今野裕一郎×松本一哉 対談②
vol. 7 2019-07-09 0
バストリオ・今野裕一郎×音楽家・松本一哉 対談
場所の力、関わる人々との中で更新し続ける『黒と白と幽霊たち』
対談①よりつづき→
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―「言葉に捕らわれない音の意味。」
松本:バストリオの作品っていろんなことが起こるから一回観ただけでは、理解とかするの難しいと思うんやけど、
今野:まあね、情報量多いって言われちゃうんだよね。
松本:まあ、観る側ではないけど、こんだけ同じバストリオの作品をやることで、より理解できることがあったり得られるものが次々あったりして、なかなか稀有な体験だなあ、と思う。
今野:情報が多いのは、ほんとムズイですよね。捉え方はお客さん1人1人違うんで。
松本:俺の場合って、聞く人によるんだけどめちゃくちゃ人に想像力を働かせてしまうから、俺のソロのパフォーマンスとかみて、「すごい考えが膨らんだ」って言ってくれる人もおるけど、本人別にそんなことあんま考えてない。ただ音きいてりゃいい。きもちいい音とか、ただそれを続けていけたらいい、ってだけだから。でも、これほんとよく言ってしまうんやけど、言葉ってほんと強いから。意味とかさ。
今野:それは実はたぶん、お互いさまっていうか、音って強いっすからね。その人がどこに焦点合わせているかによって、別のものが強く見えちゃうってだけなんじゃないかな。たぶん言葉使っている人からしたら音の強さを感じている。例えば、“死ね”みたいな言葉があったときに、それを“すごい生きてほしい”と思って、発するみたいな。“例えば”ってことをやるんですけど。ま、音なんですよ。そうなると。ある意味。んで、意味に捕らわれている人は情報としてそのまま受け取っちゃう人もいるし、ある意味もうちょっとその人の捉え方やその人の器が広がるから“あれ、もしかしてこの人死ねって思ってないのかも”ってことまで、想像していくっていう可能性になってくるから、結局、言葉だけにウェイト置いている限りはそこから出れないっていうのは役者みててもいつも思うし。
松本:やってる最中あんまり意味を考えていないけど。
今野:追っちゃうと間に合わないというか。追っちゃったらと閉じ込められる。バストリオは、いかにそこの気配消していくかってことをやるんですけどね。どうしてもあえてここわざと重くするみたいなことする、フェイクだったりするやり方とか。
松本:自分もあるわ。
今野:例えば、びっくりするような大きな音を出すのは、戦争のこわさを表現したいんじゃなくて、その後の静けさ聞かせたいだけってことの意味が伝わりづらいとかね、そういうのってほんとムズイですよね。そこに捕らわれちゃってる人はもう静けさに行けなかったりするじゃないですか。そのとき震えてるってことになっちゃうし。
松本:銅鑼の音でくらっちゃった人はそれ以降、俺がなにやっても聞いてないから。
今野:ずーっとそこに停めたり、留めるのはやり方としてあるけど、その辺の逆のこととか全く違う可能性とか、いっそそこをよそ見させたいみたいなことも含めた可能性をけっこう求めている。ってかそれを作り出したいみたいなところがあるから。ムズイっすよね、そのあたりね。ベタに捉えるひとはベタなんで。実はもう、すごくひねくれてるって普段言われちゃってる人がその作品真正面から捉えて感動してたりするってこともあるし。
―「自分も、お客さんも共に成長していく作品」
松本:いつぞや言ったかもしれんけど、作品のこと知れば知るほど、やればやるほど、できた話やな、って思う『黒と白と幽霊たち』。
今野:あ、ああ。それは、ね、嬉しいっすけどね。
松本:自分の価値観とか目指しているものとか、普段悩むこととか、そこがやっぱ抽象的に表現されている部分が大いにあるけど、ゆえに、あーこれあれやな、とか、置き換えれたりするのがすごいあって、なんかもうやってたんですねっていう状態。で、その中にも自分は既にいるし、んー、なんやろね、たぶんやればやるほど、自分が一人でやってることもあって、そこを積み重ねれば積み重ねるほど、またバストリオとやるぞってなったときに、感じ方が変わったりする。ま、なんかこれを読む人ように言うなら、黒白を何回もみたほうがいいよ☆っていう。
今野:笑。そうっすね。
松本:共に成長していける作品って、あんまりないと思ってるから。それは音楽でもそうだし、やっぱ人の価値観って変わっていくじゃん。だけど、
今野:変わっていく。
松本:なんか根本というか、なんていうのかな、んーなんか言葉にちょっとできないけど、そういうものがある作品っていうのは、ね、うわべはいっぱいあるけど、ちょっとよくできた映画みるとか。それってさ、ま、同じことかもしれないけど、ま、今野君がさっき言ったように、観る側が成長していったりとかアンテナ立ってたら気付けたりすることではある。うん、黒白もね、もしかしたら観る人からみたらそうなっちゃうかもだけど、その要素がやっぱ強い。
2016年京都・極楽寺
「命削って作ってきている。なんていうか“生きてるもん”にしたいから。」
今野:自分にとっては作品づくりは命削って作ってきているっていうか。なんていうか生き物にしたいから、生きてるもんにしたいから。そんな簡単にできるわけない、ことをしたい。パッケージされた商品だったり、コンテンツつくるのはやれるかもしれないけど。自分で最初から枠もつくるし、それを動かせるようにしたいとなるとやっぱり、まともなかんじではできないっていうか。だから終わったときに、みんながパーンって切り替えていったときに寂しい想いを昔はしてて、「みんなそんなに本気じゃないのかな」って。「ここでやってることって、そんな簡単に消していいことじゃないんやけどな」みたいなのが常にあって、なんか、彷徨うっていうか残っちゃうんすよね、自分に痕が。だから結局、じゃあ次の作品って切り替えるわけじゃなくって、どっかそこで残った遺伝子みたいな細胞が、次の作品に絶対入ってる。
松本:続けるっていうのはそういうことやと思うし、自分に置き換えることもできるけど、特殊やなって思うね。
今野:上手に作れるけど、俺のやることじゃないんですよね。全然。
松本:わっかるぅ。
今野:で、それはじゃあ、やれないんじゃないのってこともあると思うし、それはどっちでもあるかもなって。ある意味やれないし、やらないから、なんでかっていうと自分でやってった先がそこだったから。黒白はそういう意味でも作品が自立している。それこそ、作品自体も独立してて、すごくいろんなところに連れてってくれてるし、ツアーにまわって、ツアー先で出逢ったお客さんたちの存在もでかい。
―「人に出逢うためにツアーで地方をまわる」
今野:大分県での公演の話なんですけど、当日僕らが着いて「お客さんが全然入ってない」って聞いた後に、ピリピリした時間流れましたけど、最初に現地でリハやったんすよね。通しを現地の人に観てもらってそれでみんなでお客さん呼べるように頑張ってもらえるかもしれないからやろう、ってなって、やって、通した後、みんなまあ拍手とかしてくれたけどあんま反応無いのかなって思ってた。けど、休憩中飲み物買いに出たら、カズマリッチさん(大分県でお世話になった方)とかが階段ですごい勢いの電話しまくってて、「これ絶対みないといけないから!!」って俺らの居ないところでやってるの見た時に、あ、届くなあって思った。それで席が埋まったじゃないですか。あれ、やっぱりすごいなって思った。ぼくらの力でもあるし、作品の力があそこまでで育ってきてて、なにが起きても、いけるって。
2017年浜松・福厳寺
松本:そういうのもあるね。地方を回りたいっていうのは、自分なんかは最初はリリースしたCDを売りたいという目的ではあったけど、実際まわってみたら、後々みえる事があったから。
今野:コントロールできないっていう体験を自分的にも作品的にももらえるっていうのはやっぱありますよね。
松本:作品つくったりパフォーマンスする上で、コントロールしきれない部分ってのは、どうしても作りたいというか、どうしても生み出したいから。
今野:ほんとに、それはね、余白だから。
松本:それは場所の力とか、やっぱりその関わる人の中で生まれていくもんで。地方ってそれがダイレクトにでる。
今野:もちろん関東(バストリオの拠点は東京)もだけど、地方は地方の良さで黒白をもっと見出してくれた。
2016年大分・AT HALL
松本:今年も8月15日にやる。広島で。こういうのが年に一回あるっていうのは。去年やって更新されていくものがあるじゃん。これ、ここまでやったんだから、もったいないっていったらちょっと違うんだけど、なんか、まあ、関わる人ももちろんそうだし、全部うまくやっていけたらいいなと思う、黒白は強くそれを思う。
今野:それは大事。
松本:夏休みにおばあちゃんちに帰る、じゃないけれども、初心忘れるべからず、じゃないけど、そういうのもあるし。続けていきたい。