信頼と期待感と
vol. 84 2020-12-10 0
83日目終了。
大台に乗った日。
その後もまた参加者が増えました。
皆様、ありがとうございます。
まだ参加していないけど待っていて欲しいという連絡もいくつかある中で。
100人に到達したことは本当に本当に凄いことだと思う。
有名な方が参加していたりするプロジェクトでも、冠があるわけでもなく。
どこかで記事になったとかそういうこともないままだ。
劇団員全員で宣伝をした前回は211人だった。
その後に知り合った皆様や、その後にどんな道を進んできたのかもあるから比較は無理だけど。
それでも自分一人で企画して宣伝していくと決めている中では嬉しいことこの上ない。
でもこういう時はどうしても嬉しくなって見えなくなるものがある。
僕のような人間はすぐに調子に乗ってしまうから、わいわい盛り上がってしまう。
だからいつの間にか嬉しいことがあった時はその反対を考えるようにしている。
シンプルに喜ぶだけ喜んだ後に、さて、本当にそうなの?と自分に問いかけるようにしている。
前回の舞台はコロナ禍で座席数が半数だったけれど通常の舞台では数百人のお客様が来ていた。
映画「セブンガールズ」の通算動員数を考えれば数千という単位になる。
つまり僕なんかがいかに小さな存在かということがよくわかる比較をするべきだ。
駄目だなぁ、小さいなぁと、凹む部分はしっかり凹む。
喜んで、喜んで、その分だけきちんと見たくないものも見る。
見たくないものを見ないということを続ければどこに向かうのか嫌というほど知ってる。
あとで大きな傷をくらうぐらいなら、ちゃんと傷ついておくべきだ。
もちろんまだ最終日でもないのだから、わからないことの方が多いのだけれど。
一番大事なことは信頼だと思う。
こいつだったら必ず約束通り映画を完成させるという信頼はもちろん。
誠実である。約束を守る。ちゃんと楽しませてくれる。一緒に夢を見れる。
そして面白い作品というものを追及してくれる。
そういう信頼だ。
プロジェクトページに書いている内容が誠実なのか、信頼できそうなのか。
ちゃんと、製作の過程を報告できるのか。
そういうことの全ての信頼が何よりも重要なことだと思う。
それともう一つは、とにかく参加したら楽しめるのかどうかだと思う。
色々なリターンはあるけれど、何よりも参加して良かったと思えるかどうかが大事で。
それはリターンだけで測れるものじゃあない。
自分が参加した映画が出来ていくという過程をわくわくしながら楽しめるかどうか。
その楽しめるかどうかの期待感がダイレクトにわかるのだと思う。
面白い企画に参加したな、楽しかったなと思える期待感がプロジェクトにあるのかどうか。
そういう意味で言えば、今、100人を超える人が集まったことはすごいことで。
もったいねぇっす!と思わず天を仰いでしまうようなことだけれど。
その向こう側に、その十倍以上の誰かがもしかしたら、信頼できないとか楽しめないって思っているのかもしれない。
期待してもらえるほどのものを提示できていないのかもしれない。
そこのこともちゃんと考えておけよと自分にきちんと言いたい。
ネガティブだと思う人もいるのかもしれないけれど、これは決してネガティブじゃない。
本当のネガティブとは見たくないものを見ないことだ。
チャンスはいつだって、弱点に潜んでる。
弱い部分を自分から探しに行くぐらいじゃないと、どこにも行けない。
そこから次を探す行為こそ本当のポジティブだ。
反省。トライ&エラー。当たり前のことだ。
悲壮感みたいなものがあったらダメだけど。
どうも僕は悲壮感みたいなものが嫌いで。
それこそ遠い昔の十代の頃から、悩みがなさそうでいいねなんて言われる。
腹の中じゃ、お前の一万倍は悩んでるけどなって思っていたけどさ。
わかんないよ、1000人集まっちゃうかもよ!とか声に出して言ってみる。
何が起きるかなんて誰にもわからないのだから。
それに今日まで僕が関わったクラファンで何度も参加して良かったと言ってもらえたじゃないか。
なんていう自分も同時に持ち続けているのだから結局は能天気なのかもしれないけれど。
自分の中には明確にビジョンがある。
でもそのビジョンのためにはミラクルがいくつか必要で。
ミラクルなんていうものは、結局、挑まないことには絶対に起きない。
なんにもせずにただ受動的にミラクルがやってくるなんてことは殆どない。
挑戦し続ける人にだけ訪れるのだと僕は思う。
長く小劇場の世界で舞台をやってきて、色々な人に愛されてきたけれど。
それだけではいずれ僕たちはステージを下りるしかなかったと思う。
僕たちは目の前の人に愛していただけることを目指し過ぎて。
もっと外に向かえるのに、向かわなかった。
それはなんにも悪いことじゃないし、これからもそれを続けていけると思ってた。
もうすっかりベテランだなと言われるようになってから何かが止まった。
そういう俳優たちが今から何かを為すというのは、社会から見ればそれだけで奇跡だ。
そういうミラクルをたくさんの人と共有していきたい。
でももうミラクルは一つ起きている。
だって100人以上本当に集まっているのだから。
Motion-gallery内の映画のプロジェクトを見渡せばわかる。
名前のある監督作品でも100人集まらないケースだってあるのだから。
それもまだ一か月以上の日数が残っているのにだ。
100人が200人になることは十分にある。
100人が1000人になることはないけれど。
でも200人が500人になることはあり得るし、500人が1000人になることはある。
SNSの拡散は、一人が一人に繋がるだけでそういうことが起きる。
ラストスパートの時にどのぐらいの人数になっているだろう。
なんだか、面白そうなことが始まっているとどれだけの人が気付いてくれるだろう。
それまで僕は誠実に伝えていくしかない。
とにかくプロジェクトを読んで欲しいと伝えて。
毎日でも、このプロジェクトの持つ可能性を、未来を、楽しさを伝える。
どうしょうもなく地道かもしれないけれど。
積み重ねることの力を僕は知っている。
30年間、ずっと芝居の事を考えてきたように。
残りの一か月間も、毎日毎日積み重ねるように伝え続ける。
届け、届け、と願いながら。
例えそれがたった一人にしか伝わらないのだとしても、続けることだ。
そしていつかまだ信頼していない人が信頼してくれるかもしれない。
ずっと気になっていた人が、参加してみようと思ってくれるかもしれない。
いつの間にか楽しみになっている人がいるかもしれない。
もっと簡単な道があるのかもしれないけれど。
僕にはこのやり方しかないと思う。
一つ一つ、毎日毎日の積み重ね。
だってさ、映画って結局、積み重ねなんだもん。
ワンカットずつの撮影、1コマ目からの編集。
一つ一つ積み重ねていく根気がなくっちゃ映画なんてとてもじゃないけど出来ない。
フィルム時代なんかもっと大変だったわけだけれど。
デジタル時代になったって、結局、地道に積み重ねないといけないという本質は変わらない。
積み重ねることが、それ自体、映画の完成に向かうことなのだって思う。
端折らない。
簡単な道は探さない。
近道なんて、そんなにいいものは落ちてないからさ。
100人はゴールじゃない。
ここから211人を目指さないとだ。
そのぐらいのつもりで、自分自身と日々闘うのだ。
84日目が始まる。
12週目の最終日。
もうすぐ最後の一か月に入るという直前の段階で。
愚直に僕は進む。
たとえそれが一歩でも、いつか大きな一歩を生むには必要な一歩だったとわかるからだ。
足を止めたらどこにも行けない。
小野寺隆一