも何もなかった。
バスを降りた3家族11人(子ども6名)は、東京とは思えない自然の風景にその本能を呼び起こし、さっそく、たくさんの虫を捕まえ、野外での煎餅焼きや、竹でマイ箸マイコップ作りに没頭する。夜は16ミリ映画も暗くなった野外で「トイレの花子さん」を上映。暑い日中とは違う、涼しい夜風に首筋をスーッと撫でられて、ちょっと怖い映画にお母さんにすり寄る場面は、微笑ましい。その後の花火を楽しんで見上げた夜空には星がたくさん輝いていた。美しい。これが、福島にいると外で見ることも、外で遊ぶ事も全てできないなんて。子どものいつもの夏休みの一コマなのに。元気に遊ぶこの子たちを見て、我が息子と共に過ごしたなんと平和な日々と重ねて、子どもの我慢は辛いな。と、ぼそっと思う。
次の日は朝から川遊び、ニジマスをつかみ取りした後は、川へなだれ込む、一度入ったら、もう、川から上がってはこない子どもたち。ずっと何度も「河童の川流れ」を楽しみ。そして、足元の魚に気づくと、次は魚取り。箱メガネでのぞき、網で追い詰める。その時、「取った!」の大きな声。見ると小学校6年のおねえちゃん、河原にいた家族やボランティアが一斉に集まると、網の中には、なんと大きな20センチ以上の立派なアユが入っていた。逃がす?どうする?の声に元気に「食べるー!」と一声。すっかり野生児になっている。川の神様のプレゼントか、こんな幸せは今の福島には絶対ない。みんな、この楽しさあふれる時間が少しでも長く続いてくれるように、惜しみながら、思いっきり遊んでいた。
2日目の夜の交流会で、お父さんお母さんに、福島の事を聞いた。「もう何もなかったように近所の人はふるまっている。政府が安全と言うから。でも、数日前に測ってみると、うちの庭の土で1.6マイクロシーベルト〈年間被爆量24時間換算で積算14ミリ〉あるんですよ。やっぱり外では遊ばせられないし、近所からもらう露地栽培の野菜は食べることができない。でも、断れないからもらってこっそり捨てるしかない。食べるものは生活クラブが配送してくれる食品に頼っている。」と言う。生活クラブは独自に厳しい放射能数値を食品へ決めている。産地で区別するのではなく、数値を明らかにして、関東や、福島の物でも安全な数値なら食べて支えていこうと言う趣旨だ。福島の地元の露地物でも測れるシステムがあればと思うが、1家庭3ヶ月に3回の約束で、役所で食品内のベクレルを測ってもらえるそうだが、少ない頻度だと感じた。
東京にいては、福島がどうなっているのか分からないとの学生の声があった。「友人に福島の人がいるが、実家はもう大丈夫といい、そのことには触れないようにしているようだ。」と言う。実際、福島にいると、安全宣言の中で、放射能に敏感になっていたり、危険視する行動は排除され、自粛しているらしい。今回参加した先述のお母さんには高校2年の娘がいるのだが、高校から放射能についてはもう安全との話を何度も聞かされ信じている。今回のPJも参加しないと福島に残った。両親が注意しようものなら、「まだ、そんなことを言ってるの?過度の心配はナチュラルキラー細胞が無くなって、かえって癌になるよ。」と言われてしまうと困っていた。
それでも、娘3人抱えている親としては、今後「結婚差別」など、福島に住んでいる事のマイナスイメージが娘に及ぼす影響を考えない訳にはいかない。しかし、福島でたくさん行われる放射能の講演会は、どれをとっても最後には「安全です、安心してください。」の結論になってしまう。実際、年間被爆量14ミリシーベルトを超える場所に住んでいて、本当とは、どうしても思えない。と肩を落としながら、気を取り直し「それでも、何でも食べて、笑い飛ばした方が楽かしらと、」と苦笑いした中の強い表情が忘れられない。
その時に隣に座るお父さんに、移動教室の取り組みについて聞き調べてみた。原発事故の影響を受けた福島県の復興教育の一環として、児童の精神面に安心感と開放感を与えつつ、子どもの自立を促すために「移動教室」を、新潟県見附市(教育委員会)、福島県伊達市(教育委員会)、NPO法人地域交流センターの協力により新潟県見附市で実施している。放射線量の少ない市内の宿泊施設に泊まりながら、受入校の教室を借りて行い(福島県伊達市の10の小学校で1学期4回、2学期3回)授業を受けに学校に通う。授業の内容は同じ学年であれば変わりがない。クラスに少し人が増えるだけである。これは、文部科学省の「復興教育支援事業」の一つである。こんな取り組みが全国に広がってくるのを期待したい。私達は「恐怖の大王」と共に同じ世界を生きる事になってしまった。的確に恐れ、真摯な対応が基本的人権として必要に思う。ニュースでは、福島県の人口減を報道するが、残っている人が出られない事実に、他から手を差し伸べる事が必要に思う。
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