“名脇役”として感謝されても、満たされない。それって悪いこと?
vol. 9 2026-09-06 0
ずっと抱えてきた、隠したい矛盾について書きます。
誰かの役に立てることは、嬉しいです。
感謝されることも、頼ってもらえることも、必要とされることも。
でも私は昔から、それだけでは満足できませんでした。
「支える側として評価されているなら、それで十分じゃない?」
そう言われても、心の中ではずっと、
「うるさい。私は、私がやりたいことで認められたい」
そう思い、反発してきました。
それによって広がった世界もたしかにあったし、得られたはずなのに失ったご縁もたくさんあると思っています。
俳優として選ばれたい。
自分のやりたいことで、自分自身を見つけてもらいたい。
自分の人生の中では、自分が主役として輝きたい。
その気持ちは、ずっと消えませんでした。
たぶん、これからも消えないと思います。
でも同時に、そんな自分に罪悪感があります。
こんなことを望んでいいのかな。
私は本当に、それに見合う人間なのかな。
分不相応なことを求めて、周りの人を巻き込んで、迷惑をかけているだけなんじゃないかな。
そう思う瞬間があります。
普段は、ほとんど見せません。というか、なかなか見せられません。笑
そんなことを口にしたら、
ここまで諦めずに進んできた自分に失礼な気がするから。
だから私は、
「やりたい」
「絶対にやりきります」
という顔をして前に進みます。
でも、その強さの裏側にはずっと、
「本当に私でいいのかな」
という怖さがありました。
そんな自分をつい隠してしまうこと。
たぶん、それが私の弱さです。
-----
思い立ってみたものの、
この文章を書くのも、正直かなり怖いです。
こんなことを素直に書いて、
「欲張りだな」
「十分恵まれているのに」
「周りに支えてもらっているくせに」
と思われたらどうしよう、と考えます。
でも今、『シンデレラ』の制作を進めながら、
この怖さそのものが、今回演じる主人公を理解することに繋がっている
気がしていて、作品テーマに対して自分が考えていることを言語化してみました。
今回、私は企画・プロデュースと、主人公役を担当します。
制作を始めた頃は、
「作品を成立させるために動く私」と
「主人公を演じる私」は、
別々の仕事だと思っていました。
でも最近、その境目が少しずつなくなってきました。
制作を進めることそのものが、俳優としてこの主人公を理解する時間になっているからです。
-----
少し頑張りすぎた反動で身体が止まった日
撮影に向けて、
予算を組んで、
ロケ地のことを考えて、
撮影・照明、美術、バンド機材について、それぞれの専門の方に相談して、
出演者やスタッフとの連絡を進めて、
日々はいつも通りこなして。
一つずつ片付けていたら、自分自身に無理をさせてしまったようで、今日は朝から寝込んでいました。
それでも、完全には休めません。
撮影日は決まっている。
出演者がいて、
スタッフがいて、
場所を貸してくださる方がいて、
支援してくださった方がいる。
自分一人の予定なら、
「今日はもう無理だから、明日にしよう」
で済んだことも、今はそうはいきません。
背負っている責任の大きさが、一人で生きている時とは違う。
その時ふと、
「今回の主人公にも、こんな日があるのかもしれない」
と思いました。
-----
主人公は、新米ママであり、新米上司。
家では子どものために動き、
職場では部下のことを考える。
誰かを支える立場にいて、
頑張れるから任されて、
任されるから、また頑張る。ついつい頑張れてしまう。
きっと彼女にも、
「今日はもう無理」
と思う日はあるでしょう。
それでも、自分を必要としている人がいるから、完全には止まれない。
コンテを読んだ時には頭で理解していた彼女の責任や疲れを、最近は少しずつ、肌で理解し始めています。
-----
キャラクターの一番の理解者でありたい
私は俳優として役を演じる時、
どんな人物であっても、その人の一番の理解者でありたい
と思っています。
その人を、
「良い人」
「悪い人」
「正しい」
「間違っている」
と、外側から簡単に裁きたくありません。
なぜ、その言葉を言ったのか。
なぜ、その選択をしたのか。
何を怖がっているのか。
何を守ろうとしているのか。
どうして、そう生きるしかなかったのか。
そこを誰よりも理解しようとすることが、私の仕事だと思っています。
俳優が演じなければ、その瞬間、その役はこの世に存在できません。
だから少なくとも、私がその人物を演じている間だけは、
私だけは、その人を見捨てたくない。
今回の主人公に対しても同じです。
私は、彼女の一番の理解者でありたいと思っています。
-----
「すべての“名脇役”にエールを。」を綺麗事で終わらせない
『シンデレラ』には、
「すべての“名脇役”にエールを。」
というコピーがあります。
でも私は、この主人公を
「こんなに頑張っていて偉い」
と賞賛したいわけではありません。
「この人はこんなに大変なんです」
と苦労を説明したいわけでもありません。
そして、
「もっと休めばいいよ」
と、外側から簡単に答えを渡したいわけでもない。
励ますのではなく、分かりたい。
なぜ彼女は止まれないのか。
なぜ自分のことを後回しにしてしまうのか。
それでも、なぜ誰かのために動いてしまうのか。
その生き方を良い・悪いで判断するのではなく、
理由ごとそのまま、そっと包み込むように理解したい。
この作品を見た方にも、
「あ、これ私の話だ」
と思ってもらえたら嬉しいです。
あるいは、
「これ、身近にいるあの人の話なのかもしれない。今まで気づいていなかった。」
と、誰かの顔が浮かんだら、もっと嬉しい。
見過ごしていた誰かの日常に、少しだけ目が向く作品になったらいいと思っています。
-----
そして、この主人公について考えていると、どうしても自分自身のことにも戻ってきます。
誰かを支えることが嫌なわけではありません。
むしろ私は、人の役に立つことが好きな方だと思います。
誰かの才能を見つけることも、
その人が力を発揮できる場所を作ることも、
作品全体がうまくいくように動くことも、
楽しんで取り組めているし、そんな時間を大切にしています。
でも、それだけでは終わりたくない。
誰かを支えたい私と、
自分自身で輝きたい私。
その二つは、本当は喧嘩しなくてもいいのかもしれません。
誰かの人生を支えながら生きることと、自分自身の人生を大切にすることは、矛盾しない。
それは、この企画を始めた時から書いてきた言葉です。
けれど制作を進める中で、
私はその言葉を、たったいま自分自身に問い直しているところなのかもしれません。
-----
名脇役として感謝されても、満たされない。
それって悪いことなんだろうか。
今の私は、たぶん、悪いことではないと思いたい。
誰かから必要とされる喜びを受け取りながら、
それでも自分自身の夢を諦めない。
「私も見つけてほしい」と願う。
「私も主役として生きたい」と願う。
その気持ちまで、自分で踏みつけなくてもいい。
そして今回の主人公に対しても、
「そんなに頑張らなくていいよ」と変えようとするのではなく、
まずは、
「あなたは、そうやって生きてきたんだね」
と分かってあげたい。
その上で、
彼女自身にも光が当たる物語にしたいと思っています。
-----
制作を始めた頃より、
主人公が少しずつ近くにいる気がします。
ロケ地を探すことも、
予算を考えることも、
スタッフと相談することも、
責任を背負って少し疲れることも。
思いがけず全部、
私にとって役を知る時間になっています。
撮影当日には、
企画を回してきた人間としてではなく、
新米ママであり、新米上司である、一人の女性としてカメラの前に立ちたい。
そして彼女の一番の理解者として、その人生を生きたいと思っています。
作品が出来上がっていく過程と、
私自身が主人公を理解していく過程。
その両方を、これからもここに残していきます。
ずいぶん長くなってしまいました。笑
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
企画・プロデュース・主演
古川さら

FUNDED