どこまで解放できるだろうか
vol. 42 2020-10-29 0
41日目終了
某ドラマの撮影の地に。
都心部からかなりの移動時間、電車に揺られた。
支度部屋で待つことに飽きてそのままふらりと街に出る。
現場を見ておこうと思って、撮影現場に。
遠巻きにその空気感を感じる。
この作品の撮影に入ってから2週間以上か。
すでに街の景色と同化し始めていることを感じた。
学ぶことは多い。
そんな空気感さえも。
そんなチーム感さえも。
今年に入ってから現場はそれぞれ空気感がまったく違った。
そういうものなのだろう。
空気感を創る人が存在する。確実に。
意識的なのか無意識的にそうなるのかは違うのだろうけれど。
まだ現場の事は考えないようにする。
このクラウドファンディングが終わって予算規模がわかってからにするべきだ。
今、先行して色々と決めたくなってしまう自分を抑えなくてはいけない。
世界観は全てシナリオの中に詰め込んでいく。
今日の撮影に集中するために止まっていた第二稿を進める。
もうそれ以外にない。
初稿をまだ未読のメンバーに第二稿を送るべきかはまだ悩んでいる。
読めるようになってからでいいし、読めないままでもいい。
送り付けられたと思われたくない方が強い。
まだそんな段階なのに現場のことまで考えれば崩壊していくと思う。
初稿を考える時と第二稿ではまるでやっていることが違うなぁと思う。
作品の深度をどんどん深くしていく。
ディティールについても書いていく。
シナリオによっては現場の空気を観てからディティールを詰める予定のものもある。
実際に現場の空気を観ないと細かい部分まで詰められないし、かえって不自由になりかねない。
でも今回は徹底的に細かい部分までシナリオの段階で完成させておきたい。
稽古や現場で変化していくことを拒絶しているわけではなく。
まず世界観の共有を徹底するためにだ。
何よりも自分は創作をしてきたけれど、その創作の世界はそこまで浸透していない。
基本的には役者の僕を良く知っているメンバーなのだから。
どれだけ作品世界を構築できるのかと思っているかもしれないのだから。
人間としての信頼と、役者としての信頼と、それとは別の信頼があることぐらいわかっている。
よく似た言葉に、台本、シナリオ、戯曲がある。
戯曲とは文学の世界におけるカテゴリーだ。
だからト書きに詩的表現が多かったり、読み物として成立させている。
台本とシナリオには明確な分別はないのだと思うけれど。
いつの間にか自然と舞台が上演台本、映画がシナリオになっている。
どちらにも、特化した文脈がある。
舞台であれば、「暗転」「明転」「登場」「退場」などなど。
シナリオであれば、「デイ/ナイト」「シーンナンバー」などなど。
出来上がった作品を想像しながら読むのか、自分の役の主観で読むのかでまるで変わる。
今回はシナリオを書いているわけだけれど、戯曲に近づけるべきなのだと思う。
それは、役者が主観だけではなく世界観を共有しやすい方が良いと思うからだ。
初稿では吐くような苦しみが伴っていたけれど。
第二稿ではそういう苦しみよりも自分を解放する困難さがある。
どこまでも自分の想像力を広げていけるかどうかが鍵で。
不思議なほどその日のコンディションで広がり方が変わっていく。
想像力の世界に没入できるのかどうかだけが鍵だ。
音楽で言えば、作曲とアレンジぐらいきっと違う。
むしろ第二稿の方がプリミティブな直観力が必要なんだなぁと感じている。
元々は劇団の解散が決まる前から始めたもので、小野寺がなんか始めたぞ!というアングルのプロジェクトのはずだった。
それが劇団の解散後の今、SNSなどの発信を除けば、セブンガールズの上映とドラマ出演とこの企画だけが目に見えている活動になっている。
元々、昔から応援してくださる皆様に何を提示できるかということは考え続けて来たことだけれど、当初考えていたよりもずっと重い責務になっているのではないかと感じる。
でもあえてその感覚は持つべきではないぞと思っている。
誰かが勝手に代表してその後の活動の責任を負うのは多分あまり良い事ではない。
むしろだからこそ、もっと自由に解き放たれて、同時に何か新しいものが生まれるんだという企画にするべきなのだと思う。
自分の中に生まれてしまう責任感を、何度も何度も払拭して、作品に対する責任感にだけ集中するようにコントロールし続ける。
2020年に入ってから今日まで自分が一つずつ積み重ねてきたものだってあるのだから。
そうしないとお願いをしている出演者の仲間たちにもその責務を背負わせることになる。
あなたの次が観たいと言われたときに、余計な幻想まで引き連れてきてしまうことはむしろマイナスなのだと思っている。
これまではこれまでとして、どうしたって沁みついているのだから必要以上にはしない。
切り捨てるのではなくて、それはいつもそこにあるだけでいい。
関わった誰もがハッピーになれるように。
参加した人が誰もがワクワク出来るように。
作品の世界観の深度を更に深くしていく。更に拡げていく。
想像力がどこまで自由になれるのか。
何にも縛られず、何にもプレッシャーを受けず、未知の先へ進むしかない。
あっという間に6週目の最後の日がやってきた。
明日は限定のアップデートになる。
いずれクラウドファンディング期間が終わってからの撮影日誌も限定になるだろう。
それを読める人はその時どのぐらいの人数だろうか。
何もわからないけれど。
42日目が始まる。
小野寺隆一