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「久比 小さな暮らしの芸術祭」の開催をクラウドファンディングで実現!

見つめる、私の暮らし『久比 小さな暮らしの芸術祭』

瀬戸内海に浮かぶ大崎下島の谷間の村「久比」。島の外からやってきた私たち。久比の暮らしで感じる「違和感」を面白がって捉え、他者の感性や考え方を受け止め自分に立ち返ることができる場を久比の人々と参加者とともにつくる芸術祭。

FUNDED

このプロジェクトは、目標金額400,000円を達成し、2024年4月30日23:59に終了しました。

コレクター
65
現在までに集まった金額
450,000
残り日数
0

FUNDED

このプロジェクトは、目標金額400,000円を達成し、2024年4月30日23:59に終了しました。

Presenter
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広島県呉市大崎下島の久比の暮らしに魅力を感じた福島大悟、飯田夏、延岡空の3名を主要メンバーとして、「久比 小さな暮らしの芸術祭 」を企画運営しています。

  • 広島県
  • 起案数 1
  • 応援数 0
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  • フォロワー 6 人

私たちが感じた久比の「異和感」 #1 歴史の当事者である私たち

vol. 2 2024-04-19 0

みなさん初めまして。くびげえ実行委員の延岡空です!

今回は、私が久比を訪れた経緯と併せて、久比で面白いと思ったエピソードや久比で感じた違和感について書いています。「久比」がどんな場所なのか私目線で綴った文章となっているので、ぜひ最後までお楽しみください!!

久比の海で笑う筆者

プロフィール

2002年生まれの22歳。この春、広島大学総合科学部を卒業し、広島大学大学院(文化人類学系)に進学。大学1年生の夏、同級生の福島大悟の誘いを受け、初めて久比を訪れる。大学3年生の時、学校の授業で久比を再訪し、久比の歴史や日々の営みについての話を実際に久比で暮らしている人から聞くことに面白さを感じ、久比に関する卒業論文を書くことを決意する。大学4年生の夏から久比でのフィールドワークを開始し、久比の人々が日々の暮らしの中でどのようにして昔の記憶を思い出しているのかをテーマに研究を行う。研究の一環として、久比のおばあちゃんたちと久比で伝統的に利用されてきた平釜で煮しめを作る「平釜煮しめ会」なども企画。

久比を訪れた経緯と研究のスタート

私が初めて久比に来たのは2020年の8月、新型コロナウイルスが猛威を振るっていたころでした。大学の同級生で既に久比で活動していた福島大悟に誘われ、久比を訪れました。初めて久比を訪れたときの印象は、「家がぎゅうぎゅう詰め(久比は隣家との距離が近いです)」「虫多くて嫌」「ボットントイレ最悪」「山と海きれい!」といった様々なものでした。感染防止のため、地域の人とお話することはできませんでしたが、広島市の住宅街で生まれ育った私にとっては新鮮な経験でした。

初めての久比 左から二番目が筆者
まだあどけなさが残る

その後もイベントや大学の授業など、度々久比を訪れる中で、久比の雰囲気を気に入った私は、久比で卒業論文を書くためのフィールドワークを行うことにしました。

(久比で研究しようと思った理由や研究内容については、話が長くなってしまうので今回はカットします。フィールドワークの様子についてはよかったらこちらをご覧下さい!!)https://note.com/mamena_pj/n/n6b347f5229ad?magazine_key=ma30c26551015

煮しめ会の準備のための井戸端会議
人生で一番おばあちゃんたちに囲まれたひととき

久比の「へー、面白いなあ」エピソード

そんな私が久比で感じた異和感についてお話しする前に、まずはその「異和感の種(へー、面白いなあ)」となった、フィールドワーク中の一つのエピソードを紹介したいと思います。

それは、あるおばあちゃんの家の軒先で何人かのおばあちゃんとお話していた時のことです。私は次に予定があったので、「そろそろ帰りますね」と皆に声をかけました。するとあるおばあちゃんが「便(びん)もろうて帰るわ」と言いました。それに対して別のおばあちゃんが「脇櫓(わきろ)をしない※」と返すと、皆が笑っていました。

※「しない」とは久比弁で「しなさい」と言う意味です。

さて皆さんも、この会話の意味やどこに面白さがあるのか考えてみてください。どうでしょうか。わかりましたか?それでは答え合わせです。

この「便」とは船の便のことです。久比ではかつて柑橘栽培が盛んに行われていて、その勢いは島内にとどまらず、島外へと出作を行っていました。そして出作の際、同じ島に行き来する人同士で船に乗せ合っていました。「便をもらう」とは、出作で行き来するときに船に乗せてもらうということです。この状況では「帰ろうとする延岡に便乗して私も帰るね」という意思表示をするために「便をもろうて帰るわ」と言ったわけです。そして、それに対する「脇櫓をしない」という言葉。「脇櫓」とは、「櫓を漕ぐ」といわれるあの櫓のことです。つまり「脇櫓をしない」とは、船に乗せてもらうのなら櫓をこぐ手伝いをしなさいという意味であり、出作を示唆する「便もろうて帰るわ」という言葉に対する粋な返答、いわば「久比ジョーク」なのです。

昔の伝馬船
久比の対岸にある三角島に渡る様子

なんて洒落の利いたやりとりなんでしょうか。ただ、私はこの会話を聞いたとき、どういう意味なのかがさっぱり分からず、おばあちゃんたちに話を聞いてようやく面白さを理解することができました。

それからというもの、いつかこの「久比ジョーク」を言ってみたいという想いがあり、このエピソードは深く心に留まっています。そのためか、その後の調査で聞いた話の中で出作に関するお話はよく覚えています。「港が船でぎゅうぎゅうじゃったんよ」「農船の音でうるさかったけえ、大声で便もらえるようにお願いしちょった」「空や雲を見て風をあてよった(船移動のために風を読む)」などなど。

こうして会話を重ねるたびに、「出作ってこんな感じなんだ」「皆が大声で叫んでいた様子ってなんか面白いな」「船で移動して農作業ってパワフルだな」というような「へー面白い」が私の中で蓄積されていき、当時の出作のイメージが頭の中で少しずつはっきりとしてくるようになりました。今、このエピソードを振り返ると、出作に関する地域の皆さんの話声が脳内で再生され、初めて体験した時よりもイメージ豊かに、このエピソードを楽しむことができます。それはこのエピソードだけにとどまりません。何度も久比を訪れる中で、久比を訪れた当初よりも少しずつ久比の方々と同じイメージを共有しながら会話に参加できているという実感を得るようになりました。私はこのことに、何とも言い難い、じんわりと胸の中に広がっていくような喜びやうれしさを感じました。

久比で感じた「異和感」

この喜びやうれしさはなんだろう。なぜ感じたのだろう。

新しい知識を得られたから?おばあちゃんと仲良くお話できたから?

もちろんそれも理由の一つだと思います。でも、もっともっと心の深くに染み込んでいくような満足感というかハッピーな気持ち。その源泉はそれだけではないと思いました。この気持ちはどこから来たのかを探るため、私自身のこれまでの生活と向き合ってみることにしました。

私が生まれ育ったのは広島市内の閑静な住宅街です。周りにはスーパーやコンビニ、飲食店や公園があり、交通アクセスも良い街です。大学進学までの18年間、私はそこで不便のない生活を送ってきました。

地元を離れ、新しい土地での生活に慣れてきた頃、授業で「地元は好きですか?」と問われたことがありました。引っ越しをしてから地元のことを考える初めての機会でした。その時の率直な感想は、仲の良い友人もいるし便利で慣れ親しんだ街なんだけど、愛着があるかといわれるとそこまででもない、というものでした。自分が地元に対してそれくらいの思い入れしかないのかと気づき、寂しい気持ちになったことを覚えています。

地元の思い出はあるけど、思い入れはない。なぜ、そのような気持ちになるのでしょう。

改めて久比での暮らしを振り返ってみると、久比では上記のエピソードからも垣間見えるように、何世代にもわたって営まれてきた衣食住の知恵や知識、暮らしに関する思い出が幾重にも重なり、歴史や文化が織りなされています。

「久比ジョーク」には、長らく出作を行ってきたこと、船移動が当たり前であったこと、出作民同士で船に乗せ合い協力していたこと、出作をしなくなってからもジョークを言い合っていることといった歴史的・文化的背景がみられ、地域住民たちはその背景を共有しています。暮らしの知識や思い出が地域住民の間で共有され、織りなされてきた歴史や文化が、今まさに目の前で顕現している。こうした歴史や文化の重厚さ、また地域住民が歴史や文化の当事者として存在していることが久比の特徴だと思います。

庭先で煮しめを炊いている
昔はもっと大きな釜で炊いていたそう

一方、地元での思い出は、せいぜい学校、公園、ショッピングセンターというような特定の場所や、家族や友人といった特定の人に対するものです。地元の街の歴史や文化、その街で受け継がれてきた暮らしの知恵や知識に関する思い出はなく、そのため街自体への思い入れは浅いのだと考えられます。

もちろん、私の地元には歴史や文化というものが存在しないというわけではありません。でも、18年の生活の中で、地元の歴史や文化を垣間見ることはありませんでした。歴史や文化に触れるとしても、学校の授業でさらっと聞くだけ。地域についての話を聞く機会もないし、話を聞こうにも知り合いのご近所さんなんて一人か二人しかいません。

私は、地元の歴史や文化に地元に生きる当事者として属することはできませんでしたし、そもそもそんなものがあることさえ知りませんでした。私が地元に対して感じた寂しさの根源はそこにあり、それは久比での暮らしを通じて明らかになりました。

また、久比での暮らしで感じた喜びやうれしさは、地元に対して感じた寂しさの裏返しとして現れてきたのだと思います。

久比に存在する「受け継がれてきた暮らしの知恵や知識。その土地で暮らしてきた時間」という縦糸と「今、まさに思い出を語ってくれている人。その人たちとのつながり」という横糸。この縦糸と横糸が織りなされて形作られる重厚な歴史や文化に、自らが当事者として編み込まれているという実感。地元では感じられなかったその感覚を感じることができたことで、喜びやうれしさが生じたのだと思います。

もちろん、これまでに私が経験したことは久比の歴史や文化の一端にすぎません。それなのに久比の歴史や文化に当事者として自身が編み込まれていると感じることはもしかしたらおこがましいことなのかもしれません。それでも、久比初心者としての謙虚さを忘れず、常に学び手の姿勢でこの感覚の芽をゆっくりと育んでいきたいと考えています。

くびげえ開催にあたって

今回のくびげえは、私が経験したように、久比の暮らしの面白さを通じて自分自身との暮らしの違いを発見し、そのうえで自らの暮らしについて「立ち返って考える場」にしたいという私たちの想いが込められています。人によってどこを面白いと思うかは様々です。くびげえでは多様な人から見た久比を共有し、さらに自分自身の問いや考えを発展していこうという試みでもあります。私たちくびげえ実行委員も、参加してくださる皆さんが久比のどんなところに興味を持つのかとても気になりますし、お話しできるのを楽しみに待っています。

ずいぶん話が長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。それでは皆さん、次はぜひ久比でお会いしましょう!!

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