【最終日】届け届け届け!
vol. 120 2021-01-15 0
119日目終了。最終日がやって来た。
もう残りわずかというタイミングですごい加速。
あっという間に150名を突破致しました。
ご参加ありがとうございます!
感動的です。
いよいよ最終日がやってきた。
始めた日から数えて120日目。
このエントリーでジャスト120回目の投稿。
日々、皆様にお届けしてきたこのアップデートも明日からは限定公開です。
コレクターページに並ぶコメントを一つ一つ読み直す。
この期間に何度も読み返してきたのに、やっぱり読み返してしまう。
その言葉の一つ一つが、体に入って勇気になっていく。
自分に厳しいぐらいの目標にしようと思っていた目標金額を達成して。
更に自分に厳しくしないとと決めたストレッチゴール。
そんな人数は無理だろうと思うような高い場所にどうしても自分は設定してしまう。
そして目標を見上げては、自分自身で難しいなぁと思ったりもして。
この120日間、毎日毎日、浮き沈み激しく、同時に自問自答を重ねる毎日でした。
そんな時に、このコメントはもう一度自分を奮い立たせてくれた。
同時進行の脚本は第三稿まで進んで。
他にも色々と考えていることを一つずつ積み上げている最中です。
多分、これからも何度も何度も壁にぶち当たっては落ち込んで、凹んで。
傷つくこともあるだろうし、闇に落ちそうになる時もあると思うのです。
でも、きっと、そんな時もこのコメントを読み返すことになるなぁ。
東日本大震災の津波警報の反省から、警報などの報道はより深刻に伝える流れが出来た。
それは確かに仕方のないことだし、深刻な災害の被害を抑えるためには必要なことだ。
それから緊急災害警報などはすごく怖い音で鳴るようになった。
けれど今はどうだろう。
緊急災害警報は今もけたたましく鳴るけれど、僕たちはだいぶ慣れてしまった。
どこだろう?なんて冷静にスマフォのスクリーンを見てしまう。
狼少年じゃないけれど、人は恐怖を克服する。
なぜなら恐怖は、生理的に生命の危機を感じることだからストレスが大きい。
無意識的にそのストレスを軽減しようとするのは人間そのもののシステムだからだ。
演劇の稽古場で緊張感が落ちてきた時に、昔の劇団だと喝を入れるタイミングがあった。
ビシッと空気を入れ替えることで、再び、稽古場に緊張感を持たせる。
けれどそれは諸刃の剣で、タイミングを間違えると稽古場そのものが駄目になることだ。
何度も怒る人は、またあいつ怒ってるよと言われるだけになっていく。
タイミングを間違えてしまえば、ただの怒りになってしまう。
毎日怒っていれば、パワハラのように見えてくる。
古い体育会系の体質の現場は、今でも恐怖で支配していたりするのだろうか。
基本的にはほとんどの現場が笑いが起きるような空気になっているんじゃないだろうか。
今、報道が必要以上に新型コロナウイルスの恐怖をあおっている。
変異型についての報道では、演出として恐怖の音楽がかかる。
あなたの身近な人に感染させてしまうかもしれないよと脅してくる。
医療崩壊ではなく医療壊滅になるなんて言葉まで出てきた。
必要以上に数字をアピールして、目に見えないものが忍び寄っていることを伝える。
それはきっと報道姿勢としては間違っていないのだと思う。
あの時、危険性をちゃんと伝えなかったから、、、と一度、指摘されているのだから。
恐怖感で危機をアピールしようとしている。
でもそれには限界があるのだと思うのだよ。
だって、去年のダイヤモンドプリンセス号の頃の恐怖には勝てないのだから。
一体、どんな病気で、何が起きるかもわからず。
治療法も、感染する方法も、何もわからず。
海外では人が道端に倒れているなんていう報道までされていて。
僕たちは恐怖に恐怖を重ねて、100人の感染者という数字で家に閉じ籠ったのだから。
人は恐怖感には無意識に対抗してしまう。恐怖に打ち勝とうとしてしまう。
恐怖政治なんてものが必ず崩壊していくように。
恐怖で人をコントロールし続けることなんて結局、難しいのだと思うよ。
だから今、恐怖であおってしまうような会見や報道は間違っていると思う。
きっとそういうことではないし、若い人は重症化しにくいという絶対的なデータもある。
僕はなんというか、思いやりで伝えられないのかなぁと思う。
飲食店が危険だと行く人に伝えるよりも。
飲食店の皆様、どうかこの補償で我慢して欲しいとだけ訴えた方がいいと思う。
若い人たちが自由にふるまうのがいけないと口にするよりも。
高齢者の皆様を思って自粛している若者を褒めた方がいいと思う。
多くの人たちが協力しているから世界から見ても死亡率が低いのですと伝えた方が良いよ。
感染の恐怖よりも、感染したら面倒だぜ、リスクあるぜって伝える方が伝わると思う。
なぜなら、そういう言葉にはストレスがないから。
そういう報道を見て、ああ、自分も美しく生きたいと思う人がたくさんいると思うよ。
恐怖感をあおればあおるほど、人は反発する。
それにおかしな形で恐怖を乗り越えれば後で現実的な疾患や精神的ダメージに残ることだってある。
楽しくっていうのは無理だとしても、思いやりで伝えることはできると思う。
コメント欄も。
SNSでのメッセージも。
このプロジェクトを通してたくさん届いていて。
限られた短い言葉でも、こんなに大きな力をもらえると実感する毎日で。
思いやりや、あたたかい言葉の連鎖が確かに存在しているのだよなと思う。
医療関係者からの言葉でもさ、すごく暖かくなる言葉とかあるでしょ。
もちろん、猫ちゃんの写真とかも。
去年はSNSの誹謗中傷が大きな問題になったけれど。
本来的にSNSは、そんなポジティブなネットワークを創るものなのだと思う。
特に今、政治的なSNSの問題が急浮上している中で。
きっと、あのヴァーチャルな世界を創っているのは一人一人なんだなと感じる。
この映画「演者」はそんな想いの連鎖から始まったのだと胸を張れる。
ギスギスした世の中で。
まだまだ先が見えない世の中で。
ここから光に向かって、希望に向かって、未来に向かって、コロナ後に向かって。
ただ楽しみなことがあったり、ワクワクしたりしようぜというだけにすぎないけれど。
そんな共感の輪が少しずつ広がった先に作品が生まれることが僕にとっては誇りです。
映画のカメラには何もかも映ってしまう。
目には見えない、その場の空気も、現場の雰囲気も。
世の中にある映画にはどんな作品でも必ず誰かの想いがこもっています。
そして、その想いを映画館で感じます。
物語や、演技や、作品のテーマや、そういうものとは別に、客席で受け取ります。
そして、誰かがその作品を自分にとっての特別な一本だと感じた時に。
その想いの正体がわかるのだと思います。
僕は、この作品の基底に流れるものを、こんな時代に光を求めてポジティブに集まった何かにしたかったのです。
ついに120日目が始まりました。
長い長い期間の最後の一日。
今も共感の輪が拡がっていることを感じています。
届け、届け、届け!!
必ず伝わるのだと信じて。
最終日の今日。
僕はずっと感動していると思います。
小野寺隆一