【スタッフ対談 | 遠山昇司 × 森賢一】撮影について、監督と語る
vol. 12 2022-10-03 0
本作の脚本・監督を務めた遠山昇司と、撮影監督の森賢一さん。フォトグラファーの森さんがどのように映画の撮影に関わり、本作を共につくっていったのか、オンラインで「撮影」について語りました。
フォトグラファーの森さんと遠山監督との出会い
森 賢一(以下、森) 僕が写真を始めたのは24歳のときです。趣味で少し撮っていた写真を本気でやろうとサラリーマンの仕事を辞めました。縁あって航空写真専門の会社に就職したのが写真の仕事の始まりです。神戸から与論島辺りまで毎日セスナで飛んで回って、空から写真を撮っていました。自信がついた27,28歳のときに、今度は地上でと、広告写真のスタジオに入り、その後31歳で独立。映像については、遠山監督との出会いが始まりでした。
遠山昇司(以下、遠山) 熊本のテレビ局のプロデューサーで、平田毅さんという、のちに僕らの作品『NOT LONG, AT NIGHT -夜はながくない-』のエグゼクティブプロデューサーを務めた人がいて、その人と一緒に初めて森さんに会いました。
森 そのとき、忘れもしないですがカウンターで3人並んで話していて、遠山監督が「ところで森さんはどんな映画が好きですか?」と聞いてきたんです。
遠山 「僕あんまり映画好きじゃないんです。」と言っていました。映画はそんなに好きじゃないけれど、旅が好きだという話もしたんです。僕はロードムービーが好きで、その理由は、旅が好きだから。あのときロードムービーを撮りたかったので、そのためには「旅」という感覚、そして「熊本」っていう場所の風景に対する眼差しが重要だと思っていたんです。
森 そんな話をして、そのままわかれるのかなと思っていたら、店を出て遠山監督から、「今度の映画の映像を撮ってくれませんか?」と言われたんです。僕、さっき映画好きじゃないって言ったし、驚いて。だけど声をかけてくれたことがすごくありがたくて、「ご縁があったら、ぜひ改めて。」と伝えました。そしたら1週間もしないうちに映画のプロットがメールで送られてきたんです。
森賢一さん
スチールカメラマンが映像を撮ることになって
遠山 映画を撮った経験がないっていうことは全然僕にとってはマイナスじゃなかったんです。僕だって初めて劇映画を撮るときでしたから。もう一つには、僕自身がアートの世界に関心を持ったきっかけが、写真だったということもあります。高校時代にアンリ・カルティエ=ブレッソンの展示が八代市立博物館でやっていて、それから写真が好きになったし、当時、フィルム写真をいっぱい撮っていた時期でもありました。
森 僕は熊本出身熊本育ちの商業カメラマンということもあって、熊本を含め九州各地に詳しくなります。また、民族的な文化が好きで、取材に行くと現地の人ともすぐ友達になっちゃうんです。それを繰り返しているから、熊本のことは誰よりも詳しいと思っています。
遠山 僕の映画の最大と言ってもいいかもしれない強みは「風景」なので、その風景をどれだけ熟知していて、レパートリーを持っていて、リサーチできるかっていうことは、カメラマンとしての技能よりも重要です。予算が限られているインディペンデント映画では、どこで、何を撮って、その風景が何を心象として表すのかっていう、そこで戦うしかないと言っても過言ではありません。森さんが映像を撮ったことがなかったとしても、熊本の風景を熟知していたっていうのは、この映画において非常に強みでした。
本作を撮影するにあたって
遠山 今回は球磨川を舞台に映画を撮りたいということがまずあり、水害のあと現地に行ったときに、「光」をテーマにしたいなと思いました。そうなると撮影は、写真を撮り続けてきた、そして熊本をずっと一緒に描いてきた森さん以外の選択肢というのは考えませんでした。「光」をテーマとしてフォーカスしたことによって、森さんが今までやってきたことは、映画のなかで生かされると思いました。
森 球磨川が氾濫して、熊本に住んでいる私からすれば当然心を痛めたわけです。熊本豪雨からしばらくして、監督から連絡があって「球磨川を舞台に撮りたい」と聞いたときは、なんだかすっと腑に落ちました。監督の故郷に流れている川だし、自分も地元だし、ものの1秒ぐらいで「やっぱり撮らなきゃね」というような気持ちになりました。この話は監督とはしたことないんですけど、今回はしなやかに撮っていきたい、しなやかに見えるような絵をつくっていきたいなという風に思っていました。
遠山 その感覚は僕にもありましたね。こうあるべきだとか、こうしなければいけないみたいな感覚はなくなっています。川だったからというのはあるのかもしれません。流れ続けているものを捉えるときに、じっと身構えても捉えられるものではないなと。
遠山昇司監督
森 特報の映像にも出ている川を俯瞰で撮ったシーンは、ロケハンのときにドローンで撮った映像です。第一橋梁という球磨川に架かるJRの橋が、豪雨で半分流されてしまいました。明治時代に国が線路を通したのですが、そのときは橋をつくる技術力が日本にはなく、アメリカにつくってもらって丸ごと橋を運んできました。土台の石垣のところから橋梁まで全部ニューヨーク製なんです。それはそれは美しい橋だったので、流されたとき本当にショックでした。今回、その橋が朽ちたところからカメラを上げていってますが、そういう場所での撮影は、熱が入りました。美しくも悲しくも撮りたいなって思いながら撮りました。
映画における映像の在り方、お互いについて
森 遠山監督の脚本は、すべての作品において言葉がとても美しいと感じています。文字で書いてある言葉ということではなくて、読んでいくなかで見えてくる世界観が美しい。逆に役者さんの台詞は少なめで台詞と台詞の間の世界が美しいのです。台詞になっていない言葉を僕が映像で表現をする。それはやっぱり監督の脚本があってこそ。毎回脚本をもらい読み取るのも楽しいです。
遠山 現場において監督と撮影監督は二人三脚的なところがあります。同じ眼差しで、その場に立って見つめていかない限り、良い映像は撮れないわけです。僕は、根底は美しくあるべきだとずっと思っていて、『NOT LONG, AT NIGHT -夜はながくない-』は脚本も尖っていましたし、実験性を自分なりに追求していました。今回の『あの子の夢を水に流して』に関しては、何かこれまでとは違う。もちろん美しさは追求しているんだけれど、おそらく“現象”を捉えるということに変わってきているんです。もはや美をつくり出そうとしていないんですよね。
森 美を撮ろうとは思っていないというより、そこを越えてきているんだと思いますよ。
遠山 美しさの追求に関して、森さんとは同じ方向を向いてつくっていることが一番嬉しいです。加えて、瞬発力とかも重要なんですよね。僕も絵コンテを描かない分、その場でいろいろ決めるにはめちゃくちゃ瞬発力がいるんです。すごく頭を使うし、ヘロヘロになっちゃうんですけど、その瞬発力は重要だと思っています。写真家にとって大事なのもまさにその瞬発力。瞬発力が一番と言ってもいいぐらい、僕の映画には非常に重要な要素で、森さんはそれをもっている人です。
森 今回の映画は、スタッフみんなが球磨川からエネルギーをもらって、呼吸をするように撮れたと感じています。どの役者さんも、球磨川を見て、それを吸い込むかのように演技をされていたなと感じました。やっぱりあのロケ地で撮ったことはすごく大きいなと。球磨川からのエネルギーがあって、僕らは動いたなって。そんな感覚です。
遠山 全ての役者さんがそうだと思いますよ。特に内田慈さん、玉置玲央さん、山崎皓司さんは撮影してないときも3人でずっと球磨川を見ていましたよね。とても素晴らしい風景だなと僕も見ていました。玉置さんは、撮影する前の本読みのときに、「この映画は現場に行って、その場所から受け取ったり考えたりする映画なんでしょうね。」と言われていて、その通りだなと思いました。
森 もう一つ、遠山映画っていうのは、現代アートみたいな感覚を持った美術館に展示するような映画だと思っています。僕もアートが好きですし、お互いに感じ合いながらつくっていった作品ですので、ぜひ多くの方に体験していただきたいです。
対談収録日:2022年9月13日 (Zoomにて)
編集:米津いつか
<プロフィール>
森 賢一[もり・けんいち] Graphes inc.(合同会社グラフ)代表。航空写真専門のフォトグラファーとして航空会社に勤務し西日本中を撮影後、地上の広告写真へ転向。国内から海外まで広く撮影。2012年、映画『NOT LONG, AT NIGHT −夜はながくない−』で初の撮影監督を担当。現在も広告写真、映画製作から、世界的ピアニスト、ジョヴァンニ・アレヴィの熊本招致プロデュースなど多岐にわたる活動をしている。
遠山昇司 [とおやま・しょうじ]1984年 熊本県八代市生まれ。映画監督・プロデューサー・アートディレクター。脚本・監督を務めた『NOT LONG, AT NIGHT −夜はながくない−』(2012年)、『マジックユートピア』(共同監督:丹修一、2015年)、短編映画『冬の蝶』(2016年)がいずれも国内外で高い評価を得ている。精力的に映画制作を行い、アートプロジェクトや舞台作品などの演出を手がけながら現在に至る。さいたま国際芸術祭2020 ディレクター。https://www.toyama-shoji.com/