会社の歴史を探求する旅に出たこと
vol. 23 2026-05-31 0
おはようございます、側島製罐の石川です。
今日で5月も最終日ですね。4月末に始めたこのプロジェクトも約1カ月が経過しました。みなさまの多大(ほんとうに!)なるご支援、一緒にこのプロジェクトを広めてくださってるおかげで、は今朝時点で支援者数は399名(!)、金額は400万円を超えるところまできました。本当にありがとうございます。とはいえ1000人に届けるとなるとまだまだ4合目、新しい時代をつくれるくらいのプロジェクトにするには、まだまだ道半ばです。みなさまのご厚意に甘えてばかりで恐縮ですが、ぜひ引き続きよろしくお願いします!
今回は、社史をつくるよりもっと前の、側島製罐という会社の歴史を調べていた時のことを少し書いてみたいと思います。
側島製罐には、戦争の大空襲で工場が全焼失したこともあり、歴史的な資料がほとんど残っていませんでした。唯一の手掛かりと言えば「昔は蚕具をつくっていた」という口頭伝承くらいでした。
そこで、まずはインターネットを中心に何か昔の資料が残っていないかを探求していました。幸いにして「側島(そばじま)」という名前がユニークだったこともあり、骨董品屋さんで昔の側島製罐が出していたハガキが見つかったり、Twitterでは100年前のカタログを所蔵していた方が冊子を譲ってくださったり、端々の情報ながら少しずつ事業の歴史がわかってきます。
もともと側島製罐の祖業は「蚕具」と呼ばれる養蚕業や蚕糸業向けの器具をつくっていたと、それは口頭伝承レベルですが、親世代から伝えられていました。歴史的な資料を調べていく中で、当時は"蛾輪"と呼ばれる鉄の輪っかでお蚕さんが病気しないように育てるための器具を作っていたという記録をみつけました。
インターネット、国会図書館、近隣の史料館などをまわりましたが情報収集も頭打ちしていたので、そこからは少し足を延ばして実際に当時の産業の中心地であった群馬・栃木・長野などを中心に全国の史料館や博物館をあたってみることにします。当時の製品の納品先だったと言われている富岡製糸場にも足を運びました。
「側島」という名前は当時の養蚕業をはじめとした繊維産業界隈ではそれなりに名が知れていて、学芸員さんや地元の方は昔はよく見たよと話をしてくださいました。昔は群馬の方に出張所があったり、お蚕さんの環境管理をするための側島式の温度計が富岡製糸場に展示してあったことがあることなど、当時の事業の名残を感じることができました。しかし、最終的に「側島」という名前が書いてある明確なものは発見することができませんでした。
この写真は長野は上田の民芸館で展示してあったもので、ひっくり返したらもしかしたら名前が刻まれてるかもしれないのだけど、流石に展示品なので動かすことはできないらしくて、残念ながら確認はできずでした。でも、当時に確かに自分たちの事業が存在して、名が知れるくらい良い製品をつくっていたこと、日本の基幹産業を支えるような仕事をしていたこと、そういう事実が分かっただけでも、会社を継いだ自分としては大変に誇らしく、また自分もご先祖や今まで会社を支えてきたくださったみなさまと同じように、世の中のお役に立てるような仕事をしなければいけないのだなと気付かされました。
学芸員さんから「昔に蚕糸業をやってた古民家の蔵に行けばまだまだ眠っているものはあるはず」と教えていただいたので、今も暇を見つけては骨董市に行ったり古道具店に行って探し続けています。130周年の時にはまた新しい史料や遺産が発掘できているといいなあと思っています。
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側島製罐120周年社史書籍プロジェクト。
缶を愛する人に届ける、120年つくってきた缶のこと。
https://motion-gallery.net/projects/SOBAJIMAcanCOMPANY-120th
側島製罐株式会社
代表取締役 石川貴也
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