僕がずっと夢中になっていることの面白さを
vol. 90 2020-12-16 0
89日目終了。
ついに96%まで到達致しました。
ご参加いただいた皆様ありがとうございます。
120日間のクラウドファンディング期間。
自分の中で4部にわけていたその第3部の最後の一日90日目が始まる。
最後の第4部を前に目標金額達成間近というのは僕自身驚いています。
そしてこれからやってくるラストスパートに向かって、改めて気合を入れようと思っています!
30日に1度と、週に1度、限定公開でこのアップデートを公開していて。
明日はその30日に1度の日で、明後日は週に1度の日という連日限定公開です。
クラウドファンディング期間が終わると、公開するのが週に一度に逆転する予定して。
連日の限定というのは最後の機会になるのだなぁと。
ラストスパートに向かって、いよいよギアを入れないとであります。
僕らがずっとやってきたことってなんだっただろう?
そんなことを考えては、それをやりたいなぁ、それこそやりたいことだなぁと考える。
僕は芝居の世界に入って創作をしたり、俳優をしたり、スタッフもしたり。
それこそ色々なことをしてきたのだけれども、やってきたことはずっと一緒だと思う。
特に劇団に入ってからは座付作家がいたこともあって、俳優に集中していて。
もう物語に関しては全面的に信頼して、自分は芝居をすることの中でそれをやってた。
よく役者が「成立させる」という言葉を使うのだけれど。
そのセリフ、そのト書き、そのシーン、その笑い、その涙。アクションも。
そういうものを説得力あるもの、違和感なく感じられるものに仕上げることを成立させると口にした。
もちろんそれだけでも大変なことで、僕たちは何度も繰り返しの稽古の中で成立させていった。
当たりを探しても中々見つからない時は苦しみながら。
成立さえすれば、物語は伝わる。
でも多分、僕たちがこれまでやってきたことはそれでは飽き足らないことだった。
成立しているだけでは、何か足りない感じがして、そこで終われなかった。
そこから掘り下げるということをずっとずっとやっていたのだと思う。
もっと掘り下げて、意味をあえてなくしたり、感覚的なスピード感を調整したり。
感情表現と言っても、より生々しい自分の奥底に眠る無意識にまで手を伸ばして。
一瞬、目があった時に、全てがわかるような無言のやり取りを続けた。
多分、物語を伝える以上のことを僕たちはずっと探し続けた。
時に物語を伝えるためだけの説明的なシーンすら、何かがあるんじゃないかと探した。
もうそれは病気に近いぐらいそのことに集中していた。
稽古場では当然、成立していないシーンを優先に稽古をしていく。
話が分からなくなっちゃうようではいけないし掘り下げるよりも成立させることが大事だから。
だから掘り下げるという作業は稽古時間の外の時間もとっても多かったと思う。
個人練習で、イメトレで、雑談で、居酒屋の席で、時には言い合いながら。
稽古初期では、あそこ成立してないよね?という話だったはずなのに。
稽古中盤から、あそこもっとこういうのを観たいんだよなんて話になっていく。
稽古終盤になっても成立していないようであればもう話にも上がらなくなる。
だから自分でも成立できていないなぁという時は苦しかったし。
ようやく成立させるという所まで進んでも、そこからが苦しかった。
でも、その苦しいことを楽しんでいたのだと思う。
年末になるとお笑い芸人の賞レースの決勝戦が始まる。
ピン芸人やコントの大会は、僕たちがやって来た事に通じるものがあってなるべく観る。
漫才は勉強にならないのかと言われるとそうでもなくて、やっぱり勉強になる。
昨日は女芸人の決勝戦があって、その優勝が一人芝居のネタだった。
当然、そのネタの着眼点とか、センスとかまで全部含めての結果なのだけれど。
想像していたように、次の日になって「映画に出て欲しい」というコメントを何度も目にした。
著名な文化人、映画ファン、中には映画監督までそんなことを口にしていた。
そういうのを観るとなんだか複雑な気分になる。
確かに素晴らしかったけれど、小劇場の一人芝居をしている人たちをもっと観てくれたらいいのに。
ネタの斬新さは笑いに特化していない分、幅が広すぎるかもしれないけれど。
確かに素晴らしかったけれど、役者業をすぐに芸人さんに求めるのが当たり前の世の中だ。
サスペンスや、ホラーの一人芝居を見事に成立させている俳優だってたくさんいるのにだ。
もちろん優勝したことで知名度が上がるということを考えれば致し方ないのかもしれない。
知名度があれば、映画の予算も上がるし、公開後の動員数だって影響する。
それにしたってお笑いを志している人に役者の仕事を期待するなんてと思う。
最近では役者志望でお笑い養成学校に入学する若い人も多いのだという。
小劇場にいる俳優たちは社会的な知名度を得る機会がない。
映像の仕事を兼ねながらでも、大きなチャンスは本当に少ない。
人気ドラマにキャスティングされて偶然注目されて世に出た小劇場俳優を見ればいい。
本当にしっかりとした技術を持っているなぁって思う。
とある映画監督のインタビューで日本は俳優の層が薄くてどんな作品も同じ人ばかりだなんて読んだけれど、そんなことはないと思うよ。
もちろん、ピンからキリまでいるけれど、ただ世に出る機会が余りにもないだけだ。
あまりにもないからお笑いスター誕生に出て、知名度を上げてから俳優になった人だっているんだから。
竹中直人さんやでんでんさんみたいに、自分でネタを書ける俳優なら良いけれど。
ただ演じることばかりを考えている俳優たちはどうしたらいいのだろうと思う。
笑いという場所じゃない演技が得意な俳優はどうしたらいいのだろうと思う。
もちろん、小劇場で劇団が大きくなっていってというのが早いのかもなと思うのだけれど。
舞台は年に数回しか出来ないし、大きな劇団の才能ある俳優でも世に出ない場合も多い。
最近ではNHKの朝の連続テレビ小説さえ、新人女優を主演にしなくなってしまった。
僕は僕たちなりに追求してきたことをきちんと作品に昇華させる場が欲しかった。
小劇場というフィールドだけではなくて、もう少し広い場所。
自分はともかく、今回出演する役者たちは全員才能が豊かで素晴らしい俳優だ。
もちろん得意不得意はあるけれど、誰にも負けない武器を持った俳優だ。
その凄みをきちんと作品にまでしたい。
掘り下げて掘り下げていく芝居そのものを映画にしたいと思った。
物語も大事なのはわかっていながら。
今、僕がやるのであれば、物語性を越えるほどの掘り下げ方なんじゃないかって思った。
だからと言って、物語を軽く考えているわけじゃない。
ただ複雑な物語にすることはやめた。
よりシンプルにテーマに集中することに。
複雑にすれば、説明もどうしても必要になっていくしね。
複雑じゃない分、演じる側はその行間を埋めていかなくちゃいけない。
それは役者にとっては大変なことなのだけれど。
それこそ、僕たちがずっとやり続けてきた掘り下げることだと思う。
僕たちがやり続けて来た事の面白さを、わかりやすくすることなのだと思う。
こんなに面白いものがあったのかって発見できるような作品。
それをやるしかない。
というか、僕の持っているものはそれだけなのだと思うよ。
だから世界に挑戦するべきだと思った。
日本にも賞レースはあるけれどさ。
どうせ世に出すならより広く、より遠くに向かうべきだと思う。
僕たちがやってきたことを地球の裏側にいる人にも観てもらう。
それをしなくちゃいけないんだよ、きっと。
僕は伝わると思う。
僕たちのやって来た事は世界の人に必ず伝わるものだって信じている。
とってもわかりにくいものだけれど、それをわかりやすく作品にまで出来れば。
だって30年も僕はそれを面白がっているのだから。
多分、僕たちは自分で道をもっと作らなくちゃいけない。
開拓しなくちゃいけない。
そもそも勝ったり負けたり得点を付けられるものじゃないから。
出来ることは形にすることだ。
僕たちのやって来た事を形にしてしまうことだ。
今、うまく説明できないのはそういう作品だからだ。
現実には著名な映画俳優たちだって生活は厳しい。
誰もが知っているような人だって世の同年齢に比較して収入が低いのなんか当たり前の世界だ。
安定していないし、人前でスターだからと言って裕福なわけじゃない。
ドラマやCMは少なくて、映画しか出ていない俳優であればなおさらだ。
タレント事務所と俳優事務所のプロダクションの数を比較すればすぐにわかることだ。
だから映画界も小劇場界も、大きな目で見たら何も変わらないのだと思う。
それでも僕たちは俳優を目指して、演じることについてずっと考え続けてきた。
だからこれはきっと地位や名誉やお金のためじゃない。
僕たちは僕たちのやって来た事を信じるために作品を創らないといけないのだと思う。
誰かに承認してもらいたいわけですらないのかもしれない。
自分で自分の道を確かめたい。
そこにミラクルがある。
あいつら、本当にやりやがった!という感動がある。
絶対に忘れることの出来ない瞬間が待ってる。
それ以上なんかあるもんか。
見るがいい。
もう奇跡が起き始めている。
残り30日を残して、目標金額達成目前なのだ。
僕たちのような無名の俳優たちが、自分たちの作品を創るのに。
こんなに応援してもらっているのだから。
90日目が始まる。
第三部の最後の日。
どんな一日になるだろう。
第三稿も半分近くまで進んだ。
小野寺隆一