Vol.6 DESIGNEASTから学んだこと
vol. 6 2021-07-31 0
「デザインする状況をデザインする」ことをコンセプトに2009年に始動した「DESIGNEAST(デザインイースト)」。大阪を拠点に活動するデザイナー、建築家、編集者、研究者の5名の実行委員が中心となり、大阪から国際水準のデザインを世界に発信することを目指し、年に1回、国内外のゲストによるトークやワークショップ、映画上映、マルシェなどのデザインフェスティバルが行われてきました。そんなDESIGNEASTは、10年間で「次の世代にバトンタッチする」ことを宣言し活動を終了。DESIGNEAST後、都市やデザインの現場はどのように変化し、今、何が求められているのでしょうか?2021年秋のfor Cities Week開催に向けて準備を進めるなか、DESIGNEASTの意義について、実行委員の一人であった水野大二郎さんにインタビューしました。
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水野大二郎(みずの・だいじろう)
京都工芸繊維大学特任教授/慶應義塾大学大学院特別招聘教授。東京生まれ。高校卒業後渡英、RCAにて修士博士終了後帰国。慶應大、京大などを経て現職。デザインリサーチを中心とした研究・教育活動に従事しつつ、DESIGNEASTなど様々なプロジェクトにも携わる。
www.daijirom.com
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DESIGNEAST会場の名村造船所跡地・クリエティブセンター大阪CCO(www.daijirom.com)
Q: どのような経緯で10年という期間の設定をしたのでしょうか?毎年やるなかで感じた変化などあれば教えてください。
10年かけて次世代を見つけ、育て、培った資金とコミュニティをそのまま彼らに委譲して終わりにしようという話を最初からしていました。DESIGNEASTをすることで、多くの人に新しい状況を学んでもらい、その結果生まれた新しい活動領域を支援したいと考えました。
毎年やるなかで思ったのは、コンテンツを豊かにするために、信頼できる人に任せて仲間を増やすことの大切さです。
初回である2009年は内装工事が入る前の現・中之島デザインミュージアム de sign deでしたが、2回目以降は名村造船所跡地・クリエイティブセンター大阪CCOで、実行委員の5人だけではとても賄いきれないので、どんどん仲間に権限を委譲しました。
レクチャーも、最初は著名な方々に大きな会場で最大1000人を対象に喋ってもらう形式をとっていましたが、徐々にラウンジ型にして、小さなところでゆるく喋る形式も同時採用しました。インスピレーションを受けたのは、ロンドンのハイドパークにある「スピーカーズコーナー」です。喋りたいことがある人は箱の上に乗っかって、公衆に向かって演説ができる場所です。DESIGNEASTでも、1時間に1組だけの談話だと面白くないなと思ったので、同じ空間で同時に3箇所トークコーナーをつくり、真ん中にバーを設置してお酒を飲みながら聞けるカジュアルな「スピーカーズコーナー」を設けました。スロットが多くなった分、話をしたい人の公募もしました。展示スペースも最初は自分たちでコントロールしていましたが、次第に展示ディレクションができる人に託すようになりました。
DESIGNEAST03 スピーカーズコーナー(www.daijirom.com)
DESIGNEAST03ワークショップ会場での展示風景(www.daijirom.com)
もうひとつ重要なのは、余白をどれだけつけるか。最初は参加者に次の導線を決定させるような過密スケジュールを組んでいたのですが、トークイベントの間に時間を取るなど、徐々に余白をつくるようになっていきました。物販やバーなどで人だまりをつくり、その間に新しいコミュニケーションを生み出せるようにしたんです。
参加者同士のゆとりあるコミュニケーションが発生したことで、コラボレーションなどが生まれはじめました。結局、重要なのはこうした人と人の繋がりなのではないかと思っています。測定はし難いですが、何年か後に、どんなアクターネットワークができたのか。これがポイントになってくると思います。
Q: 1年目で印象的だったこと、手応えを感じたことや難しかったことなどを教えてください。私たちが今回企画しているfor Cities Weekは、2021年を皮切りに今後も継続していきたいと考えています。
そもそも最初から、赤字覚悟でやってましたね。仕事としてカウントせず、やりたいことをやる、ということを大切にしていました。でも結局、初年度の収支は少しだけ、数万円程度のプラスに転じまして、これは嬉しかったですね。メディアでも手応えがありました。
毎年ボランティアスタッフを40~50人集めていたのですが、ボランティアの学生とゲストが仲良くなる、という環境づくりが必要だと思ったので、決起集会は大切にしました。
Q: 今回のfor Cities Weekのテーマは、「作品としての都市」です。DESIGNEASTにも都市というテーマが入っていましたが、なぜデザインの祭典に、都市という枠組みを選んだのでしょうか?
大阪を中心に、関西圏における創造都市をつくりたいという想いがありました。
DESIGNEASTをはじめた当初から、東京一極集中問題がありました。東京を中心にしたイベントは沢山あって、大阪で活躍した人は東京に行かないと仕事にならない、という現状があった。大阪と海外の接点もなく、東京に行く、もしくは東京から人を呼んでくるばっかりって、都市のエコシステムとして良くないと思ったわけです。デザインや建築を中心とした都市の生態系を作る、という発信をする必要がありました。
Q: DESIGNEASTはどのような人に届けたかったのですか?
DESIGNEASTでは、自分たちが知りたいこと、尖ったことをどんどんやりました。なので、全然内容が理解できなかった人もいたんじゃないかな。でもそれでよかったんじゃないかと思っています。ちょっと背伸びしてでも、めちゃくちゃ新しいことを学びたいと思っているようなコアな人たちに伝えたいなと思っていました。すべて分かりやすくするのではなく、難解な話や実験的な話をありがままに伝えて、あれはなんだったんだろう、と後で振り返って議論になるようなものを扱いたかった。なので、全部言い切って答えを出す、というよりは、参加者間でそれぞれの解釈について話してもらうことが多かったと思っています。
DESIGNEAST04のスピーカーズコーナー終了後、大阪中津の商店街活性化で近年知られる建築家・spacespaceの岸上さんらによる座談会の風景(水野さん撮影)
Q: 「都市」という専門分野においても、プレイヤーの代替わりや次世代の誕生は起こっているのでしょうか?
建築を中心に 、都市を含めた包括的・システミックデザインを対象に活動している人たちは減っている印象です。情報環境と物理的な人工環境の接続、あるいはビックデータ系も含めて、建築よりも情報系の人たちのほうが新たな都市の設計に大きく関わっているという状況があると思っています。
日本において建築も情報も束ねて話せる人はいつも決まっていて、特に関西だとその人数はより限定的です。建築から情報へ、都市的なスケールを対象にした活動は変化を遂げましたが、情報系の人たちは元々建築系で話されていた文脈を十分共有できていない状態です。次世代には、情報系と建築を繋げることが求められていますが、これには知的体力が問われます。建築が培ってきた歴史や文化も含め、技術決定論的な視点だけではない都市の未来を検討できる人が求められているのかなと思います。
Q: 2014年から、大阪を飛び出し、全国各地をめぐりながら開催していたと伺いました。移動型にした意味やそこで感じた価値を教えてください。
会場ありきで活動すると、物理的距離が故に来れない人が絶対にいます。であれば、その人たちのところに行けば良いのではと思いました。また、ある程度やり方も形骸化したこともありましたので、新しいことをやりたいなと。土地に根ざした議論ができるというもの魅力に感じました。
DESIGNEAST05 小豆島・醤油蔵にて。海、山、街にフィールドワークに出かけ、貿易中継地における加工業の系譜を「鍋」をつくることで探った。(水野さん撮影)
DESIGNEAST06 山口・湯田温泉にて。「女将劇場」(湯田温泉 西の雅 常盤)は50年以上にわたり毎晩、100人以上の客を集客してきたことを知り驚愕。(水野さん撮影)
2021年現在イベントをするのであれば、世界複数箇所開催は絶対した方がいいですね。世界でもこういう取り組みは既に広がっていますが、日本だけ参加していないケースがよくあります。
僕がこのような取り組みで好きなのは、イベント参加者に同じツールを配って違う都市で違う実践をしてもらった結果を全員で共有、比較すること。プラネタリー・スケールで、課題をみんなで共有できることが魅力です。
Q: for Cities Weekでも、今後共通のツールをオープンソースとしてつくり、来年以降はそのツールを使って複数拠点開催を実現させたい、という想いがあります。
複数箇所に展開するとき、ツールとして使うのは物質的なモノだけじゃなくても良いはずです。ナラティブを渡すとか、インストラクションアートに近いことをみんなにお願いするのも面白いと思います。
最初はお金は気にせず、やりたいことをドカンとやることが重要なんじゃないかな。ある程度やり切ったら次に向けて協賛をとるなど、方向性を探っていけば良いと思います。
Q: ありがとうございました!