盛りふけたる女郎花の
vol. 56 2020-11-12 0
55日目終了
本日も新たにご参加していただいた皆様ありがとうございます。
11月中に100名という高すぎる目標の中勇気をいただきました。
想像していた通り11月に入ってから徐々に感染者数が上がっている。
年末までのスケジュールを見ると来週末の三連休をどうするのか不安になる。
年末年始の休みを除けばそこだけが連休だからだ。
このまま増え続けたら、なんらかの規制がまた出てくるかもしれない。
近くの大学病院では明日から入院患者への見舞が再び禁止になった。
連休中に自分が関わっているイベントがあるだけに余計に心配になる。
ワクチンのニュースがあったから、それがいつ届くのかで大きく変わるのかな。
まだまだこの冬は予想がつかない。
来週の前半までに指数関数的に増えていなければいいなぁと思うのだけれど。
そしておかしな形での特定の業種を攻撃するような空気にだけはなってほしくない。
僕は勝手に師匠だと思っている人がいる。
金杉忠男先生。
芝居の学校に面白そうだという安易な理由で飛び込んで。
その入学式から強烈なパンチをもらった人だった。
芝居や表現は人に教わるものじゃないという最初の言葉に唖然とした。
これから教える人がそんなことを言うのかとたじろいだ。
先生と出会ってからもうすぐ30年になる。
出会ったあの日の先生の年齢を越えるのもあと数年だなぁ。
19年も続いた伝説的なアングラ劇団の解散直後に僕は先生と出会った。
まだ十代だった僕はとんでもない大人に出会ってしまった。
そしてどこまでも正直で、どこまで優しいのか底の見えない人だった。
とにかく、僕は怒られた。
お前ほど徹底的にダメ出しをしたやつはいないですよと言われた。
それは僕自身が求めたことでもあった。
自分の身を削りながら言葉を出す姿を見て、僕には何を言ってもいいですとお願いをした。
その日からはもう毎日毎日厳しい言葉をかけられた。
それはある種の信頼感との戦いだった。
何を言われたとしてもそれは芝居に対する言葉であるということを信じることが出来た。
日常や人格に関わる言葉も全て芝居に対しての言葉だと信じることが出来た。
40近いの歳の差があったのに口げんかもした。
お前は役者なんかやめて演出家の方がいいんじゃないかなんて言われて。
勝手なことを言うなと反発したりもした。
ジブリの映画で一番好きな映画についてなぜか言い争ったりもした。
「グラン・ブルー」や「あの夏いちばん静かな海」の感想でも言い争った。
「トゥルー・ロマンス」だけはなぜか意気投合した。
不思議なぐらい付き合ってくれた。
「特権的肉体論」や「内角の和」を僕が読んでいたら嬉しそうだった。
お前、こんな本、どこで見つけてきた!ってニヤニヤして。
卒業した後も時々稽古場に顔を出した。
自分が暗黒期に入って芝居を出来なくなった頃も先生の舞台だけは足を運んだ。
一度、先生の舞台を観に行ったら、突然、後ろから尻を蹴り上げられた。
お前、芝居出来なくなるぞ!って怒られた。
もっと顔を出せ!って怒られた。
多分、それが先生と会った最後になった。
あの日、もう先生は痩せていた。
今でも時々、先生の声が聞こえる。
数こそ減ったけれど、先生の夢も見る。それもあの頃じゃなくて現代の夢だ。
たくさんたくさん怒られたけれど。
卒業公演の千秋楽の開幕直前に一度だけ、がんばれって言ってくれた。
信じられないぐらい泣いた。
その後はどうだったのだろう。
あれは褒めてくれていたのかな?なんて今になって思う言葉もあるけれど。
僕は先生が喜ぶような舞台じゃなくて。
先生がまるっきり理解が出来ない舞台を創って恩返しをしたい。
そんな言葉を投げつけた。
それは今も心の奥にとげのように刺さったままだ。
お別れの会で本を返してもらった。
ポール・オースターの「SMOKE」のシナリオ本。
先生に貸していた。
先生は自分なりの舞台版SMOKEの構想を練っていたのだという。
貸した本なのに付箋が貼ってあって、それが悲しかった。
病床でも次の作品について考えていたのだと知って悲しかった。
先生がこの世からいなくなっちゃってから23年が経過した。
来年は二十三回忌だ。
僕はいつの間にか先生より長く劇団をやっていたし。
僕はいつの間にか映画製作までやっていた。
でも未だに僕は先生が理解できないような作品を生み出せていない。
生意気にさ。
最後の数年は先生のことを、杉さんなんて何度か呼んだりした。
でも繰り返し夢をみているうちに、もう一度、先生に戻っていた。
先生。
今もシャワーを浴びながら「トロイアの女」をやったりしてます。
相変わらずヘタクソです。
「少女劇画の一場面のためのエスキス」は相手役がいないから記憶が曖昧になってきました。
だから、トロイアばかりです。
立て、不運のヘカベよ。地に伏した首をもたげうなじをあげよ。
もしかしたらいつの間にか記憶が違っていて、間違っているかもしれないです。
ああ、それと。
「花の寺」の一節は歩いていると口から出てくることがあります。
盛りふけたる女郎花の 月に見ゆるも恥ずかしや
能の「姥捨」だったと知ったのはだいぶ大人になってからでした。
多分、僕は先生をまるで理解できていない。
先生からもらった遺伝子はひとかけらもないんじゃないかって思う。
先生の魂を僕が引き継ぐなんてことはとてもじゃないけれど言うことが出来ない。
でもあれほど正直に芝居の事を考えていた人を僕は知らない。
あんなに怒られたのにずっとずっと優しいと感じた人を僕は知らない。
それがあるから、今の僕がある。
僕は、本物に十代で出会うという幸運を得たのだから。
金杉忠男先生の命日。
56日目がはじまる。
小野寺隆一