【残り一週間】10年前に僕は救われた
vol. 114 2021-01-09 0
113日目終了。最後の一週間が始まる。
そして最後の週末。成人式のない三連休。
災害級の記録的大雪が日本全土に広がっている。
本来なら年末ぐらいに顔合わせをして本読みをして。
そこから脚本を更に触っていきたいと思っていた時期。
その時に写真や動画を少し撮影出来ればここに公開も出来た。
年末からの感染拡大、そして、残りわずかの段階での緊急事態宣言。
まるで導かれたかのように時節が重なっていく。
いや、導かれたのではない。
秋の段階から、年末年始の感染拡大があると思ってこの時期を選んだのだから。
最後の最後にどんな冬になるのかを思ってプロジェクトページを書いた。
必ず明るい明日はやってくるけれど、この冬はもう一度戦うことになると思ってた。
今年の2021年3月11日は、あの東日本大震災から10年目の日になる。
あの日からもう10年もの月日が流れているなんて信じられないけれどそういう年なのだ今年は。
緊急事態宣言がなければ、今ぐらいの時期から復興について徐々に記事が出ていただろう。
そもそも東京五輪だって、復興五輪と銘打たれていたのだから。
あの日の事は被災した誰もが心から離れない日ではないだろうか。
今でも、あの日は何をしていた?という会話がふと出ることがある。
災害の多いこの国でも特別な規模の災害だった。
10年という月日でも復興が終わっていない場所もあるほどの破壊力。
そして、今も時折大きな地震が来て、これも余震かもしれないなどと耳にすることがある。
余りにも東北太平洋側沿岸部の被害が大きくて、原発のこともあったから印象に残らないけど。
確かに関東もあの震災に被災した。
あちこちで壁が崩れたり、屋根が落ちたり、ガラスが割れたりしていた。
停電になって、信号もつかずに大渋滞横の歩道を何キロも歩いた。
携帯電話はほとんどまともに繋がることがなかった。
家族の無事の確認だって帰宅するまで出来なかった。
帰宅して、電気が通って、ニュースを付けて飛び込んできたのが原発のニュースだった。
政府はほとんど機能していないように見えた。
僕は少し落ち着いてから、劇団の仲間たちに連絡を取った。
無事かどうか。困ったことはないか。どこかに閉じ込められていないか。
全員に返信するように伝えた。
家族と離れて暮らしている仲間もいるのだから。
そのぐらいしか出来なかった。
「○○、無事です!」というメールが次々に届いた。
そして計画停電が続き、余震が収まらない中、僕たちは稽古場に集合することを決めた。
皆で顔を合わせた瞬間、大きくて長い地震に恐怖を覚えていた何人かが大きく安心した。
東北に実家を持つ仲間は苦しそうだった。
退団して東北に住んでいる仲間の無事も確認した。
あの日、一応、稽古をした。ろくに稽古にならなかったけれど。
たくさんのテレビ番組が自粛をして、ACジャパンのCMだらけになっていて。
こんな時に不謹慎だというエンタメへの風を感じながら。
僕たちはいつも通りに稽古をすることが一番大事だと口にした。
世界中から日本を助けてくれる声が届いた。
世界中から暴徒化せずに復興に向かう日本人を称賛された。
映画「セブンガールズ」を東北で上映したかった。
戦後復興を描いた作品だった。
がれきの中から立ち上がる女たちの姿を届けたいと思った。
特に劇団員ゆかりの、福島と仙台では上映したかった。
それに、僕は確かにあの時、東北の被災地の人々に救われたのだと思う。
「エンターテイメントを自粛しないで欲しい」
ラジオから聞こえてきた歌が、炊き出しに行った芸人たちの笑いが。
多くの人々の心を癒すと声を上げてくれた。
テレビ番組は自粛をやめて、今、芝居をしていいのか?と悩む僕たちの背中を押してくれた。
僕たちはきっと世の中の人々が思うよりもずっと自覚している。
音楽も、映画も、演劇も、生きていく中で必要不可欠なものではないということを。
僕たちはこの道に進んだその日から「社会にとっては無駄」と耳にしてきてる。
社会貢献してないじゃないかと何度も何度も言われ続けている。
いつまで遊んでいるんだ?と真剣な顔で親戚たちに言われてきている。
あれほどの大災害が起きてしまえば、僕たちは吹けば飛ぶような存在になる。
でもだからこそ、自分たちで信じている。
人間が生きていくうえで重要なもののはずだと信じている。
それは、はっきりと言えば、情熱がなければ信じ続けることが出来ないものだ。
誰だって「自分は誰かにとって必要とされているのか?」と悩むように。
日々、自分たちは無駄なことを繰り返しているのではないかという疑問と闘い続けてる。
情熱のようなものがなければ、とてもじゃないけれど精神的に続かない。
そんな時、誰よりも厳しい場所にいる人たちが。
冷たい雨が降る中、体育館で集団生活を送る人たちが。
はっきりと口にしてくれた。
「エンターテイメントが必要なのだ」と。
どんなに苦しくたって、どんなに悲しくたって。
歌や、笑顔や、物語がある。
僕はその言葉で大きく救われて、もう一度、存在意義を確認することが出来た。
そして被災している関東のお客様に舞台を届けなくちゃと思い直した。
災害なんかなくたってそうだ。
心にシャッターが下りて、苦しんでいる人がいる。
どこかで誰かが笑いながら心で泣いている。
自暴自棄になって、嫌な自分になってしまう人がいる。
独りぼっちで、なんのために生きているのか悩んでいる人がいる。
別に誰かを救える力を持っているなんて上から目線の話じゃない。
救えるかどうかじゃなくて、待っている人がいるって思う。
音楽や、映画や、演劇を待っている人は必ずいる。
そしてその人たちは、何かに出会って心が動くことで自分で自分を救うのだと思う。
去年の春の緊急事態宣言の中で。
僕たちは、不要不急と言われた。
ライブハウスも劇場も映画館も閉鎖された。
自粛、自粛、自粛、自粛、自粛。
あちこちから小さな声が聴こえてきた。
どうやら耐えられそうもないな。
僕はそう思った。
イタリアでマンションの窓を開けて誰もいない街で合奏する映像が流れた。
それを見て、涙が出てくると誰かがつぶやいていた。
配信の映画を観て、映画館に行きたいと誰かがつぶやいてた。
ミニシアターを救う基金が3億円も集めた。
緊急事態宣言が開けた。
堰を切ったように、様々なステージが再開された。
誰もが喜んでいた。
その日を待っていた。
必要としていた。
夏に気付いたんだ、僕は。
また冬が来て。
同じことを繰り返すだろうと。
季節性の感染拡大はまぬがれないだろうと。
そしてその時になって、次々にまた自粛や中止や延期が繰り返されるだろうと。
今、隙間のような時期にステージをやってしまえというのは正しいことだけれど。
じゃあ、冬に何が出来るんだよ?ということに気付いてしまった。
僕は僕の道として考えていた映画を、この時期にプロジェクトとして進めると決めた。
今、やらないでどうする。
ここで立ち上げなくては意味がないじゃないか。
二度目の緊急事態宣言で心が折れる人がいるだろう。諦める人がいるだろう。
いや、もしかしたら、はいはいわかってますとどこか腐ってしまう人だっているかもしれない。
熱いと馬鹿にされるかもしれない。
青いと笑われるかもしれない。
でも30年間ずっと思ってきた。
資本主義社会のシステムの中で僕ははみだしていると自覚してきた。
精神的にギリギリになっても、情熱だけで乗り越えてきた。
僕は知ってる。全部知ってる。わかってる。
僕が駄目だったあの日も、決して失われることがなかった熱を。
耳を澄ませ。
目を見張れ。
あちこちから小さな声が聴こえる。
必ず届けなくちゃいけない。
そして必ず届く。
それが僕である必要性なんかどこにもないけれど。
それでも僕も届ける。
もう一度始まったトンネルの道を。
僕は照らす。
その先の光に向かって共に進む。
約束を果たすために。
残り一週間。
114日目が始まる。
一人でも多くの人と共に歩めるように。
これは奇跡の道だ。
情熱がもう一度奇跡を起こすことを証明する。
必要不可欠だと証明する。
小野寺隆一