TATTOO BURST元編集長 川崎美穂様から応援コメントが届きました!!
vol. 6 2023-11-12 0
女任侠モノの魅力は、度胸と美貌をかね備えた女性が、屈強な男達をバッタバッタと倒してく痛快さにあると思っている。ヤクザ、ヒモ、女衒、DV男など、相手がドスを抜こうが、ピストルを向けようが、女は素手で一撃にする。なんなら素手で目玉までぶっ飛ぶ。おきゃんな女は、凛として強い。
凡天太郎クラウドファンディング第3弾は、レア女侠劇画作品集『関東女無頼』である。
このテーマは、凡天劇画作品の真骨頂といっても過言ではない。なかでも今回収録されている『刺青お狂』は、女彫師が主人公である。股旅物のヒロインといえば、明治や大正時代を舞台にした博徒や芸人が王道だった。その系譜の未来に、凡天太郎は女彫師を主人公にした、昭和の股旅物をどうしても描きたかったのではなかろうか。
劇画も手がけたが本業を彫師とする梵天太郎は、日本刺青が伝統美として正しく評価されることに生涯を捧げた、当時では特異な存在だった。志を同じくする仲間もなく、 情熱を創作活動という形で孤高に貫いた人である。それゆえに、閉塞感のある世の中に新風を吹き込んでくれる、女神の降臨を待ち焦がれていたのだろう。事実、彫師としての梵天太郎は女性彫師の育成にも力を注いでいた。
鉄火な女性が活躍する物語というのは、江戸時代のころから根強い人気のジャンルであった。
その根底には〝芸は売っても、体は売らない〟という心意気を誇る、かつて「辰巳(たつみ)芸者」と呼ばれた深川の芸者たちの存在が大きい。彼女たちは、地味な着物に、男勝りで薄化粧、真冬でも素足で過ごし、当時は男だけがはおっていた黒羽織の裏地に凝った絵模様を施して着用していた。刀を携えていた者までいたという。その伝法肌な気風は、威勢のいい職人や漁師、材木問屋をはじめとする旦那衆たちに気に入られ、江戸の「いき」の象徴と讃えられていた。
江東区にある『深川江戸資料館』が発行する資料館ノート第119号には「辰巳芸者」について、こう記してある。
深川の岡場所を代表するのは「辰巳芸者」です。深川は芸を重んじ男まさりで気風が良く、素人らしさのある自然体で力強い女性たちを重んじました。(中略)「いき」は江戸の町で生まれた美意識です。当初は髪型や衣装などの身なりを指す言葉でしたが、深川では外観だけでなく心情などの内面も含めて「いき」を表現しました。文化から天保の頃(1804〜1844)にかけて深川は江戸を代表する流行の発信地となり、様々な文化を生み出しました。
江戸の遊び場として今でも有名なのは吉原だと思うが、幕府公認の遊郭だった吉原は華麗でこそあったが、そこで働く女たちは吉原を一歩も出ることが許されなかった。一方、幕府非公認ゆえに深川の辰巳芸者たちは独自のお洒落を楽しみ、町を自由に闊歩できた。それゆえ江戸の流行を左右する存在となり、江戸前のいい女の代名詞となったのである。
刺青(しせい)という造語の生みの親であり、日本を代表する小説家・谷崎潤一郎のデビュー作『刺青』は、そんな辰巳芸者と江戸の人気彫師との「いき」な物語である。冒頭部分を抜粋する。
其れはまだ人々が「愚(おろか)」と云う貴い徳を持って居て、世の中が今のように激しく軋み合わない時分であった。殿様や若旦那の長閑(のどか)な顔が曇らぬように、御殿女中や華魁の笑いの種が盡(つ)きぬようにと、饒舌を売るお茶坊主だの幇間(ほうかん)だのと云う職業が、立派に存在して行けた程、世間がのんびりして居た時分であった。女定九郎、女自雷也、女鳴神、―――当時の芝居でも草双紙でも、すべて美しい者は強者であり、醜い者は弱者であった。誰も彼も挙(こぞ)って美しからんと努めた揚句は、天稟(てんぴん)の体へ絵の具を注ぎ込む迄になった。芳烈な、或は絢爛な、線と色とが其の頃の人々の肌に躍った。
元来、強さと美しさを追求した「いき」の先に、江戸の刺青文化はあった。
さらに当時は、男性を女性に入れ替えた作品が人気を博しており、強くてかっこいい女性が大奮闘する物語が喝采を浴びていたことも読み解けてくる。それはのちに、鶴田浩二や高倉健が築いた任侠映画が、藤純子(富司純子)を女任侠スターに据えて爆発的なブームとなった『緋牡丹博徒』へと発展していったように。
女任侠モノの映画では、可憐な女優が着物の片肌を脱いだときに、男らしさの象徴である刺青が人目に晒される場面が最大の見せ場である。だが、凡天劇画ではどうだろうか。『刺青お狂』の主人公お狂は、男性と同じように、さらしを胸の下で巻いている。ゆえに片肌どころか、豊満な乳房まであらわなのである。その姿は、フランスの7月革命を描いたドラクロアの作品『民衆を導く自由の女神』にオーバーラップする。やはりお狂は、凡天太郎が創造した〝女神〟なのだ。
凡天太郎「刺青お狂」第1話扉絵
今回の単行本では『刺青お狂』の読み切り漫画が4話収録されている。凡天太郎としては、もっとシリーズ化を続けて長編作にしたかったはずだろう。そのせいなのか1話に内容がギュッと詰め込まれ、いつにも増して話の展開が非常に早い。なので少し補足しておくと、主人公のお狂は、父は日本一の名人といわれた彫神、その弟である伯父も彫妻の名で彫師を生業とする、横浜を拠点にした彫師の家に生まれ育った。しかし、幼い頃に父は行方不明となり、そのころ母は浮気相手の間男と駆け落ちをする。時は流れ、お狂も年頃になり彫師となった。そして、自身の背中に観音竜の刺青が完成したのを機に、父を探しに旅立つ。どうやら観音竜の刺青に、なにかしらの秘密が隠されているらしい。
〝なにかしらの秘密〟と書いたものの、結論から言ってさほど深く物語には関与してこない。凡天劇画は、それでいいのである。物語の大筋が多少単調になろうが、要所要所に刺青文化の豆知識を取り入れていることが重要であり、何をおいても圧倒的な画力に心を奪われる。特に着物で大乱闘するバイオレンスアクションとお狂の強い眼差しには無条件で惹きつけられてしまう。
そんな中にも、お狂の性格を知る貴重なエピソードがある。
第一話目で神戸に到着したお狂は、電車で居眠りをしているサラリーマンがスリの被害にあおうとしている現場を目撃してしまう。お狂は男3人組のスリ向かって、こう言った。
「ケチなまねはおよし。技術で抜きとったらどうだい。眠っている人からなら赤ん坊だってスれるよ」
なんと!スリという犯罪行為に対して糾弾するのではなく、プロとしての姿勢にダメ出しをしている。お前もプロのスリ師なら技で勝負しろよと、プライドを挑発するのだ。お狂とは、そういう女なのである。
世の中が激しく軋み合い、なんでも白黒つけたがる現代社会において、凡天太郎が活躍した時代のおおらかさは、失われし日本の黄金期であった。だからこそ我々は、昭和のおきゃん精神を過去の凡天作品から発掘する必要があるのだろう。現代風になぞらえるならば、メンタル鬼強のギャル的マインドともいえる。そんな『関東女無頼』をぜひ手に取っていただき、老若男女の皆さまの明日への活力にしていただきたいと願う。
川崎美穂(編集者/ライター)