あの奇跡のようなクランクインから4年目の日
vol. 37 2020-10-24 0
36日目終了。
空気感で感じる。あの日と同じ日。
映画「セブンガールズ」クランクインから4年目がやってきた。
あの日僕たちは映画の完成を確信した。
撮影期間は5日。予備日はあったけれどあの大作を撮影できる日程ではなかった。
それがどうやって撮影できたのかと言えば、全員が同時に動いていたからだった。
張り出された香盤表を頼りに全員が同時に動く。
2つ先のシーンまでメイクや衣装を完了しておいて。
男性陣は、アングルが変わるたびにセットの壁をすぐに外せる体制になっていた。
室内から室外に移動するたびにガンガンに炊いておいた火で煙を演出した。
1カットOKが出るたびに誰かが走り、セットを組みかえ、シーンを創っていく。
無線を用意しておいてきっかけを準備していたけれど無線はそのうち使わなくなった。
役者たちが自主的に合図を送り合うから無線なんか必要なくなった。
役者が衣装を着たまま、インパクトドライバーを持って壁を解体していく。
並んでいた下駄箱の靴の写真を撮影して繋がりが不自然にならないようにする。
そういうことを皆が同時に動くことで当たり前のようにしていった。
昼の食事の時にはすでに午前中予定のシーンは終えて予定の半分以上進んでいた。
助監督さんに呼ばれて、驚きながら「かなりまいてます」と言われた。
そして、「今日、明日の分で撮影出来るシーンはありますか?」と聞かれた。
即座にヘアメイクなどでの段取りが悪くならないようにシーンのピックアップをした。
すらすらと、撮影できるシーンを伝えるとそれが撮影期間毎日の行事になった。
気付けば助監督さんが組んだスケジュールの1.5日分の撮影スケジュールを初日に終えていた。
「こんなことはありえない」
助監督さんに興奮して言われた。
まず予定していなかったシーンの撮影をすること自体難しい事だと言う。
そんなことを言えば、キャストは通常拒否するし、ヘアメイクさんなども怒るのだという。
そもそもまいていれば、早めに終わるのが通常の撮影現場だ。
僕たちは撮影スケジュールをみて、そのテンポだと撮影が終わらないと全員が理解していた。
撮影前の稽古でいつどのシーンになっても芝居が出来る準備もしてあった。
ヘアメークも全て表に書き出して、自分たちである程度出来るようにしてあった。
そこまで準備しても、多くのスタッフさんは撮りこぼすと思っていた。
この短期間でこのシナリオの撮影は出来ない、そう思っていた。
「これなら最後まで行けるかもしれない」初日終了時にそれが覆った。
そこに役者が淹れたコーヒーが届いた。
製作スタッフが、出演者にコーヒーを淹れてもらうなんて初めてだと声を出した。
通常、映画の撮影は1日の撮れ高が、10分もいかないのだと言う。
僕たちは初日だけで撮れ高30分を越える撮影を出来た。
30人もの役者が出演する時代物でだ。
そのための準備を重ねてきたからだ。
それは小劇場で当たり前のようにやって来た事をそのままやったからだ。
自分でメイクをして、使った小道具は元に戻して、芝居は事前に完成させておく。
スタッフさんにはスタッフさんの仕事に集中してもらう。
たったそれだけのことで、現場の回り方がまるで違っていた。
ある程度の撮影を終えて、皆は順次帰宅させた。
最後は僕ともう一人のその日は無理じゃないかと思っていた二人芝居。
スタッフさんと二人だけで撮影をした。
大きく移動しながらのシーンだから時間がかかるかと思ったけれど。
ワンカットでの撮影をアングルを変えていくつか撮影することになった。
人数が少なくなって集中的に撮影していたあの時間に、僕も撮りきりを確信した。
進行プロデューサーに、すごいことですと声をかけられた。
僕は、絶対に最後まで撮影しきりますと宣言をした。
別に深夜ではなかった。
最終日以外は19時前には撮影を終えていた。
全員がロケ現場から帰って、火の元を全て確認して、電気を消灯する。
最後に鍵をかけて、僕はクランクインの日に帰宅した。
鍵を預かっていた僕は誰よりも早くそこに行き、誰よりも最後に帰るのが仕事でもあった。
役者をしながらそんなことまでしているということもあまりないと言われた。
役者さんは芝居にだけ集中して欲しいと、多くの現場で言われる。
それは確かにその通りなのかもしれない。
役者が扱っているものは「心」なのだから。
自分のシーンの直前に、別の事をやれば、その役への集中が途切れる。
それに衣装が汚れたり、小さかったとしても怪我をしたり、問題が起きても困る。
それはきっと正しいし、間違っていない。
でも僕の知る限り、役者によってもタイプがある。
その日一日中ずっと役になり切っているようなタイプの俳優はほとんどいない。
カットがかかった瞬間に役ではなく本人になる役者は大勢いる。
十代二十代のガキの頃は違ったかもしれないけれど。
役になり切るということは、そういうことではないのだと思う。
うまく切り替えや集中が出来ない頃は、緊張感を持続するしか出来なかっただけだ。
僕たちは小劇場で暗転の中セットを組みかえ、楽屋に戻り早替えをした。
そういう経験が当たり前のように体に染みついていた。
ただもちろん、重要なシーンが控えている役者には手伝いしないようにお願いをした。
2つ先のシーンまで把握しておくのはそういう意味でだった。
初日は驚いていた事だけれど。
二日目以降はどんどん定着化していって、スタッフさんにも当たり前の風景になった。
役者もスタッフもなく、その撮影現場では全員が連動して同時に動いて撮影をした。
セットチェンジも、照明の調整も、撮影順番の変更の通達も、全て、連動していた。
すっかりそんな動きが定着した最終日に現場見学に来たプロデューサーが感激していた。
役者がOKが出ると同時に自分が使っていた布団を畳み、当たり前のように皆で準備している。
その皆で映画を創っている風景に、心から感動していることが伝わった。
たったの5日間で144分の作品の撮影を終えたことは奇跡だと言われた。
未だにどうやって撮影したんだと聞かれる。
ただ「頑張った」としか説明できないことだ。
撮影期間を十分に確保してじっくり撮影した方が良いのだとは思う。
座組が座組として本当の一体感を生み出すのは一週間以上かかるのかもしれない。
現場でしか出来ない演出だって、じっくりと出来るのだから。
同じぐらいスピード感やテンポも大事だと思う。
どんどん作品が出来ていくという醍醐味は全体の緊張感を持続させる。
このシーンは時間がかかるぞ、、、なんて会話をしてかえって疲れることはよくあることで。
そういうやりとりすら差し込む隙間がない現場は、それはそれで素晴らしい環境だった。
ゲリラ撮影などは時間との勝負だから、誰もが緊張感を持っている。
それを短期間ですべてやったようなものだったのだと思う。
毎年この時期になるとあの現場の早朝の空気感と同じだなと感じる。
すっかり夏の気配がなくなって空気が一段冷たくなっている。
あの日笑っていたスタッフさんの顔を思い出す。
深夜に真っ暗な現場でランタンを頼りに鍵を閉めた日々を思い出す。
そして、その頃はまだ実際に映画が完成するかも、公開できるかもわからなかったことを思い出す。
信じられないような日々をくぐりぬけて僕らは。
本当にたくさんの人たちに出会うことが出来た。
大阪や名古屋や別府でも、出会った。
映画館と出会った。
自分たちの汗で、自分たちが組んだ計画で、新たな何かを手にした。
公開してからも工夫の連続だった。
アイデアを重ねることが僕たちの推進力になっていった。
ずっと。ずっと。
情熱だけで乗り越えられるものじゃない。
撮影前に言われた言葉。
そんなことはわかっていた。
僕たちは情熱だけを頼りにしたんじゃない。
情熱を持って、入念な準備をした。
やる気だけでは何もできないことを熟知していた。
それが出来たのはその向こうに未来を観ていたからだと思う。
夢を具現化していくことを出来たのだと思う。
常識なんてものは最初から気にもしていなかった。
映画の上映が終わって。
そこからどうやって次の未来のビジョンを持つのかどうか。
僕はじっくりと考えて、見据えてきた。
映画「セブンガールズ」の底に流れるピュアな何かとはなんだったのか。
それを自分なりに解釈してきた。
そこからまた一歩進んで、未来を思い浮かべなければ。
夢を叶えてよかったねで終わらせてたまるか。
肩書が一行増えたことなんて、なんの役にも立たない事なのだから。
たくさんの人との出会いは確かに今も宝物だ。
けれど、本当に手にした大事な大事なものを僕だけは忘れない。
あの企画を実現させることが出来たその行動力こそ、最大の収穫だったと思う。
なんだってできるんだと確信できたことを忘れてはいけない。
僕はこの新しいプロジェクトでも。
同じように進んでいくしかないと思っている。
そしてそれは更新され続けている。
何が弱点で、何が強みだったか、もう一度見据えて。
更にもっともっと高く飛翔できるための準備をするんだ。
そして、もっともっと大きな奇跡を起こすのだ。
そうだ。
この日が来るたびに思い出すのは。
未来に向けてのワクワクとした高揚感だ。
それだけが奇跡を起こすことが出来る一番大事なものだ。
37日目が始まる。
小野寺隆一