マダガスカルでの「話」:亀井岳
vol. 17 2017-09-14 0
左からラーヨ(録音、助監督)、小野里(撮影監督)、ナビ(撮影助手)、高橋(音楽監督)、トキ(録音助手)
4月のロケハン時に主要なマダガスカル人スタッフと打ち合わせを済ませていたので、撮影自体の技術的な問題はなかった。それ以外の解決するべき点としては、ほとんどの現場に電源がないということぐらいで、撮影録音機材の予備バッテリーや、充電に必要な発電機なども持ち込まれた。
実際に撮影が始まると、日本人とマダガスカル人の国民性の違いで顕著なものが一つ明らかになっていく。それは、マダガスカル人が“大の話好き”であるということだ。マダガスカルではカバーリという演説をする文化がある。結婚式や葬式などの儀礼の際にはプロの演説家を雇うことも多く、話をすることに関しては特別なことのようだ。しかし、話をするということと、論が展開するとか、意見が集約されるということとはまた別な事といえる。
4月にマダガスカル映画局の主催で映画関係者を対象としたワークショップを行った。具体的には映画を製作するに当たって、どのようにアイデアを出してくかという実践的なものである。20名ぐらいの参加者を4・5名のグループに分けて行われたのが、これがまた、まったく展開しない。それぞれが自分の好きなことを言うのだが、前の発言を受けてとか、全体の方向性をまとめるとかいう感じはまったくなく、それぞれがただ自分が思っていることを言うのだ。もちろん、時間が経過しても、煮詰まった成果は出ず、むしろ案が後退するグループさえある。この原因は、マダガスカルの人たちは話好きなのだが、話を聞くということに関しては、あまり聞いていない事が多いのだ。
さて、われわれの撮影チームでは、多様な価値観を受け入れることができる柔軟な若いスタッフがあつまった。そういうことで言えば、お互いの意見を交わしあい、アイデアを展開することもできていた。英語、マダガスカル語、フランス語、そして日本語が飛び交う現場は白熱し、いつも熱気がこもっていた。今思い返しても、本当に刺激的な現場だったと言える。