#playthemoment「たかが世界の終わり」全配信が終了致しました。
vol. 11 2020-11-02 0
皆様にご協力頂いたドキュメンタリー内で製作致しました、
配信舞台#playthemoment「たかが世界の終わり」
お陰様で昨日、全配信が終了致しました。
皆様からのご支援、ご声援でここまで辿り着くことが出来ました。
一同心より感謝申し上げます。
本当にありがとうございました!!
(以下、制作代表の周本の言葉より抜粋)
『もしかしたらここから始まるのかも知れない?
色んな意見が飛び交う中、
半ば意地でやり切ったこの作品が、
今後どのように進んでいくのでしょうか。
映像は舞台と違って残るので、
私たちにもこの後どうなるのか分かりません。
今までの舞台配信に対する想いを私たちなりに反映させて、
映画や映像専門のスタッフの力を借り試行錯誤して仕上げたら、
舞台とも映像とも言いきれない作品になりました。
舞台か?映像か?
カテゴライズすることに何の意味もないと感じる現在。
この曖昧な、漂うような、
飄々と世論の合間を縫っていくようなこの作品は、
なんだが【いま】しっくりくるような気がしています。
深く考えて始めたかと言われればそうではない、
いま出来ることを必死にやっただけ、
人手も予算もないこの未熟なエネルギーが、
誰かの心に響きますように。
わたしたちと同じように、
必死で毎日を生きる誰かのことを想って作りました。』
(以下、演出・内田健司の言葉より抜粋)
『「いま、目の前で」という演劇にとって、
とても大きな要素がひとつ抜かれた状況下で、
果たして「一期一会」の演劇を全うできるのか。
けれど、「それでも、頑張るしかない」
と僕たちはすぐに思いました。
この原点は蜷川さんであると言わざるを得ません。
いつまでも、師匠の名前をだすのは
弟子たちとしてあまり望ましくないので、
正直いって認めたくないのですが、
僕たちはこの「~するしかない」
という言葉のなかで育てられてきたのです。
「理解するしかない」
「覚えるしかない」
「上手くなるしかない」etc…
僕たちの意識の中に自然とプログラミングされていった、
この「~するしかない」の言葉。
もしも現在、師匠がこの世にいましたら、
高い確率でこう言ったのではないかと推測します。
(他のことももちろん言っただろうけど)
「頑張るしかない」』
(抜粋以上)
未熟な私たちが、閉塞した状況下で立ち上げた本作。
この怒りにも似たエネルギーがどのように実を結ぶのか、
私たち自身も分からない中、みなさまに見守って頂けたことは
とても大きな指針でした。
そして本企画を知った、
沢山の若手俳優たちがこの企画に集ってくれました。
彼らの存在もまたとても大きく、
本作がさざ波のように広がっていったように思います。
周本の言葉にもある通り、本作が今後どうなってゆくのか、
もっといえば、ダイナナが今後どうなっていゆくのか、
まったく分かりません。
思えば2月に旗揚げ公演をしたばかりのこのユニットは、
奇しくも、自主企画しか行えない状況が訪れ、
俳優・演劇・エンタメの価値が個々人に試される状況に後押しされ
まさに疾走してきたように思います。
「たかが世界の終わり」を終えて
いまこの集団について言えることは、
私たちはどの職業/役割/場所でも
信念をもち、進んでゆく(しかない)ということです。
そして当たり前のことですけれども、
そういうものは常にリスクと批判を伴います。
それぞれの目標は違っても、
同じような志を持つ人々が切磋琢磨できる場所があり、
ときに励まし合い、最終的に観客の為の表現を生み出す場所として、
この集団が今後も機能していけたらいいなあと思います。
ゆるっとしたことしか言えずに申し訳ありません。
これまた何ともカテゴライズし辛い、このユニットをどうか温かく、
また気長に、見守っていただければ幸いです。
ドキュメンタリー配信から約2か月、本当にありがとうございました!
「たかが世界の終わり」終演直後のキャスト。
(左から藤原季節・佐藤蛍・銀粉蝶・内田健司・周本絵梨香)