上映会トーク動画アーカイブ&文字起こし PART2
vol. 15 2023-12-29 0
【画像:海をバックに髪を靡かせる朔子さんの横顔。少しだけ微笑みを浮かべている。】
\ついに最終日/
『ミューズは溺れない』Blu-ray化支援企画クラウドファンディングの受付最終日となりました。
本日23:59までとなっています。
現在までに、136人の方にコレクターになっていただき、1,881,000円ものご支援をいただいております。
これまで鑑賞の機会を待って下さっていた方、劇場で本作をご覧くださり再鑑賞の機会を喜んでくださっている方など、さまざまな方からSNSやメッセージ機能などを通してあたたかいご声援をいただき、とても心強く感じております。
本当にありがとうございます。
上映会トーク動画アーカイブ&文字起こし PART2
広島のハチドリ舎で行った『ミューズは溺れない』上映後SPトークのアーカイブ動画(後半)を、日本語字幕付きでお届けいたします。
ゲストはここいろhiroshima 高畑桜さん。
お客様とのQ&Aでは、自己肯定感を持てない子供たちについて、自分の子供がセクシャルマイノリティーだったら・・・という不安に関して、朔子と西原のキスシーンを期待されたシナリオ執筆状況についてなどをお話しました。
※終盤、物語の結末に少し触れる話があります。
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下記に、トーク動画(後半)の文字起こしテキストも掲載いたします。動画の御視聴が難しい方はこちらをご参照ください。
『ミューズは溺れない』上映後SPトーク会@ハチドリ舎文字起こし(後半)
参加者3:僕自身はセクシュアリティっていうことで分類、カテゴライズしていくこと自体にちょっと疑問を持っていて。同じお話になるとは思うんですけれども、生物学的な男女っていうのはある程度…それもグラデーションがあるとは言っても、一応ある程度線引きができるかもしれないけど、それはあくまで物差しとして使ってるんだとすればあんまりそこに意味はないのかな、という風に思ったりもしてます。
それよりは、平野啓一郎さんが言ってるような“分人主義”みたいな感じで、その人がいろんな場面で色んな人に対して見せる顔が違うんだという方がしっくりくるかなと。セクシュアリティの問題もその一つの表れかなという風に思いながら話を聞いていました。
最近よく感じてるのが、自己肯定感が低い子供達が多いんですが、そういう子達にどんな言葉を声掛けてあげたらいいかなというのをお考えがあれば教えてもらえればと思います。
高畑:“分人主義”って、当たり前にみんな見せる顔が…この場面での私、この場面での私、とみんな違うっていうのは私も常々感じているし、この人の前だから出せる顔、出せる自分がいたりするから、それってきっとセクシュアリティの中でもグラデーションで出てくると思うんですよね。ただ、自分の自認してる性別で、どの人に対しても接してほしいっていう風に思いを強く持ってる方もいたりするので、それはまた、出し具合とか“わかってもらいたさ”も、人によってグラデーションがあったりするのかなって思います。
次に、自己肯定感ですよね。まずは「私は私でいていいんだ」って思える体験をたくさんたくさん積むことが凄く大事だと私は思っていて。今の子供達って、たぶん私は私でいられなかったり「私は私でいていい」って思えないことをたくさんどこかで感じてしまってたり、
そもそも愛情の “コイン”が不十分だったり、関わりが不十分だったりする子が実は多いのかなって思っていて。それってもしかすると身近な大人が(愛情の)コインをあげたりして、「あなたはあなたでいいんだよ」ってことを(子供が)体験できることが一番いいのかもしれないけど…。そういう大人が身近にないんだったら、そうじゃない人がその子達に「あなたはあなたのままでいていいんだよ」って伝わる何か、言葉なのか、何か情報を提示するだとか、何かその子が「私は私でいていいんだ」って思えるものをたくさん積んでいく。するとどこかのタイミングで「私は私でいいのかも」って思えるのかなって。その(愛情のコインの)量がけっこう要る。私はすごい大きいコインを両親からもらったことがあるんです。25歳の時に。それまでは、もらえてたけど もらえてないと思ってた。でもそれが積み重なったら、「私は私で生きていい」って思えるのかなって。
淺雄:なるほど…。私は自己肯定感が低めの人間なので…毎日ネガティブで自分のことが嫌いだなと思いながら生きてるので、自己肯定感がどうしたら上がるのかは全然わかんないんですけど…でも最近思い始めたことが“悩み”についてで。私、悩み めちゃくちゃあるんですよ。本当に毎日 「もう今日は生きていられない」って思うくらいかなり落ち込んだりとか。悩みの尽きない36年間を生きてきたんですけど(笑)
その”悩み”っていうものをネガティブに捉えすぎてたなって思うんです。
”悩める”ことって物凄く豊かなことなのかなっていう。悩みがない人は気付けなかったことに、悩むことで気付くことができて。それこそ『ミューズは溺れない』なんて私が悩んでたからできたというか(笑)悩んでなかったらこんな映画作ってないので。悩んだ末に何かが出来上がったり、何かに気付いたり、悩んでいた分、誰かの悩みに「わかるよ」って寄り添えたりもするのかなと。
もし、自己肯定感が低い/自己肯定感が持てない原因が「こんな悩みがある自分はダメだ」から派生したものなんだとしたら、その悩みがあるから素晴らしいんだよみたいなことを伝えられたらいいのかなって、今聞いてて思いました。
高畑:悩んでいるあなたもOKだし、その悩みがあること自体が素晴らしい。
淺雄:私よく「繊細だね」って言われるんですよ。「繊細だから弱い」とか「繊細だから映画監督には向いてない」とか(笑)でも、”繊細”だから気付けることも…アリンコとかよく見つけるんですけど(笑)たぶん繊細じゃなかったら、アリンコを見ない人生だったなとか。
細かい部分が気になるからこそ、気付ける部分があったりとか。人それぞれ、誰かから見たらネガティブな印象を持たれることでも、角度を変えたら良い部分もあるのかもしれないので、角度を変えながら色んな捉え方をしてもらえたらいいんですかね?
高畑:全部「●●力」にしたらいいですよ。
淺雄:なるほど…!力にする。
高畑:「繊細力」とか。私なら「大雑把力」かもしれないけど(笑)
そういう力なんだって見方ができたり、「そういう見方があるんだ」と思えると少し楽になるかもしれないです。
参加者3:ありがとうございます。
淺雄:勉強になりました。
参加者4:私の中では 人間として魅力的だったら別に男でも女でもいい。好きに好きになるものはなるし、男でも女でも嫌な人は嫌だし。LOVEとかLIKEとかいろいろあると思うけど、細かく 「これ」って決めなくてもいいんじゃないかなって。私自身も 恋愛対象は男性かもしれないですけど、女性の魅力的な人を見たらいいなって思うし。男女関係ないんじゃないかなと思ってます。昔からフレディー・マーキュリーとか好きで。それを言うと非難の的になるんです。「ちょっと変なんじゃない?」とかって。
”ドラァグクイーン”って言うんですけど、私の中ではそんなに嫌じゃないです。でも、そういう中でも嫌な人もいるし。(性別は)あんまり関係ないじゃないかな。とりとめもない話ですが以上です。
淺雄:ありがとうございます。相手をどう受け止めて、どう見るかっていうことですよね。
一人と一人で、どこが好きでどこが嫌いか。好き嫌いもグラデーションがあるだろうし、今日は好きだけど明日は嫌いかも…みたいなこともあるだろうし。何か決めなくてもいいですよね。
高畑:「変」って言う人に「何で変なの?」って聞いてみると面白いかもしれませんね。聞いたら「だって…」とか言って。
参加者4:「変わってる」って言われます。
高畑:「どこが変わってるように見えるの?」って聞いたら「何で変わってるって思ってるんだろう?」って。もしかしたら「あれ?」みたいになっていくかもしれないです。変わってるって思ってる人には、たぶん変わってるって見えるし。その変わってる部分のことをすごく魅力的とか素敵とか、そこが好きっていう人もいるし。やっぱりそれもグラデーションですよね。
淺雄:あと「変わってる」って、私は褒め言葉のような気もします(笑)。受け止め方によってもまた、ちょっと変わるかも。
参加者4:そう思うことにします。
當山敦己(ここいろhiroshima共同代表):いろんな人に見てほしいという思いがあると思うんですが、特にこういう人たちに見てほしいなとか、こういう人ちに届けたいなという思いがあれば聞きたいのと、(映画を)つくる過程ですごい大変だったなって思うことがあれば聞いてみたいです。
淺雄:どういう人たちに見てもらいたいかっていうと…この映画の企画段階では、私が10代の時に「女らしく」っていう言葉に悩んだりとか自分のセクシュアリティに悩んで苦しい思いをしていたので、悩んでいた頃の 10代の自分に似た子たちがいるなら、その子たちに観てもらいたいと思ってつくりました。たった一人にでも、この映画を観て「生まれてきたことを良かったと思えた」って言葉をもらえるなら、この映画をつくる意味があるなと思いながらつくっていきました。
つくり終えて、今改めて思うこととしては、10代の子たちに観てもらいたいっていう気持ちはもちろん今もあるんですけど、親世代の方々にもぜひ観てもらいたいという気持ちが今、すごく強くなってます。
というのも、最近セクシャルマイノリティーに対するヘイト本とかが出版されつつあったりして、親御さんたちが…例えば、「自分の子供がセクシャルマイノリティーだったらどうしよう」って悩みを抱いている方がいらしたとして、社会の流れが…「うちの子がセクシャルマイノリティだったら嫌だな」「治してあげなきゃ」とか、そういう風に思う気持ちを膨らませるような流れがあるんだとしたら、それってすごく悲しいなと思うんですね。
なので、今10代の子たちはもちろんなんですが、もう少し上の、これからお子さんを持たれる方も含めて親御さんにもぜひ見ていただいて、「誰も間違ってない」「誰一人 生まれてきて間違ってる人はいないんだよ」っていうことを、何か感じて、受け止めて、安心してもらえたらいいなって思ってます。
では 2つ目の質問に…大変だったこと。撮影で、すごく苦労したこととしては…雨を降らしたりとか、途中で撮影トラブルがあって「ワンシーン丸々音声が録れてなかった!」みたいな、たくさんトラブルがあって(笑)現場が大変だったといえば大変だったんですけど、一番私が悩んだところ、「この映画を完成させられるのかな?」って悩んだところとしては…シナリオ段階で、「朔子と西原の二人の関係性に“恋愛”というオチがつかないと、この映画はエンターテインメントとして、物語として終われないんじゃないか」っていう意見をもらいました。「キスシーンを入れた方がいいんじゃないか」っていう意見をもらいました。
撮影の直前まで「キスシーンがないとこの映画をつくる意味がない」「つくっても観てもらう場所がない」という風な事を言われていました。そこは、ものすごく悩んで…私は絶対に キスシーンを入れたくないと思っていて。この映画は、二人が恋愛関係になったっていうことをわかりやすく描くっていうことが大事なんじゃない。西原は好きっていう気持ちを持ってて、朔子は好きっていう気持ちがわからない…だけど、二人の間で気持ちが通じ合う。
100%理解し合えてはいないかもしれないけど、お互いが感じている”怖い”とか”楽しい”とか”何かが好き”とか”やめられない”とか、そういういろんな感情を受け止めて、お互いがお互いを認め合ったっていうことを描きたかったので、その「キスシーンを入れた方がいいんじゃないか」っていう意見をもらって、説得するのが大変でした(笑)
一回キスシーンを…西原さんと朔子さんがキスをするっていうシーンをあえて書いて、「ほら、こんなに面白くなくなるでしょう?」っていうことを納得してもらえたので、なんとか今の形になりました。そこはものすごく苦労したポイントでしたし、結局そこで苦労して折れなくてよかったなと今は思ってます。
當山敦己(ここいろhiroshima共同代表):ありがとうございます。
<最後に>
高畑:今日は本当にありがとうございました。人それぞれいろんな生き方だったり、いろんなあり方だったり、それをどう表現してもいいし受け止める側の人もどう見てもいいんだけど、ただその時に「あなたはあなただよね」っていう目線を少しでも多くの人が持ってるだけで、みんなが生きやすくなるんじゃないか。それを、この作品を観て淺雄さんと話しながら感じました。
安彦恵里香(ハチドリ舎店主):淺雄さんの最後の挨拶の前に、私が印象的だったところを伝えます。栄美ちゃんのようにダイレクトに聞くことによって「私に開いてほしい」とか「あなたに入りたい」みたいなそういうコミュニケーションのあり方が最近なくなったなと思っていて。「そんなに聞かないであげて!」「そこまで言わないであげて!」とも思ったんだけど、でも大事だなって思ったのが感想です。
淺雄:ありがとうございます。今のお話を伺って、セクシャルマイノリティBARの話にも繋がるんですが…以前、身近にセクシャルマイノリティの方がいて「わからないから教えてください」って来られた方がいらっしゃって。「知りたい! わかんない! でも知りたい!」って、前向きにガシガシと越境してこられる方で。私はその方の姿を見て「ああ、未来は明るいな」なんて思ったんです。
「知りたい! 理解したい!」って気持ちって、それを向けられた人からしたら、もしかしたら「しんどい」とか 「もう少しゆっくり」とか「優しく来てください」とか、いろんな感情を持たれるかもしれないんですけど、そういう力がないと越えられないものってあると思っています。特にこの映画の中では、あのアグレッシブな栄美さんがいたから、朔子も西原も言えなかったことを言えて。言えなかったことを言えたから「そういう気持ちだったの? 私も同じだよ」とか、「そういうのが怖いんだ。じゃあそういうことはやめようね」とか、そこで初めて次の関係性に転がって、広がっていけると思うので。栄美ちゃんの存在をポジティブに描きたいなという思いがありました。そういう力を持ってくださる方が少しずつ増えていったらいいんじゃないかなと思っています。
(最後に)ハチドリ舎で今回上映をしたことで、1個 私の夢が叶ったなと思いながら今日ここにいます。最初に言ったんですけど、高校卒業まで広島で過ごしてて、勝手に「受け入れてくれる場所はない」と思って逃げるように広島を出たんです。でも、そんなことはなかったんだ、ってことをようやく知れて。
この場所がある、こういう活動されてる人たちがいるっていうことが本当に幸せです。もっともっとこういう人たちが増えていって「こういう人たちがいるよ」っていうことがどんどん伝わっていったら、生きやすくなるな。うれしいなと思っています。
今日は長時間にわたって作品を観ていただいて、トークを聞いてくださって本当にありがとうございました。
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文字起こしは以上になります。
本作を通して伝えたいと思っていたことを、ゲストの高畑さんやお客様とともにわかちあいあながら言葉をつむいだイベントでしたので、ぜひお言葉を届けたいと思って共有させていただきました。
それでは引き続き、『ミューズは溺れない』の広がりを見守っていただけたら幸いです!
皆様のお力添えを糧に、今日の23:59まで駆け抜けます…!
よろしくお願いいたします!
『ミューズは溺れない』監督・淺雄望