メンバー紹介9人目!能作淳平(のうさくじゅんぺい)
vol. 15 2020-11-16 0
協働的な場をつくる可能性
みなさま、はじめまして。ぶんじ寮プロジェクトメンバー、建築設計担当の能作淳平(のうさくじゅんぺい)と申します。普段僕がお仕事でしている建築設計や拠点づくりの視点からぶんじ寮についてお話しさせていただきたいと思います。少しお付き合いいただければと思います。
地域通貨〈ぶんじ〉って何!?
僕はぶんじ寮がある国分寺市のお隣の国立市にある富士見台という団地の街に住んでいます。そして同じく富士見台団地の商店街にて僕が主宰する設計事務所とシェアする商店〈富士見台トンネル〉の運営をしています。
国分寺はお隣の街ということで、今回設計のお手伝いをさせていただいているのですが、ぶんじ寮プロジェクトに参加して最初に思ったのは、国分寺のコミュニティーの強さです。参加メンバーの想いにも大変共感しましたし、多種多様な能力が集まっているなぁ、と感心しました。そして何より驚いたのが地域通貨〈ぶんじ〉の存在です。確かにちょっと前にいろんな地域に地域通貨ってあったなぁ、と最初は思ったのですが、それともちょっと違う。裏面にメッセージを入れて交換するルールや、何よりちゃんと今もこの地域で使われている!通貨があることでしっかりとコミュニティーの形が見える、そんなふうに思いました。そして今回のプロジェクトのぶんじ寮もこの地域通貨〈ぶんじ〉を使うことができるシェアハウスというから面白い!
お金ってなんだろう?
先ほど自己紹介でも少しお話ししましたが、シェアする商店〈富士見台トンネル〉を1年前からスタートして、お金って何だろう?ということを改めて考えるようになりました。お金ってたくさんあればあるほど何かと便利ですが、単にあれば良いというものでもないなと。お金を自分の欲求を満たすために使ってしまえば、そこでその価値は消えます。しかし、同じお金でも、使い方次第でその価値は変わります。例えば、富士見台トンネルであれば、みんながお店を出店するためのスペースをつくることに投資をすれば、それだけ多くのお店を開きたいという方の可能性に開かれることになります。お金は絶対的な価値というよりは使い方によってその価値がどれだけでも変わるんだなと、そう思うようになりました。
そして、地域通貨〈ぶんじ〉はそれがうまい具合にできているなと驚きました。先日もぶんじ寮のお掃除ワークショップを実施したのですが、単にボランティアではなく、対価として〈ぶんじ〉をもらうことができる。そのやりとりを〈円〉でやってしまうとアルバイトだし、何もなければボランティアだけど、〈ぶんじ〉だと、そのどちらでもない。なんとなくゆるい感じもありながら、このコミュニティーでの信用の証は得られる。〈ぶんじ〉というコミュニティー内で定量的に価値を測ることができるツールがあるのって良いなと思いました。
働く場と暮らす場
でも理想はいろいろ言うけど、生活をするのにお金は必要。現実にはそう思います。影山さんと最初にお会いして、ぶんじ寮の企画について伺ったとき、「お金は現実的に必要だけど、それを半分にすることはできないか?」と言われていて、すごく納得したんです。なんで生きるために、そんなにお金が必要なんだろうと。社会が大きくなり高度になりすぎると、隣近所のお付き合いでなんとかなっていたような相互扶助だけでは生きていけない。信用という形のないものに頼らない都市生活のためには、大きな〈円〉が必要になります。ある人は自分に向いていない労働を強いられるかもしれませんし、ある人は電車に揺られ、自分の街ではない所で働く必要があるかもしれません。都市構造自体が〈円〉を維持するためのシステムになっているようにも思います。本来は豊かな資源の近くに住み着き、生業がうまれ、そしてその資源を維持メンテナンスするためにコミュニティーが形成される。大都市になりすぎた東京ですが、〈ぶんじ〉サイズで、ちゃんと地域資源に根付いたシステムの街があっても良いと思うんですね。
協働的な場をつくる
ここでちょっと例えなんですが、食に関わる運営で言えば、3つの分類になるかと思います。1つめは〈統治的解法〉。これは例えば学校給食のようなものです。多くの人に速やかに安価に食を届けることができます。しかし、その人の好みやアレルギーなどに対して個別対応することが難しい。それに対して2つめは〈市場的解法〉。これは学校給食の制度は廃止するかわりに、学校の横にコンビニを建てるようなことです。給食費の徴収はしないですが、それぞれ好きな物をコンビニで買ってくださいと。市場原理により多様性が生まれ、好きなものを好きなだけ食べることができますが、貧富の差が反映されますし、市場原理があまりにも高度になると、コンビニも売れるものしか売らなくなります。そして最後が〈協働的解法〉です。これは、食材や調理する設備までは用意しますが、ラストワンマイルは自分たちで作ってくださいという方法。相互扶助により良い素材と人材が集まれば、安価にものすごく良いパフォーマンスになります。ぶんじ寮プロジェクトに参加して感じているのは、この〈協働的解法〉だなぁということです。僕は建築設計を担当していますが、〈統治的〉な設計はしていません。これからみんなで暮らしながら徐々に作っていくのがぶんじ寮です。さまざまな才能が集まり、さまざまな資源が集まることで、ものすごいパフォーマンスが生まれる、そんな気配を感じてワクワクしています!ぜひ、みなさんもこの新しい暮らしの試みにご賛同いただけると嬉しいです!