7/17 映画『孤狼の血』レビュー
vol. 23 2020-07-17 0
『孤狼の血』(2018)
監督:白石和彌 脚本:池上純哉 原作:柚月裕子
あらすじ
新人刑事の日岡は、暴力団の尾谷組と加古村組が睨み合いを続ける広島・呉原市の所轄署に配属される。日岡は加古村組のフロント企業である金融会社の社員失踪事件を、ベテラン刑事の大上と共に担当することになった。
大上、通称ガミさんは暴力団との癒着を噂されており、性格は粗暴、捜査でも違法行為を平然と行う悪徳刑事だった。
ガミさんのやり方に疑問を抱く日岡であったが、その無理やりな捜査によって二人は事件の真相に迫りつつあった。そんな折ついに尾谷組と加古村組の抗争が激化する。抗争を阻止しようと奔走するガミさんと、ガミさんの不正に憤りながらもその狂気に呑まれていく日岡。大立ち回りの果てに待つ、ガミさんの真実と衝撃の結末。
退廃的なものに憧れてしまう。坂口安吾の書斎の写真を見て、積もり積もった食べカスや紙屑の上に紫煙とフケを舞わせて文を書く、これぞ文豪、表現者たるものかくあるべしと唸った人は少ないのだろうか。芸術といえば、酒におぼれ薬におぼれ、思い詰めて自殺を図り、世間体なんてそっちのけで、もはや執念のゴミと化した体から産み落とされたものに、僕らは心動かされるのだと信じていた。
しかし実際には書斎が汚い文豪ばかりではなかったようだし、現在活躍する作家の多くは高級マンションの片付いたデスクでキーボードを打っているのだろう。それに幻滅する、という話ではない。低俗だろうが高潔だろうが良いものは良いのだ。
だからどうして退廃的なものに憧れ、そこから産まれるもの惚れてしまったのか、それが分からない。
ガミさんはどこか破滅を感じさせる人間だ。酒・煙草・女・暴力、暴力団へのハッタリ、平穏に生き長らえる訳がない。しかしそれは本人も自覚の上だ。
“砂の上に乗ったら最後。ほんなら落ちて死なんように前に進むしかないじゃなーの”
瀬戸際に立ち、これ以上堕落しないように前に進み続ける。その姿に心打たれる。
堕落してしまう人間は弱い人間なのかもしれない。砂に飲まれる弱い人間が、それでも上を目指して砂を掴み続ける。そうやってなんとか手にした値千金の栄光に、弱い僕は勇気づけられる。
自分も砂に飲まれ続けるわけにはいかない。月二万のボロアパート、電気の点かないカビ臭い喫煙室。あそこからどこまで這い上がれるか。弱虫なりにあがいてみるのだ。
髙野亮太郎