エツツからの手紙
vol. 3 2016-09-14 0
エツツは、パソコンを持っていません。
これまでの作品集に関するやりとりは、いつもパリから手紙が届き、ときどき電話をする。
そうやって少しずつ進めてきました。
今回プロジェクトを立ち上げた後、エツツからの直接の情報発信が少ない、もっと生の声をききたいというご意見を頂きました。でも、エツツはパソコンがないから...... とわたしたちは思っていたのですが、そうだ! いつもみたいに手紙を書いてもらえばいいんだ、と思いつきました。
今日、岡山のアーティストインレジデンスに滞在しているエツツから手紙が届きました。とても長い手紙でした。その細々とした文字の合間から見えてきたのは、照れ屋な彼女が、今までなかなか語る事がなかった本当の思いでした。彼女が今までどう生きてきたのか、彼女にとってアートとは何か、そしてなぜいま作品集なのか。
ぜひ読んでいただけたら嬉しいです。(写真の下に、こちらで活字にした文章があります)
<エツツから届いた手紙 ※原文のまま掲載しています>
私はアートブックが大好きです。本物は高くて買えなかったりすでにだれかが所有してたりしても、作品集はコンパクトで場所や時間も関係なく、好きなときに好きな作品の世界に入りこめるところがよいのです。パリに移り住み、私のアーティスト人生が始まってから15年たちます。ほぼ毎日絵を描きつづけ、数えきれない数の作品が生まれていきました。そしてありがたいことに、それらの作品はほとんど私の手元に残っていません。もともと自分が所有するために作品をつくっていないので、これはとてもよいことなのです。でも、いろんな人たちに過去に描いた作品もみたいと言われ、いつか、自分の作品集を作りたいと思うようになりました。サイトじゃなくて、作品集です。私はアナログ人で、どーしたって今どきの考え方ができません。それに、作品集だと人の所有欲ってのも満たされると思うのです。でも私は、所有欲がありません。と、思います。なのでちょっと説得力がありませんね。でも所有するってお宝を持ってるという気分になってちょっとワクワクしますね。
私にとってアートはまさにワクワクするものなのです。小さい頃からそうでした。美術本をみたり、美術館で実際に絵画をみると、ワクワクと心がとっても良い感じによろこぶのです。すべてが、うまくいく、という気持ちになるのです。ですから、私の作品をみてくださる方には、そのようなことを感じて頂けたら大成功なのです。
しかし実際アーティストとして生きてゆくということになると、作品にもさまざまな影響があることを知りました。人生っていろんなことがあります。良い事も、悪い事も。それらがちゃーんと絵の世界に表れちゃうんです。これは、リアルタイムには気づけなくて、のちに客観的に作品をみれるようになった時によく解るのです。
私の場合、パリに住み始めてまもなく59リボリと出合い、その年の終わりには、ギャラリーと契約、その後あっという間に、パリに3つのギャラリー、モンプリエ、ロンドン、アメリカ、計6つのギャラリーに展示させてもらえるようになり、アートサロン、アートフェア等にも参加できるようになりました。今思えば、本当に奇せきとしか言いようのない出来事でした。ここまでは有緒さんの本に書かれたとおりです。しかし、それには続きがあります。当時フランス語がほとんど話せなかったため、ギャラリストたちとのコミュニケーション、展示会のプランニングなどがうまくできず、ギャラリーの求める作風と私の求める作風との間にちがいがでてきたときに、上手く話し合うことができませんでした。
ギャラリーが求めるものは今までの作風、自分の中では、もうそれ以外のことがしたいと思うようになってきたのです。それでも次から次に展示会はやってくる。そのために作品を作らなくてはいけない。なんだか自分は自分の作品のコピーを作るロボットのように感じるようになり、全てをやめてしまいたくなったときがありました。そうこうしているうちに、フランスのアートバブルが終わり、次々と契約していたギャラリーが閉まっていったのです。
最初のうちは、これでのんびり自分の好きな作品づくりに集中できると喜んでいたのですが、それもつかの間、こんどはお金のなさで苦しむことになたのです。不況はリボリにも影響を与え、作品がなかなか売れなくなってしまいました。自分の好きな作品づくりだけしたらいいと思っていたのが、お金がないことへの心配が作品の中にも投影されてしまったのでしょうか。なかなか売れず、制作もはかどらなくなりました。絵を描くことが楽しくなく、辛くて苦しい作業になっていたのです。
今思うと、そりゃそうだろうなと思うほど、黒くて暗い絵でした。そんな年が数年間つづき、しまいには病気をわずらってしまいました。なぞの腹痛が毎月10日間くらい続くのです。鎮痛薬を飲みすぎるのはあまりよくないと思いがまんしていると、痛みのことしか考えられず、なにごとにも集中できなくなってしまいました。お金がないのでお医者さんにみてもらうこともできず、身体もどんどんすさんでいきました。
それでも、私は人はみんな得意なことがあって、それで、お金をかせいで生きてゆくというのがいちばんだと思っているので、その意思をつらぬきたい思いもあったと思いますが、私のビザでは自分の作品を売ることでしかお金をかせぐことができないので、その頃はピーナッツでおなかをみたしたり、そのころ住んでいたブルちゃんの造ったエコハウスの庭でとれたトマト、それがなければ野草などを食べていました。
身体と心理とたましいはつながっていて、このうちのどれかひとつがこわれると、それいがいのふたつもこわれていくという話しを聞いた事がありますが、そのことを身をもって解ったときでした。そんなときに、とてもお世話になっている友人が病院代をすべてふたんしてくれ、子宮きんしゅがあることがわかり、ピルを飲みはじめいままでの苦しみはなんだったのだろうというくらい、すっかりよくなってしまいました。それからすべてがすこしずつ変わりはじめたのです。
まず気持ちが明るくなり、今までブルちゃんがどれだけ私をささえつづけてくれたかということに気がつき、感謝の気持ちでいっぱいになりました。そして、すこしずつお金がはいってくるようになったのです。そうなると、さらにうれしくなり、作品づくりも楽しくなってきました。頭をこねくりまわしてつくるものではないということを思いだしたのです。
フランスに来た当初の感覚がよみがえってきました。人は、たましいの成長のために生きているといいます。そのたましいの流れはらせんかいだんを登っていくようなかたちだという人もいます。私もまったくその通りだと思っています。人は、くりかえすものだと思うので、おなじような問だいにくりかえしぶつかりながら、でも、かくじつに、一歩一歩かいだんを登っているのだと思います。
この15年間、どんなときも、絵だけは描きつづけてきました。いま振りかえっていままでの作品をみると、その頃の心の状態などがにょじつに表れていてはずかしいような、複雑な気分になります。私のアートは私自身のとうえいで、私は自分の生きざまをみせびらかしてろしゅつきょうなのだな、と思いました。
今回作品集をつくることになりました。きっかけは、ましちゃんの「えつつ、いっしょにえつつの本をつくろうよ」という一言でした。いっしょにやろうっていってくれたのがほんとうにうれしくて、心強くて、ものすごくわくわくしはじめたのを覚えています。私は、わりとのんきで、なにごともいつかできたらいーな。きっとその時が、やってきたのかしらんと思いました。そしてましちゃんの呼びかけにより、あっちゃん、さっちゃん、みおこちゃんにも手伝ってもらえることになりました。4人共、私の大好きな大切なお友だちです。そして、すばらしい才能とセンスの持ちぬしたちです。私がパリに住んでいることや、ローテク人間、ネットかんきょうなどから、はじめからずっと4人にまかせきりでした。私の主張よりも、作っていくみんなが楽しく、わくわく作っていけることが、一番だと思っていました。
思いかえすとこの様に本格的にプロジェクトを実行するということが、今までなかったので、自分のプロジェクトなのに、どう関わったらよいかわからず、ほとんどなにもできず、すべて実行委員のみなさんにまかせきりであること、そしてそのご苦労を考えると、ただただ申しわけなく、でもそれ以上に感謝の気持ちでいっぱいになりました。
今回クラウドファンディングをすることにあたっては、ひはん的な意見があることに直面しておちこんだりもしましたが、でもそのおかげでそのことを実行員のみなさんといっしょに話し合って、はげまし合って、さらに強い結束感のようなものを得ることができ、私自身もいままで人になにかをおねがいすることがにがてで、流れに身をまかせ、なければないなりになにかをすればいいと思っていたのですが、能動的になにかをおこすと、それには人のたすけをはずかしがらず、もとめなくてはならないことを知りました。そして、それに答えてくれる人たちがいるということも知りました。
すべて、私だけの力では、できないことです。実行委員のみなさん、そのお友だち、わたしの友だち、みなさん、ご協力いただき、本当にありがとうございます。
えつつ