制作日記 6「VICTORIA」CD2-4 完全版
vol. 18 2024-03-20 0
6/30 一部修正、写真追加、一般公開
Vo. 橋都章人 (ex. ALL I NEED~the superlative degree) / Eg, Ag, 12st. Ag. 米澤誠一朗(ex. Lynx~W.A.R.P.) / Ba. RIKIJI (Oblivion Dust) / Dr. 魔太朗 (ex. Lynx) / Cho. AH(from 高円寺百景) / Arr.&Key. ホッピー神山
3月18日(金)快晴+強風(気温急降下)
三寒四温とはまさにこのこと。空模様としては昨日と同じく快晴ですが、昨日と今日では気温が10度くらい低くなってしまいました。そして、相変わらず今日も相当な強風が吹いているので、花粉症持ちの人々にはなかなかしんどい天候でもあるのが辛いところ。
もっとも、地下のスタジオに入ってしまえばここはもう完全なる別世界です。本日は7thアルバム『思春期 I』(1991年リリース)のリードチューンだった「VICTORIA」を、ホッピー神山さんによる陣頭指揮のもとでレコーディングしていくことになりました。
ホッピー神山さんといえば、今回のプロデューサーである岡野ハジメさんと共にPINKのメンバーとしてメジャーデビューされる以前から、今に至るまでキーボーディストとして大活躍されてきたのはもちろん、これまでにはたくさんのバンドやアーティストに対するプロデュースワーク、また国内外でのさまざまな音楽活動も展開されてきた鬼才です。DER ZIBETも幾度となくお世話になってきています。
「DER ZIBETとは、彼らがデビューした時から90年代前半にかけて数枚のアルバムにキーボードで参加したという関係ですね。あと、HIKARUとは90年代後半に岡野くんやキースくんと一緒にPUGSというバンドをやっていて、アメリカツアーにも行ったりしました。そして、90年代の最初の方に下山淳と池畑潤二とわたしでバンド(Flower Hip)を組んだ時には、ISSAYにリードヴォーカルとして歌ってもらったこともあったんです。今思うと、ISSAYと最後に会ったのは2014年に渋谷のwwwでKA.F.KAとライヴ([土屋昌巳〔KA.F.KA〕† ホッピー神山 Solo Performance])をやった時でした」(ホッピー神山)
ちなみに、ホッピーさんからは今回のトリビュートに対して我々DZTPが企画調整をしている過程で、「参加したい」と大変ありがたいお申し出をいただきました。このたびはISSAYへの深い愛を示してくださり、本当にありがとうございます。
「ISSAYとは何かと関わりがありましたからね。DER ZIBETのトリビュートが出ると知って、イトハル氏にすぐ連絡したんですよ。“もし参加できる余地があるならやりますよ”って。イトハル氏も最初から名前挙げて検討してくれていたみたいで。それで今回こういうかたちで参加することになったんです」(ホッピー)
というわけで、この日のレコーディングはプロデュース・岡野ハジメ、アレンジ&キーボード・ホッピー神山という、最強のゴールデンタッグが「VICTORIA」を“VICTORY”へと導いていくことになりました。
録りのプロセスとしては、魔太朗さん+RIKIJIさん+誠一朗さんが楽器ブース、章人さんはボーカルブースに入り、まずはいわゆるファーストテイクをライブレコーディングに近いかたちで収録。その後はこれを土台にして、各パートのダビングをしていきます。
しかしながら、このファーストテイクの段階で岡野さんからはなんとこんな一言が…!
「グルーヴ良かったし、ドラムとベースはもう録らなくていいよ」(岡野)
いきなりの一発OKです。魔太朗さんとRIKIJIさんとしてはやや拍子抜けした感があったらしく、ご本人たちの希望で先ほどと同じスタイルで録ったものの、結局はファーストテイクが採用となり、作業開始は昼過ぎだったにも関わらず、リズム録りは13時過ぎに早くもアップしてしまいました。
「いやー…まさかテイクワンOKになるとは思ってなかったですけど、これはISSAYさんに対する愛の成せる業でしょう。だって俺、ほんっっっとにDER ZIBETのこともISSAYさんのソロも大好きなんです。だから、このトリビュートに参加することが出来るのはとても嬉しい反面、どうしても寂しいところはあって、そこはちょっと微妙な気持ちであるのは事実なんですよ。でも、このトリビュートを通してみなさんがISSAYさんの歌とかDER ZIBETの音楽に触れてくださるキッカケになるのだとしたら、もう自分にとっては末代に至るまでのありがたき幸せ!」(魔太朗)魔太朗さんはISSAY meets Dolly、Lynx、そしてISSAYソロでも共に活動されてきた百戦錬磨のドラマーです。初めて魔太朗さんがISSAYと出会ったのは2000年代初頭だったそうですが、その時のことは今でも忘れられないとのこと。
「白のスーツに赤い薔薇の花束を持ってたんですよ、ISSAYさん。多分ライブの後でお客さんにもらった花だったんでしょうけど、あまりにも似合い過ぎててさすがだったし、すげーな!!と(笑)。自分がリアルタイムでDER ZIBETを聴き出したのは『CARNIVAL』(1989年発売の5thアルバム)からで、そこからさかのぼっていろいろ聴いていて大ファンでしたからね。あの時はほんと、“俺の中のISSAY像がそのまま現実になって現れた!”って感じちゃいました。そういういろんな想い出や思い入れがあり過ぎて、今日は空回りしなきゃ良いなとは思ってたんですよ。ただ、今回は長年の交流がある信頼出来る仲間たちと、ホッピーさんに岡野さんっていう最高の環境でやらせていただけたので、凄く楽しくやれました。これもISSAYさんのおかげだと感謝してます」(魔太朗)
そして、今回の「VICTORIA」で魔太朗さんとリズム隊を組むことになったRIKIJIさんもISSAYについては鮮烈な想い出があるそうです。
「僕がISSAYさんと出会ったのはわりと最近なんです。2022年に “CRAZY”COOL-JOEさんのイベント[CRAZY Rock Night Vol.5](at 神戸チキンジョージ)で共演することになって、その打ち合わせの場で初めてお会いしたんですよ。そこから東京、神戸と一緒にイベントツアーで廻って、神戸のホテルをチェックアウトする時に僕は驚いたんです。突然、ロビーにハットをかぶって真っ黒な格好に真っ黒なマスクをしたドラキュラ伯爵みたいな格好のISSAYさんが現われましたからね。つい、あの時は一緒に写真を撮らせてもらっちゃいました。まだ午前中だったんで、“ISSAYさん、日の光を浴びても大丈夫なのかな??”ってみんなで心配しちゃったくらいです(笑)」(RIKIJI)なお、その後RIKIJIさんはあるイベントにベーシストとして参加した際に対バン相手だったISSAYと再会。打ち上げの場でこのような誘いを受けていたのだとか。
「ISSAYさんが“いいベース弾くよね。今度何か一緒に出来たらいいね。お願いします”と言ってくださったんです。“ぜひこちらこそ!”となり、今年2月にあった“CRAZY”COOL-JOEさんの還暦記念ライブの仕切りは僕だったので、去年の段階からISSAYさんには出てもらうつもりでした。ところが…ということだったので、今回このトリビュートに参加させていただけたことによって少しはISSAYさんの気持ちに応えられたのかな、とは思ってます。個人的には「VICTORIA」だけじゃなくて、もっと「LOST BOY」みたいな曲も弾きたかったし、やっぱりライブでも一緒にやりたかったですね」(RIKIJI)
RIKIJIさんの真摯なお気持ちは、この日の力強いプレイに目一杯詰め込まれていたように感じました。ぜひとも、アルバムがリリースされた暁にはそのあたりも含めてみなさまにじっくりお聴きいただきたいと思います。
頼もしいリズムセクションの録りが終了したあと、続いて始まったのは歌録りです。2024年の始まりと共に新バンド・the superlative degreeを起ち上げ、つい先日に初音源レコーディングを終えたばかりだという章人さんが、今日は「VICTORIA」を高らかに歌ってくださいました。「しばらく引退してたから、自分のバンドも含めて今回15年ぶりのレコーディングなんですよ。ただ、「VICTORIA」はデルジのライブでよく聴いてたし、ずっと耳に残ってるから、自分にとっては馴染み深い曲として歌えました」(章人)
さかのぼると、章人さんとDER ZIBETとの縁が生まれたのは1998年にALL I NEEDというバンドでメジャーデビューされた時に、ファーストシングルの『Running over me』をHIKARUがプロデュースしたタイミングから。それ以降は、ISSAYとも交流を持つ機会が増えていったそうです。
「俺とISSAYさんは出身地が同じなんですよ。ISSAYさんって感激屋さんなところがあるから、それを知った時は“HIKARUがプロデュースして、お互い同郷出身だなんて、これはもう運命だよ!”って嬉しそうに言ってました(笑)。でもね、その前にそれこそデルジが「VICTORIA」を出してた頃、俺は街中でISSAYさんのことを一方的に見かけたことがあったんだよね。その時はまだ雑誌でしか見たことなかったたけど、一目でISSAYさんだってわかった」(章人)
いやはや、この日だけでも3人からISSAYにまつわる証言が飛び出すとは…つくづく、ISSAYは何処にいても目立ちやすい存在なのですね。
「あらゆる面で唯一無二なんです、ISSAYさんは。あの生き方は見習わなきゃいけないなって思うし、言葉として合ってるかどうかはわかんないけど、ISSAYさんは俺にとって外タレみたいな日本人アーティストですね。だけど、別に普段は全然カリスマみたいな感じじゃないし、優しいし、俺もだいぶ可愛がってもらいましたよ」(章人)
そんな章人さんと共に、今年からthe superlative degreeのギタリスト*としての活動を始めた誠一朗さんは、この「VICTORIA」で多くの役割を担うことに。いわゆるエレキギターのダビングだけにとどまらず、ホッピーさんからのアレンジ意向に応えるかたちで6弦アコースティックギター、12弦アコースティックギターについてもそれぞれ弾かれることになりました。
「DER ZIBETっていろんなマニアックで面白い曲もありますけど、この曲はキャッチーさとストレートさの面で特に突き抜けてるところが好きなんです。今回「VICTORIA」を演奏することが決まった時は、めちゃくちゃテンション上がりました」(誠一朗)
誠一朗さんはISSAYとLynxで共に活動されていた方でもありますが、DER ZIBETとは意外なところで繋がっていたと教えてくれました。
ISSAYが愛用したタカミネの12弦を特別に借りてきてレコーディングに臨んだ誠一朗さん
「俺の同級生が昔HIKARUさんのローディーをやっていたこともあり、DER ZIBETのことは前から知ってたし、HIKARUさんの出してる音とかプレイとか、あの変態的な機材の使い方には凄く興味があったんですよ。あと、今回のレコーディングに向けて古いライブ映像をあらためて観てみたら、やっぱりDER ZIBETってリズム隊もほんとに凄くて見入っちゃいましたね。ただ、ISSAYさんとは魔太朗がつないでくれた縁でLynxをやることになった時がほぼ“初めまして”だったんです」
Lynxとは、2004年にISSAYがX JAPANの故・HEATHさん、魔太朗さん、そして誠一朗さんと共に起ち上げたバンドです。「Lynxが沼津でライブ(2006年)をやった時は、HIKARUさんがゲストで出てくれたんですよ。しかも、そのことが結果的にデルジ再結成のキッカケになった流れがあったんですよね。あの時はDER ZIBETの曲もけっこう弾いたし、打ち上げではHIKARUさんとも凄く打ち解けることが出来たので、自分にとってもかなり思い出深いライブになってます」(誠一朗)
これにくわえて、今回は誠一朗さんからISSAYとの素敵な一夜の出来事についてのお話もうかがうことが出来ました。
「去年の夏、たまたま呑みに行ったバーでISSAYさんとばったり会ったんですよ。お店が凄く混んでて、店員さんに“今、奥の席だけ空いてますよ”って通されたところに紫色のスーツを着たISSAYさんがいて(笑)、“久しぶり!偶然だね”ってなったんです。で、話してたら“俺、今日誕生日なんだぞ”っていうことだったんで、その夜は初めてISSAYさんにビールを2杯おごらせていただきました。あと、普段は全くSNSに写真とか上げてないんですけど、俺から“記念に写真撮りましょうよ。個人的に撮りたいだけだからSNSには上げないんで”ってお願いしたところ、逆に“いいよ、ちゃんと上げろよ!”って言われちゃったんで(笑)、珍しく上げたんですよね。あの夏に、そういう楽しい想い出を作っておけて本当に良かったです」(誠一朗)
誠一朗さんとISSAYさんの想い出話は、これだけにとどまりません。この制作日記のためだけに、超レア情報まで頂戴してしまいました。これは意外な事実かも?!
「昔、ISSAYさんのパントマイムの舞台を観に行って凄く感動したんですよ。それで、自分もやってみたくなっちゃって。Lynxのリハーサルでスタジオに一緒に入った時、ISSAYさんにちょっとだけパントマイムを教えてもらったことがありました。ISSAYさん、教え方が凄く上手なんですよね。特にどこかで披露したことはないんですが(笑)、ムーンウォークとか“へぇー、こうやるんですね!”って。そういう発見をさせてもらえたのも貴重な経験だったと思います」(誠一朗)
このように音楽とは直接あまり関係のないことまで誠一朗さんといろいろと話し込んでしまっているうちに、気付けばスタジオ内ではホッピーさんのキーボード録りがスタート。アナログシンセの名機・Prophet-5など、数台の楽器を次々と弾きこなしていく姿は壮観であり、貫録もたっぷり。最後は生ピアノまで華麗に弾いてくださり、我々は圧巻のプレイを堪能させていただけたのでありました。
さらに、最後のトッピングとしてプラスされたのは ホッピーさんが招聘してくださったAH(from 高円寺百景) さんによる重厚なコーラス。AHさんは高音から低音までいくつものパターンを重ねながら、奥行きのあるゴージャスな歌声で「VICTORIA」に美しい荘厳さを与えてくださったのでした。そもそも、“VICTORIA”とはローマ神話に登場する勝利の女神の名前ですので、この女性コーラスは意味合いの面でもこの曲を完璧にしてくれたと言えるでしょう。イトハル氏は録り終わりのタイミングで、賛辞の代わりに「VICTORIA降臨!!」と叫んでいました(笑)。
春まだ浅き日に生み出された、「VICTORIA」の素晴らしき響きたち。みなさまに音をお届け出来るのは夏の頃ですが、このメンツならではの音を味わっていただくのが今から我々も楽しみです。
次の制作日記は、今週後半に更新予定。レコーディングはまだまだ続きます!!
Text:DZTP(S) Photo:DZTP & 辻砂織
脚注* 6月に脱退
ここより追記分
さて、その後のVICTORIAがどうなったかと申しますと、4月下旬頃より岡野さんがスタジオで録った音源をブラッシュアップすべくご自宅のシステムでエディット作業開始、4月末頃にKoni-youngにそれが渡りそれを自宅MIXしていただき、岡野さん、ホッピーさんのOKが出たのが5/5のMIX 2、順調でした。ところが、マスタリングを前に岡野さんがさらに気になるところがあったようで、5月中旬頃すぎてから岡野さんとKoni-youngの間で再びやりとりが始まり、最終版は5月23日早朝完成のMIX 6ということになりました。
5月27日のマスタリング音源納品を前にしてこの時期はかなり岡野さん、Koni-youngの作業が緊迫、逼迫しておりました。マスタリングの石渡さんに岡野さんがOKを出したのは3テイク目、岡野さんの音への拘り方はやはり妥協を許さないプロ中のプロでした。
追記:イトハル