共有する未来
vol. 24 2022-09-09 0
こんにちは。
フェスティバルディレクターの三浦です。
早いもので、本クラウドファンディング開始から40日が経過しました。ここまでご支援、情報の拡散等へご協力いただいた皆さまに心より御礼申し上げます。ファンディング期間も残すところ3週間余りとなり、現在の達成率は50%を超えたところです。目標達成に向けて、ここから一段ずつしっかりと登りって参りたいと思います。引き続きのお力添えをよろしくお願いいたします。
今年もそろそろ夏を過ぎたようで、外に出れば秋の風が心地よく感じられるようになりました。コロナによる影響も感染者数こそ、その数が減っているわけではありませんが、少しずつ社会は平常へと向かい始めているように思います。本当に、このまま収まってくれることを祈るばかりです。
コロナ禍の時代は沢山の負の状況を社会にもたらしましたが、私たちはそこから何を学ぶことができるのかということが問われているような気がします。そして、その経験はこれからの社会をどのように作ってゆくのかということに直結してゆくのではないかとも思います。ある意味においてそれは既存の考え方に対しての変化が求められているということなのかもしれません。
私自身、コロナ禍によって社会の見方というものが大きく変化しています。その変化とは、言い換えれば一つの「気づき」です。あるいは、コロナ禍がその「気づき」を与えてくれたのだと言えるかとも思います。
もうかなり前の出来事のように感じますが、コロナが流行り始めた頃、薬局やスーパーの棚からマスクが消えてしまうことがありました。物資が不足することは、当時の状況からして致し方のないことだとは思いますが、その時に一部で所謂「買い占め」が起こったことも事実です。そのような状況を眺めていて感じたのは「人はなぜ独占しようとするのか」ということでした。それは同時に「なぜ共有しようとしないのか」という問いでもありました。勿論、自らの命に関わることですし、個人の倫理観の相違もあるので、一概に良い悪いで判断することはできませんが、単純な疑問として「共有しない」文化というものが、なぜ起こってしまうのだろうと思うのです。あるいは、その原因の一つとして考えられるのは、地域コミュニティによる関わりが希薄になっているということなのかもしれません。それは同時に、人と人の繋がりというものが希薄になっているということを示しているのではないかと思います。
これはコロナ禍が私に与えてくれた、多くの「気づき」のうちの一つです。世界には「共有しない」という考え方が当たり前のように存在するのだということ。
そのような経験を踏まえると、コロナ禍を経て私たちが作ってゆく未来(社会)には「共有する」という考え方が当たり前のように存在することが必要不可欠となるのです。
中央線芸術祭を立ち上げるにあたっては、ある強い思いがありました。それは、多くの市民やアーティストたちによって、皆で「共有できる場所と時間」を作りたいということです。老若男女誰しもが楽しめるアートを開かれた場所に置き、そこに集う人たちの言葉による交流の時間を構造的に取り入れることで、人と人との繋がりを生み出しながら、物事を「共有する」ということをしっかりと捉え、構築してゆきたいのです。
同時に、アートそれ自体が、人と人とをつなぐ役割を果たして共有されるものになってほしいとも思っています。
Center line art festival Tokyo 2022の開催まで3週間となりました。
皆さま、是非フェスティバル会場へお越しいただき、アーティストやスタッフ、ボランティアの方々にお気軽にお声かけください。
その言葉が共有されて、多くの繋がりを生み出してゆきますように。
9月24日(土)にはコミュニティステーション東小金井で前夜祭も行われます。
是非遊びにきてくださいね!