僕たちは乗り越えることが出来る
vol. 107 2021-01-02 0
106日目終了。正月二日目。
新年にも伸びて遂に210万円突破いたしました。
皆様、ご参加、拡散ありがとうございます!
残り2週間となりました。
あっという間だなぁと感じてます。
毎年新年の正月はあまり遠出をせず変わらないのだけれど。
今年はやはり少しだけいつもと違っている感じがした。
前日の最多感染者数の影響もあってか観光スポットの人では減ったと聞いているけれど。
誰でも考えるような一部のスポットには人が集まっていたようだけれど。
同じように誰でも考えつくような場所には自然と人が集まる。
地元の鎮守様の周りには破魔矢を持った人を何組も見かけた。
意外なところで言えばコンビニエンスストアがいつもよりも混雑していた。
家にじっとしていることがどこまで出来るだろう。
分散しながらそれぞれの正月を過ごせればいいなぁと思う。
皆様もよい正月を過ごせたかなぁ。
美味しいものを食べてほろ酔いで寝正月というのが僕の理想でもある。
せめて正月ぐらい、たくさんの人が良い日を迎えていたらいいなぁ。
海外では正月よりもクリスマスや年末が重視されるらしい。
クリスマス休暇が始まって、大晦日のカウントダウン、1日にお祝いをしたら終わり。
だから2日から通常業務になるのだと言う。
どうしてもその感覚が僕にはわからないのだけれど。
正月三が日、そして書初めや初詣など、その年で最初にやることを一つずつやっていく。
そんな習慣がどうしても自分の身に沁みついている。
ここ数年、ずっとなんだかんだと忙しかったけれど、それなりに隙間でやって来た。
去年は舞台の直前だったし、パンフレット作製なんかもあった。
そういう意味では今年はこのプロジェクトを進めていくというミッション。
これまでとなんとなくテンポが違う感じがしてこそばゆい。
一歩一歩着実に進んでいくことだけが今出来ることなのだから。
「外出を控えて欲しい」「自粛要請をしても効果がない」そんな言葉が聞こえてくる。
医師会は政府に緊急事態宣言を提言している。
強制力を伴った形の特赦法について1月に議論が進むのだという。
この疫病禍でわかったことは、独裁政権の方が感染を封じられるということだ。
自由主義の国々はどこまで踏み込むかで、どこもあくせくしている。
日本にいたっては、ほぼお願いベースで強制力などどこにもない。罰則もない。
医療現場にいる方々の苦労はわかるけれど、僕は出来ればそのままがいいんじゃないかって思う。
人によっても、立ち位置によっても、きっと意見は違うと思うのだけれど。
外出したことで逮捕されたという海外の報道を見るとなんだか悲しくなる。
僕の目からみたらだけれど、本当にみんなよくやっているなぁという印象だ。
マスクを着けていない人なんか中々見かけない。
飲食店の店頭には張り紙と消毒が置いてあって、店員はフェイスシールド。
座席を半分にして、席ごとに敷居も取り付けてある。
電車やバスなどの公共交通機関で喋っている人もいない。
中止になるリスクを抱えながらもイベントも開催されているし、ルールも厳格。
感染者が増えているというけれど、これは季節的な増加以上のものはないんじゃないかと感じている。
Gotoがあろうとなかろうと、飲食店の時短営業があろうがなかろうが、このぐらいの数になるのは当然だったんじゃないだろうか。
むしろ、この程度の数で済んでいるのは、皆の努力の結果なんじゃないだろうか。
冬になったら、どんなに注意してもこのぐらいになると予測した上での医療現場での準備はどのぐらいしていたのだろう?
今の数字が予想以上なのだとしたら、見積もりが甘かったという意見はないのだろうか。
だって夏ごろに医療関係者たちが冬になったら必ず増えるって言っていたのに。
飲食店や、それぞれが夏から秋にその言葉を信じて細かく準備してきたことは絶対に効果があると僕には思える。
もちろんだからと言って、感染爆発が起きてはいけないけれど。
そして冬の感染拡大に向けて準備していた病院があることだってわかっているのだけれど。
とにかく、かわいそうな人を創る演出をして報道をする。
そしていつも、若い人が、夜の街が、と誰かを攻撃しようとする。
誰も言うことを聞かないとか、ゆるんでいるとか、生きている僕たちが悪いことになる。
努力している人、気を付けている人、準備をしてきた人たち。
そんな人たちもまとめて攻撃したり、そんな人たちもなんだよそいつらと怒らせたり。
そうじゃないと思う。
皆が皆、少しずつ何かを我慢して、何かに耐えている。
孤独になっている人だっている。
今、本当に必要なことは、「皆がんばってる、この冬を乗り越えましょう」の一言だ。
なんでその一言が言えないんだろうと思う。
大なり小なり、皆が影響を受けている。皆がしんどい思いをしている。
中には軽く見ている人がいるかもしれないけれど、すごい少数派だと思う。
ケシカランを探すようなことばかりが目に付いて幻滅する。
もうそういうのはやめにしてほしい。
今、僕たちは「自由」を問われている。
独裁的な国家が感染症を封じ込めていることをどう判断すればいいだろう。
国民のコントロールという言葉が平然と語られることをどう感じればいいだろう。
僕はどこかで信じている。自由が結局勝つのだと。
感染症対策でも民間のアイデアがたくさん生まれている。
国家的なワクチン生成よりも、競争をしている民間企業の方がスピーディーだった。
マスク、消毒、うがいを強制ではなく、ルーティン化していくことも出来ている。
体調が悪ければ、大きな経済的リスクがあっても、全てをストップ出来る。
統制が疫病を撃退する唯一の方法になってはいけない。
必ず自由が疫病を克服すると信じている。
身勝手だろうか。夢のような話だろうか。
けれど争いばかりが生まれるような方法は僕には耐えられそうにもない。
コンビニエンスストアのレジに皆が大きく間隔を空けて並んでいた。
レジにはビニールがかかっていて、店員さんはマスクをしっかりとつけていた。
お釣りを渡すのもトレイ越しだ。
誰かに強制されたわけじゃない。
皆が生活習慣レベルまで感染症対策を身につけている。
季節的にある程度仕方のない人数までは感染は拡がってしまうだろう。
それでも僕にはこんな人たちが疫病に負けると到底思えない。
科学も医療も発達していない遠い過去から、ずっとそうやって乗り越えてきた。
そうやっていつもと少しだけ違うお正月が過ぎていく。
分散して初詣に行ったり、お御籤を引いて、お願いをするだろう。
たくさんの絵馬に、疫病退散の願いが書かれるだろう。
大丈夫、僕たちは乗り越えることが出来る。
今、映画を製作しようと思っていることは確実にリスクだ。
ロケ地やスタッフさんの準備や手配をして、直前に誰か一人でも感染すれば中止になる。
どれだけ注意を重ねたって、感染する可能性はゼロにはならない。
ロケ地を探したって、今、県外にロケハンに行くことは厳しいかもしれない。
それでも、僕たちは足を止めてはいけない。
例え、予定が少しずつ遅くなったとしても。
一歩ずつでもいいから進んでいくしかない。
なぜなら未来を信じているからだ。
お先真っ暗と思ってなんか生きていけないからだ。
充分にビビりながら、充分に準備して、堂々と進む。
一歩進めば、一歩先の未来だ。
その道の先にあるのは、僕には希望にしか思えない。
創意工夫も必要だろう。考えながら前に前に進め。
医学的にだけじゃない。
僕たちは精神的に疫病禍を克服するのだ。
僕たちは思想的に疫病禍を克服するのだ。
先人たちがそうしてきたように。
争いばかりが生まれる場所のその正反対に立って僕は疫病と対峙する。
そこは楽しい場所だ。ワクワクする場所だ。希望がある場所だ。
小野寺隆一