撮影日誌③ 9月27日(日)
vol. 15 2015-11-11 0
朝から対話のシーンを撮った。もっと正確に言うなら、対話をしている役者の顔を撮った。登場人物のひとりは伊豆大島で福祉の事業を行おうとしており、協力を申し入れに町役場を訪れる。その人物と町役場の担当者の対話だ。「大島で映画を撮りたいんです」と協力をお願いしに、ぼくも実際に町役場を訪れた。その経験がモチーフとなり、このシーンを書いた。町役場の方はロケハンに連れて行ってくださったり、本当に良くしてくれた。
役者とリハーサルを行い、照明の準備を整え、カメラを据えて、役者の顔を撮りはじめた。よーい、ハイ。そのとき、ふと思い出したことがあった。この町役場で見た、いくつもの良い顔が頭に浮かんだ。
2013年10月、伊豆大島は巨大な勢力の台風26号の直撃を受けた。記録的な大雨で三原山の中腹が崩れ、島の中心部である元町地区は土石流に飲み込まれた。多くの人と建物が流された。悲しい出来事から2年。被災した地に記念公園をつくろう、というプロジェクトが島で動き出した。いったいどんな公園を島民は望んでいるのかという、ワークショップ(意見交換会)が開かれた。ロケハンで島に滞在していたぼくもワークショップに参加させてもらった。制作日誌にそのときのことを詳しく書いていたので、少し長いが以下に引用する。
夜になり、「大島メモリアル公園検討分科会」に参加する。たまたま、開催することを町内放送で耳にして知った。
このメモリアル公園は、先の土砂災害跡地に建設予定であり、どのような公園にするべきか、直接、島民に意見を聞く、開かれた会だった。町役場の人と、設計を担当する建築士から、現在の町が持っている公園のコンセプトや他県の記念公園がどのような機能を持っているか具体的に説明される。45名程度の参加者は熱心に聞き入る。
その後、7〜8名のグループに分かれ、建築士の方に司会進行を委ね、ワークショップ形式で「理想の公園」像を各グループでまとめる。とても楽しい作業だった。
その後の全体でのフィードバックに唸った。ある高校生は、スケボーができる場所が欲しいと切実に言い、それだけでなく、三原山に刻まれた土砂崩れ跡が公園から望めるのだから、それを活かすような設計を、と述べた。ただ単にモニュメントをつくるのとは違う、自然自体を生き証人あるいは借景とする素晴らしいアイデアだと思った。
また、あるおじさんはこの会で出た意見をどのように反映したか、あるいはできなかったかわかるような報告を必ずしてほしい、と町に釘を刺した。
また別のおじさんは新しくできる公園だけが復興しても意味は無い、公園以外も復興するような計画も考えてほしいと町に要望を出した。
どのような公園ができようが究極ぼくには関係ない。だけれど、どの人の言葉もぼくの心を撃った。その人たちが心の底から紡ぎだした、100%そう思っている本当の言葉だからだろう。島民の人たちは「メモリアル公園」あるいは災害の記憶といつまでも、何世代にも渡って付き合っていかなくてはいけない。その切実さが根っこにあるように感じた。ただただ、良い顔をしていた。
このような瞬間を、本当の言葉が口にされている瞬間をカメラで捕まえたいという欲求に襲われた。それもできることなら、ドキュメンタリーでなく、フィクションで。これはとてもむずかしいことだ。ぼくが書いた今の脚本はそのようになっているとは到底思えない。制作体制や資金やスケジュールのことは後回しにして、内容や演出のことだけを考えたい。しかし、それは許されないことだろう。とにかく残された時間を死ぬ気でやらなくてならない。
ぼくなりに頑張ってきた成果がカメラの前で少しずつ進行していく。どこか1シーンだけでもいい。あのとき見た、良い顔はカメラに写るだろうか。