最高のキャストの「最高」とは
vol. 70 2020-11-26 0
69日目終了。
プロジェクトページの出演予定キャストを更新した。
恐らくこれがクラウドファンディング期間中の最後のキャスト発表になる。
第三稿以降に登場人物が増える予定もない。
自分の中で迷っていた部分も今は確定した。
劇団では公演が決まれば、全員に出演確認をして終わる。
その段階ではキャスティングすら始まっていない事の方が多かった。
出演ありきで、舞台制作がいつも始まっていた。
映画「セブンガールズ」もそうだった。
もしクラウドファンディグが成立したら皆で映画を創ろう!という趣旨だったから。
まだ何も見えない段階から、出演が決まるという不思議な順番だった。
最近は劇団という形も昔とは違っていて客演が多くプロデュース公演に近い公演が多い。
そうなると恐らくは、キャスティング段階でプロットや配役の説明もしているとは思う。
何もなくどんな役かもわからないまま出ますか?というのはあまりにも曖昧だからだ。
今回はそういう形で進むわけにはいかなかった。
最初に声をかけたメンバーにはシナリオは送れなかったけれど。
役の大小があるということだけは伝えておいて、なるべく早めに初稿のシナリオを送った。
出演に関しては、じっくりと考えてくれて構わないと伝えてあった。
いつもの劇団のやり方であればありえないやり方。
いわゆるオファーということだ。
ただそれは広い世界から見ればあまりにも普通の事だ。
作品があって企画を立てて俳優にオファーをする。
俳優はその段階で出演するのか選択することが出来る。
あまりにも当たり前のことが、劇団という環境では欠如していた。
僕が個人的に企画を立ち上げた意味の一つがそういうことをちゃんとすることだった。
22年間も共に同じ時間を過ごした仲間たちだけれど、本来の俳優にくるオファーをしたかった。
オファーをした全員が出演するわけではない。
中には辞退もある。
もちろん仲間全員に声をかけたわけでもない。
まず作品があって、この役はこの人だろうという俳優にオファーをした。
結果的にカットした役も生まれた。当初より増やした役もある。
本当は誘いたいのだけれど、どうしても作品内に役として生まれなかった仲間もいる。
でもそれでいいのだっと思っている。
正直に進むのであれば、そういう筋道をはっきりさせていくしかないのだから。
そしてそれぞれ伝えるべき人に、ちゃんとそれは伝えてある。
今生の別れというわけでもない。
別に最後の作品でも何でもないのだからそれよりもちゃんとやることが大事だ。
ちゃんとやらないのであれば、それこそ最後の作品になる。
これはチャンスだよ!とか、やった方がいいよ!とかは言わなかった。
脚本を読んで、役者として考えてくれたらそれでいいと思った。
必要以上に着飾った言葉を投げることは無責任になる。
もちろん出演した俳優が更に広く色々な作品に繋がっていくことを願っている。
なんせ世界に持っていくと言っているのだから。
そうなるような作品にするつもりだけれど、それはまた別の話だ。
損得勘定で出演を決める作品ではないと思っている。
自分自身、そういう大袈裟な言葉をかけられるとゲンナリするというのもあるけれど。
ここ数年でたくさんの人と出会ってきた。
映画製作を通じて知り合った人、公開してから出会ってきた人、この一年間。
そういう中で知り合った方々に声をかけることだって出来なくはなかった。
小劇場やミニシアターの世界で最近名前が挙がっている俳優。
すでに名前のある俳優、いつか一緒にお仕事をしたいと思っている俳優。
そういう俳優にシナリオを送ってオファーする道もあったと思う。
断られる可能性も高いけれど、興味を持ってくださったら大きい。
クラウドファンディグだって、製作後の映画の動員だって、まるで違ってくるのもわかってる。
でもそれはきっと今じゃないって思っていた。
僕は僕の表現を確立してから、面白がってくれる人を探す。
今の脚本をどれだけ面白がってくれてもそれは少し違うことだ。
それにこの作品の趣旨はそこにない。
この作品は何よりも信頼関係からしか生まれない言葉の裏側を重視しているからだ。
映画の記事を読むと何度も目にする「最高のキャストが集まった」という言葉。
当然、監督であればそんな言葉を口にするのは当たり前だと思う。
でもその「最高」という言葉の中には色々な意味が含まれているんだと思う。
例えば、期待であったり、計算外のことであったり。
ただただ作品にとってという意味であれば、最高のキャスティングなんてまれだと思う。
スケジュールの都合や、様々な過程を経て、キャスティングは決まっているのだから。
プロデュースも含んだ意味であることがほとんどなんじゃないだろうか。
僕はその「最高」を信頼一つに絞ってこの企画を立てた。
22年間という時間を共に過ごしてきた。
それにまさる信頼感はない。
多くの映画監督が自分の作品に気心の知れた俳優を何人か配役するように。
僕にとってはこれ以上信頼できるチームはない。
同時に僕は参加を表明してくれた俳優に信頼してもらわなくてはいけない。
その信頼は仲間として過ごしたことや同じ板の上に立ったことだけでは足りない。
セブンガールズを公開まで進めたという行動力への信頼だけでも足りない。
今回は僕が創作をするのだから、僕の創作への信頼をしてもらえないといけない。
僕は劇団に入ってから自分の創作は数えるほどしかやってきていないのだから。
主演の三人は原作となった舞台で作・演出を見てくれている。
中野圭は一人芝居を短編で演出している。長い時間を過ごしてきた。
織田稚成とは一緒にバンドをやっていたし、金子透とは長く一緒に笑いについて創作してきた。
きっとその中で価値観のようなものはすでに共有している。
それでも、長編になる作品とその稽古についてはまだまだ不安なんじゃないだろうか。
そういう不安を一つずつ解消できるように。
僕は仲間たちの信頼を得るために精進し続ける。
僕が世界に対峙する中で最強の布陣なのだから。
参加表明してくれたキャストに感謝。
この感謝は気持ちだけではなくて明確な形にする。
時間がどれだけかかるかわからないけれどそうするしかない。
さあ。10週目の最後の日が始まる。
僕がこの11月に立てた目標にどれだけ近づくことが出来るだろうか。
そして今週、世界はより混沌としてきた。
時間がないのだ。
小野寺隆一