オルタナティブ・シネマ
vol. 100 2020-12-26 0
99日目終了。
本日120名にあと一歩のところまで進みました!
ご参加いただいた皆様ありがとうございます!
共に歩んで頂けるように誠意を込めて日々完成までお届けする予定です!
そして本日無事100日連続更新となりました。
まったく何が起きるかわからない中で進んできました。
劇団の解散すら始めた時は決まっていなかったのですから。
日本国内も、世界も、大きく変動しています。
2020年という思い出が少なく、なのに記憶には残る年は最後まで何があってもおかしくない。
僕はそう思っています。
日本の映画産業は産業別の統計ではコロナ禍においても持ち直しているというデータがあるそうです。
でも、それはご存知の通り、鬼滅の刃の大ヒットによるところが大きいです。
ですがこの形でのヒットは色々な影響があって、他の作品でも異常な上映回数をセッティングしていたり、偏りが生まれているのも事実です。
上映していない映画館や、関係ない配給会社、製作会社は一方でダメージを貯めている。
一方では、公開できない作品があり、上映期間や回数を削られている作品があり。
そして、特に地方部のミニシアターには、地域のシニア層の会員が戻ってこないという窮地のままです。
そして大型映画で撮影が延期になっているもの、止まっているものもあります。
そういう状況ですから、製作会社や配給会社がいつ潰れてもおかしくないとも言われているそうです。
今、公開されている映画のほとんどは緊急事態宣言前に撮影されたものが殆どです。
緊急事態宣言期間に公開予定だった映画の公開延期でスケジュールが半年は遅れている。
非常に難しい時期だと思います。
もちろん、今、完全に撮影が止まっているわけではなくて動いている作品も数多くあるはずなのですけれど。
リスクもあるから、作品によっては止めざるを得ない状況でもあるわけです。
大手の映画会社に倒れられてしまっては困るけれど、やはり今の状況は映画界にとっては危機なのだと思います。
僕はカテゴライズするようなことはあまり好きな方じゃないです。
それでも指針として、カテゴリーというのがあれば観る人だって選びやすい。
だからそれがあるっていうことを否定まではしないです。
結局、わがままなのでしょうけれど、自分のことをカテゴリーに留められるのは厭です。
だから、役者は役者だべ?なんて思うのだろうなぁ。
小劇場っていう色眼鏡とかどこか許せない気持ちになるんだろうなぁ。
ただ僕は今、日本の映画の世界には一つ大きなカテゴリーが抜けていないか?と感じています。
いわゆる「商業映画」と呼ばれる映画があるわけで。
大手映画会社やテレビ局が創るような、巨大な映画をさしているのだと思います。
ところがその次に来るのが、「独立系」「ミニシアター系」「インディーズ・ムービー」と呼ばれるような映画たちになっている。
なんというかものすごいざっくりと、商業映画とその他の映画みたいに。
実際、独立系と言えばインディーズという意味なわけですけれど、インディーズの中には今回の「演者プロジェクト」のようないわゆる自主映画も含まれるのだと思うのです。
でもどうなのだろうなぁ?と。
明らかに自主映画と、独立系製作会社の映画の間には大きな差があると思うのです。
独立系の映画は、時には商業と呼ばれ、時にはインディーズと呼ばれ、なんだか不思議な立ち位置だと思う。
そんなことはないのかなぁ。
長く日本の文化庁が映画に対して文化助成金を出すべきだという運動をされている方がいて。
確かに、世界をみれば日本はあまり文化に対しての助成が少ないというのがあって。
最近まで、数千万規模以上の映画しか助成金が出なかったのが、1500万円以上の映画になら助成金が出るようになったようです。
もちろん、僕が今やろうとしている映画は1500万円なんてとんでもねぇなあ!って思うような規模なのですけれど。
まぁ、体力のしっかりした大きな数千万円規模の映画に助成してどうする?って僕も思うのですけれど。
だからと言って、自主映画、数百万円規模にまで助成を拡げるのも少し違うのかもなとも思います。
自主映画は自主映画という文化があっていいし、自主映画以降の次のステップがあった方が良いと思うのです。
劇団というのもいっしょくたにされてしまうのですよ。
学生劇団、アマチュア劇団、プロの劇団、新劇、地方を回る劇団、劇団四季。宝塚。
もう、どれもこれも全然規模が違うし、目指している場所も違うのです。
なんだかそういうのに似てるよなって。
何も知らない世間一般の人は、劇団って全部同じだと思っている。
そういうことがきっと映画の世界でもあるんじゃないかと感じているわけです。
商業映画をメジャーとして、あとはマイナーみたいな。
音楽の世界で。
ポップスに対してロックンロールが生まれて。
更に、ロックに対して、オルタナティブ・ロックが生まれたように。
演劇の世界で。
新劇に対してアングラが生まれて。
更に、アングラに対して、小劇場ブームが生まれたように。
僕はオルタナティブ・シネマが生まれてくるようじゃないといけない気がしてます。
インディーズという枠を一つ越える。
商業映画に対するカウンターになっちゃうかもしれないですけれど。
でも、そういう文化的な広がりが芸術性を高めて、世界まで届くようになるのだと思う。
独立系の映画の中からそういうムーブメントが起きれば、すごく面白くなるのにと。
自主映画製作から目指す場所も出来る。商業を目指したり、そっちじゃねぇ!と言ったり。
シネフィル系みたいなのがそれに近いのかな?
でもそれとも少し違うイメージです。
もしかしたら、もう、そういうものがあるけれど、知らないだけなのかもしれないですけれど。
「100円の恋」「この世界の片隅に」「カメラを止めるな!」「新聞記者」
すでに、商業映画からスタートしたとは言えない映画が多く世に出ていて。
これがムーブメントにまでなって。
なんだか日本の新しい映画の潮流みたいなものが生まれたりしたら面白いなぁって。
作品ごと、それぞれみたいなのよりも、そういう雰囲気になっていくと面白いなぁって思うのです。
そんな簡単なことじゃないし、それに必要なものが色々と足りていないのでしょうけれど。
僕は演劇の世界にいて、劇団にいる時も。
常に目の前の公演だけじゃなくて、その向こう側、その先、自分なりにビジョンを持つようにしていたのです。
それは夢のようなビジョンではなくて、イメージできる形でのビジョンです。
そして、「セブンガールズ」で初めて映画製作をして。「破壊の日」をお手伝いして。
今、もう一度自分で映画を製作していこうという段階で、ただの打ち上げ花火にしたくないと思っているのです。
色々と細かい目標だってあるし、目指している場所だってあるけれど。
さらにその向こう、完成した先のどんな道に繋がっていくのかというビジョンです。
うまく説明出来ているかわからないのですけれど、僕が今、イメージしているのがそういうことなのです。
まだ無力です。
何かを提言できるような場所にいない。
でもワクワクするじゃないですか。
商業映画とは別に、もう一つの映画産業が生まれてムーブメントになれば。
いつかそういう場所に行けないかな?行くには何が足りないかな?
そんなことを考えてしまうのです。
映画「演者」プロジェクトは自主制作映画です。
規模としては小さい。小さすぎるほどに。
でも野心的に、大きな野望を持って、その上で作品に集中してやろうと思うのです。
ここに参加した人が、いつか、誇れるような。
そんな映画になったらと思ってしまうのです。
だから、全部、未来も抱え込もうと思うのです。
この作品がどんなふうに生まれるか。どんな作品になるのか。
それだけじゃなくて、何を目指していたのかまで。
あれがこんなことになっちゃったのかよ!みたいな。
出来るか出来ないかじゃなくて。
そういう意思を持って進むか進まないかなのだと思います。
いいのつくろう!海外の映画祭に出そう!だけじゃねぇぞと。
これは第一歩なんだぜと。
無力な馬鹿が大ぼら吹いてると思ってください。
でも、大ぼら吹くぐらいじゃないと面白くねぇじゃんと。
嘘みたいなこと。
夢みたいなこと。
そういうことを忘れて進むような馬鹿にはなりたくない。
100日目が始まる。
100日続いた記念に大法螺を吹いてやろうと思いました。
2020年も一週間を切りました。
鬼が爆笑しようが、僕は未来を口にしてやる。
暗いニュースを連発するなら、それに対抗してやる。
泣きながら笑いながら闊歩してやる。
思えばこれが始まりだった。そんな日が来る。
小野寺隆一