「終わりなき」ロードムービーの「始まり」とは。志津野雷・インタビュー
vol. 9 2020-11-15 0
上映の度に、生演奏があり、映像が編集され、その場にいないと体験できない。
「終わりなきロードムービー」の始まりは?
そして、生まれたことで起きた、新しい化学反応は?
クラウドファンディングに合わせて、監督、志津野雷にインタビューを行いました。
是非最後までお読みください。
そして、是非まだ作品をご覧でない方に、こんな熱量ある作品であることをお伝えください。
【志津野雷(以降R)、聞き手:大倉曉(以降A)】
R
はじまりは、阿波踊りの動画を、nao(☆.A/NAOITO)がこの動画を使って「音楽を表現する」っていう話が出て。
自分が主体的に撮っていたり何気なくとっていた作品がこうやって面白がってくれるんだ、ってのいうのが新鮮だった。
それなら、と、これまで の動画を引っ張り出しながら、提案するようになった。
それを続けて行くうちに、CINEMA CARAVANや、ライブの賑やかしになった。
それが始まりかな。
5年前に始めた時には、自分が何をフォーカスして撮ってきたかを、ストーリー仕立てのように一個一個のテーマ分けしたんだ。
最初は「水」「都市」「営み」の3つのテーマだった。
どんどん細分化していって、「祭り」の集う強さ、「光と影」伝えづらい事実を入れたりして。
今の形に至っている。
A
最初から一貫して水がテーマではあるんだけど、そのパーツセクションごとのセットの組み方はやっていく中で見つけたんですか?
R
公開編集みたいな感じだよね。
動画の素材をライブでスイッチングして
「これからこういう作品をつくっていきたいんだ」
とみんなに示すような公開たたき台みたいな。
そういう自分の発表という形は、1年目の映画祭から、LIVEでやっていたから、ずっと続いてきたことでもあるかもね。
A
1年目から映像のプレゼンテーションはやってたんですね。
R
そうだね。
その時、最初は、栗林隆から声をかけられて「YATAI TRIP」をドキュメンタリーとして撮って欲しい、というオーダーだった。
カメラマンの俺に映像を撮って欲しい、という面白いな、というオファーだった。
A
それまではあまり映像作品は撮っていなかったのですか
R
作品としては撮ってなかったね。Playでも使ってるけど、ジンガロとか、ずっと撮ってはいた。
A
写真家が映像を撮るって、どういう気分なんですか?
R
写真が動き出す。
ということに面白みを感じてさ。
バチっと写真として決まったカットが、その後動き出したら面白いな、って遊び感覚で撮りだした。
「写真的な動画」という感じなのかも。
A
元々スチールのカメラマンだった人が、ムービーを撮るようになり、これを実験的にで出てたものが仲間はフックアップして。音を合わせるようになったのですね。
R
そんな感じだね。
逗子海岸映画祭でも、人が作った映画だけじゃ面白くないじゃん。
だから、自分たちの映像作品も流そうって。
韓国の「YATAI TRIP」上映の時は、トークショーもして、韓国のイメージが五感で楽しめるように。逗子の韓国料理屋にサポートに来てもらって、肉とお酒も用意して、会場中韓国!
そこまで演出できる映画館って面白いじゃん。
A
「YATAI TRIP」は自分が監督ではないじゃないですか。
CINEMA CARAVANの場の主催としての活動に加えて、映像の監督になる。
立場や動きの変化に合わせて、雷さんの中での変化や、撮り方が変わることはありましたか?
R
やーすごくあるよ。
今までは、撮って終わりというのはほとんどだった。
撮った人に、思い出すらも送らないっていう。
カメラマン的にはよくないやり方だった。
栗林隆みたいにアートで生きる人を見て、旅を重ねる上で、悩みだったり、苦悩みたいなものを世にちゃんと最終的に作品に落とし込んでいる姿を見てすごいなと。
最初は、よく喧嘩もしていた。
けどその時は、ただ単に、自分がそこに対しての意識が追いついていなかっただけであって。
彼は真っ当なことを教えようとしていた。
彼に出会ってから、やっと理解できるようになっていった。
その頃かな、写真に対しての自信も固まってきてのは。
ちょうどCINEMA AMIGOやCINEMA CARAVANを立ち上げて、5年ほど経った頃。
写真も溜まってきた。
場としても生きてきた。
表現としてもまとまってきた。
3つの要素が固まってきたことで、方向性が見えてきた。
仲間とともに、ゼロからの場づくりができる。
これは、他のカメラマンとの差別化にすごくなるなと気づいた。
これまでは、当たり前にやってきたけど、本当はすごく貴重でありがたいことで。
他の映画を流すのではなく,自分たちの作品を場と一緒に打ち出す。
それが、自分の強みでもあり、CINEMA CARAVANの強みだと見えてきた。
A
なるほど。「Play with the Earth」の前後では、CINEMA CARAVANというチームの変遷もありそうですね。
場として強くなり、できることが増え、映像という武器が増える。
野外映画館、というまずは場所をつくることだけにフォーカスしていた時期から、プレーヤーとしても経験として幅が広がった結果、作品が生まれる。
チーム全体で関わる人の動きや質が変わったりとか,作品以外の景色の変化はありますか?
R
あるある!
誰かがやりたいと言いだしたことに対して,「これはできる」とか「やりたい」ってみんなの持ち札が本当に増えた。
映像も、最初は自分で誰にも頼らずに編集していたけど、チュンとかマサヤとか、外部のチームとかいろんな手助けが増えた。
自分が気づかないような細かいところにも手をあげて、修正してくれる人たちがいて。
みんなそんな能力があったのか。って知らなかった部分が見え出す。
それぞれの好き嫌いもはっきりしてくるし。そこがみんなのこだわりだったりするしね。
俺は逆に、CINEMA CARAVANの立ち上げからど真ん中にいるから,後から入ってきてくれた人が「ここにいる理由って何なんだろう?」「なんでいてくれるんだろう」って思うことがある。
逗子の映画祭になると、主婦もいたり,子どももいたり。
彼らからも気付かされることもたくさんあるよね。
居心地の良さもあるけど自分の能力じゃないところで自分を知れるきっかけを作ってくれる。
がいいチームの良さかなって。
A
人と人との向き合いな部分はすごくありますね。
組織とかコミュニティでは,肩書きが見られるじゃないですか。
どういう会社にいるとかどういうことをやっているとか。
けど、CINEMA CARAVANではそういうのは通用しない。
フラットに人と向き合い、全体の中での自分の役割とか,自発的に見つけていく。
そういうコミュニティってありそうでないって思います。
損得勘定抜きでやってることばかりだから、よく10年間もこういうグルーブで続けられてるなっていう尊敬もするし笑
僕は写真集「on the water」をつくる時から参加しはじめたから、ある意味ちょうど「Play with the Earth」が生まれる前夜からなんですよね。
ある意味、第2期のCINEMA CARAVANしか知らないけど。
R
「Play with the Earth」は確かにCINEMA CARAVANの第2ステージみたいなものだね。
俺たちの中では、白川郷の体験が本当にデカい。
イベントという、花火みたいに単発なエネルギーでやってくところから,継続性とか,何のために、とかやる意義、どうせやるならばどうしようかと、悩んでいるところだった。
現地の通過型観光地の体験を変えたい、ってお題だったり,僕たちもアーティストインレジデンスみたいに、滞在して作品をつくることで,地元の人たちと交流したり,意見交換しながら,
実際に映画館を開いて,どんな費用対効果や反応があるかを考えたり。
成功かどうかは今だにわからない。
けど、ターニングポイントに近いイベントだったと思う。
アキラをCINEMA CARAVANに呼んだのが,第2期の始まりだな。
それまでもそのポジションをお願いしていた人はいたけど,なかなか固定しなくて。
CINEMA CARAVANに欠如していた役割だったから、いてくれたら、次のステージに行けるだろうなって確信があった。
A
なるほど、そういう風に考えたことなかった笑
ありがとうございます。
個人的には、立ち位置がどういう風でいいのかなっていうのは,悩み続けているところはあって。表に立つ役割や人間でもないし,クリエイターやアーティストではない。
いていいのかなーって思うことはよくあります。
R
そんな発信する人だけがアーティストではないと思う。
コロナでさらにその意見は確信的になったけれど、チームを動かすこと自体も、クリエイティブなんですよ。表にいるとか裏とかでなくてさ。
イベント当日だけがCINEMA CARAVANの表ではなく。
その過程である、このコミュニティが自立するための船づくり。
そこに関わっている人を含めると、常に誰かに光が当たっている。
それぞれ生き様を決めている中で,このチームにいてくれているっていうこと自体が,覚悟を決めた連中・侍が集まっているんだよね。
それぞれの人間力が試されている。
A
そうですね。
その成果というか,現象としてのCINEMA CARAVANにいるんだな、という思うようになったんは、ほんとこの半年とか、1年かな、個人的にそういう手応えがあるのは。
特に、AMIGO HOUSEという、今年、ひとつの新しい形、これからの新しい船に関わった、というのが大きいかも。
AMIGOやCINEMA CARAVANに、自分なりの新しいフィードバックを持っていけるな、と。
この場所もまた、1つの作品であり現象なんだと。
R
俺にとって「play with the Earth」っていう作品は、生きる根底として、どんな場所でどんな仕事をしていようと、覚悟というか、自分なりのマナーを表現しているんだと思う。
50分の中に詰めた思いを、少なくともCINEMA CARAVANやオーケストラのメンバーは、少なからず共鳴してくれていて。
チームとして、目指しているんだよって言う一つのコンセプトになっている。
その先に、食だったり、コワーキングオフィスだったり、ホテルをやったり、みたいな。
「Play」ってフィルター通してつながっていれば、本質をわかっている人が、一緒に仕事をしたり、CINEMA AMIGOやAMIGO HOUSEに来てくれる、みたいな。
A
確かに2017年の逗子海岸映画祭の最終日に初めて上映して、終わった時のみんなの一体感がすごかった。
何人かが
「志津野雷のやりたいことがやっと理解できた」っていう言葉がすごく印象的で。
これまでチームとして時間を多く費やしてきたとしても、わからなかった部分。
それを映像と音楽を通して共通体験ができた。映画の本質的な体験なんだなと。
R
そうそう。
あの時やってよかったなと思うのは、身内である、映画祭の前から知っている、縁の下の力持ちのよな人たちが、ようやく理解してくれて、ハグしてくれた時。
7年目、毎年逗子海岸で映画館をつくって、やっとplayのコンセプトがみんなの腑に落ちた。
少しずつ、その先の人に伝えていくことができればいい。
A
そう意味では、共通言語みたいなものかもですね。
R
そうそう。
写真、映像、音楽っていうのはわかりやすいよね。
ブランディングっていうのかな、これだ!って伝える手段として作品なのかもしれない。
ーEndー
(文章・編集:大倉曉、志田彩佳)