\豊橋筆の郷、豊橋市のご紹介/
vol. 6 2017-06-28 0
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Fukufede製作委員会の吉開です。
今回は、福筆が作られる豊橋の街についてご紹介をさせていただきます。
豊橋市は、明治39年8月1日に全国で62番目の市として誕生し、現在は、人口約38万人を誇る中核都市です。東は弓張山系を境に静岡県と接し、南は太平洋、西は三河湾に面しており、豊かな自然と温暖な気候に恵まれています。豊橋市の街中は、市民から「市電(しでん)」の愛称で愛される路面電車が走り、のどかな風景が広がります。
そんな豊橋には、豊橋筆にならぶ伝統文化があります。
それは手筒花火です。
豊橋が発祥の地と言われる手筒花火は、直径10cm、長さ約80cmの節を抜いた孟宗竹に縄を巻き締め、硝石や硫黄に木炭を混ぜた黒色火薬に鉄粉を加え、1.8kg~3kg位詰めて噴出する東三河地域独自の花火で、揚げ手が筒を脇の横に両手でしっかりと抱えるように持ち、巨大な火柱を噴出させ、最後に「ハネ」と呼ばれる炎が大音響とともに足元に吹き出す勇壮な花火です。
五穀豊穣、無病息災、家運隆盛、武運長久を祈る奉納行事として豊橋市内の数多くの祭礼で揚げられています。
驚くことに、この花火をあげるのは、プロの花火師ではなく豊橋に住む市民です。花火のシーズンになると、 市民が花火師になるのです。その数なんと4,000人。
また、この手筒花火は、揚げ手が自ら竹の切り出しから火薬の仕込み、詰め込みまですべて行うことが伝統になっており、世代を超えて450年以上、脈々と受け継がれて行きます。
手筒花火の原型は、情報の伝達手段である「狼煙(のろし)」と言われています。市内にある吉田神社の古文書に「吉田天王社の祭礼煙火に始まる」「永禄3年(1560年)、当時の吉田城城代により花火が始まった」とあり、祭礼で花火が揚げられたと記録されています。全国的にもかなり古い歴史を持ち、なかでも手筒花火は、吉田神社が発祥の地と言われています。 戦国時代に登場した花火は、江戸時代の元禄期以降庶民に広まったと言われ、この地域が盛んになったのは、徳川家康が三河衆に火薬の製造を任せたことが花火の発展につながったとも言われています。
そんな手筒花火は、梅雨があける7月下旬から本格的に放揚が始まります。
http://www.honokuni.or.jp/toyohashi/discover/00000...
豊橋にお越しの際は、是非、その目に手筒花火の炎を焼き付けてみてはいかがでしょうか?
次回は、いよいよ豊橋筆の歴史について記載させていただきます。