制作日記 4「Der Rhein(デルライン)」CD1-1 完全版
vol. 16 2024-03-15 0
7/3 更新(一般公開)メンバー並びに本文修正加筆、コメント紹介
Vo. 宙也 / Vo. kyo (D’ERLANGER) / Pf. エミ・エレオノーラ / B. & Arr. 岡野ハジメ / Vn. SUGIZO (LUNA SEA / X JAPAN / THE LAST ROCKSTARS / SHAG) / Dr. Sakura (gibkiy gibkiy gibkiy / Rayflower / ZIGZO) / Arr. & Track 藤原マヒト (DER ZIBET)
3月14日(木)快晴
本日は1985年10月にリリースされた、DER ZIBETのファーストアルバム『Violetter Ball ( 紫色の舞踏会 )』の収録曲「Der Rhein」を、こちらの面々によりまたもやプロデューサー・岡野さんの邸宅内スタジオにてレコーディングいたしました。
今回この曲のアレンジとプログラミングを手掛けるのは、DER ZIBETのキーボーディストである藤原マヒト (MAHITO)です。
なんでも元々「Der Rhein」はISSAY、HIKARU、HAL、MAYUMI、MAHITOの5人でDER ZIBETを結成して間も無かった頃、セッションで曲作りをしていく中、タンゴとスカを合わせたかたちで何か出来ないか?という発想から生まれたものだったのだとか。もちろん、MAHITOも作曲者(クレジットはder Zibet)の一人です。
再結成以降も結構ライヴではやっていて、アコースティック編成時はMAHITOがよくアコーディオンを弾いていたことをご存知な方もきっといらっしゃることでしょう。今回のAメロの変拍子アレンジもMAHITOならではの捻りの効いたスリリングなアレンジです。
そして、通常レコーディングではドラム、ベース、ギター、キーボードなどのウワモノ、最後に歌という順で重ねていくことも多いのですが、今回の「Der Rhein」はMAHITOが作ったベージックトラックを岡野さんがさらにブラッシュアップし、そしてフレットレスベースで(最高の!)プレイを自ら録音して頂いており、今日の録りではそこにピアノと歌を重ねていきます。
岡野さんが弾いたフレットレスベースがこちら。このベーストラックを初めに聴かせて頂いた時に岡野さんにすぐさまお電話しました。「まるでミック・カーン(JAPAN)がノーマン・ワット・ロイ(Ian Dury & The Blockheads)に乗り移ったかのようです。最高です!」(イトハル)
制作現場では、まず宙也さんとkyoさんが 昼過ぎからヴォーカルリハを開始。おふたりとも、ほんのわずかに発声練習をされたのみだというのに、スタジオに入った途端それぞれがとてもリハとは思えない完成度のヴォーカリゼイションを聴かせてくださり、我々スタッフはいきなり驚かされることになりました。
そして、その後は仮ヴォーカルの入ったトラックの上にエミさんがエレピの音を重ねていくことになったのですが、これまた譜面を前にしてはいるものの、そこにはおさまりきらないくらいのインプロヴィゼイション的な要素をふんだんに取り込んだ、アヴァンギャルドかつエモーショナルな音が次々と紡ぎ出されていくことに…!
それにくわえて、MAHITOによるピアノのディレクションも実に的確でした。(※岡野家の猫ちゃんがエミさんにスリスリする一幕も)
エミさんは歌唱、作曲、作詞、演奏、演技とボーダレスかつグローバルな表現活動をされている多才なアーティストですが、今回「Der Rhein」のレコーディングではその華麗なる指さばきによって、濃密な「Der Rhein」の世界に色鮮やかな花を添えてくださったのです。もちろん、プレイが終わった際にはコンソールにいた宙也さんとkyo さんを含めたその場にいる全員が、盛大な拍手喝采をエミさんに贈ったのは言うまでもありません。
「実は、去年8月に入ってすぐISSAYくんとは家の近所の道でバッタリと会ったんですよ。彼はいつもにこやかな人だけど、その時はいつも以上に最高の笑顔で“エミちゃん!あのね、今お芝居を観てきたの。凄く良かったんだ!!”ってニコニコしながら嬉しそうに言ってて。ほんと、今思うとあの時に会えていて良かったです。わたしは普段、近所に出る時は完全にドレスダウンしているんですけど(笑)、ISSAYくんはどんな時でもどんな場所でも常にキチッとした格好をしていて、その時も相変わらず素敵でした。わたし、彼のあの笑顔が本当に大好き。カッコイイとかっていう以上に、あの笑顔はもう天使だよね。今日もレコーディングしてる時、どこかからひょっこり出て来て“ねぇ。エミちゃん、そこもう1回ちょっと弾き直してくれる?”とかって、ISSAYくんが笑顔を見せてくれるんじゃないかな?っていう気がしてました」(エミ・エレオノーラ)
きっと、ISSAYは今日エミさんが奏でてくれた音を楽しそうに聴いていてくれたはずです。素晴らしい演奏をどうもありがとうございました。
さて。次はヴォーカル録りです。宙也さんは先日の「マンモスの夜」でも大活躍をしてくださっているのですが、実は今回「Der Rhein」をkyoさんに歌っていただきたいと依頼した段階で、kyoさんから「ぜひ宙也さんと一緒に歌いたい」とのお声をいただき、このデュオ体制でのレコーディングが実現したという経緯がありました。
宙也さんも、kyoさんも、これまで「デュオでレコーディングした経験はない」とのことですので、今回の「Der Rhein」はまさに激レア音源になると言えそうです。
「ISSAYさんと初めて会ったのは、大阪で花博(1990年開催)のイベントに出た時でしたね。でも、僕は一方的にISSAYさんのことを自分が思春期だった頃から知ってました。当時、目黒鹿鳴館の壁にISSAYさんの写真が飾ってあったんですよ。それを見て、とにかく“デヴィッド・ボウイみたいだなぁ”って凄く気になって。それがDER ZIBETのISSAYさんだって知ったんですけど、その後に僕がBMGのARIOLAレーベルにいた時は一緒にレーベルメイトとしてイベントに出たり、普通に“ISSAYさん”って呼ばせてもらってお話をするようになりました。ほんとにいつも優しく接してもらっていましたし、最後にお会いしたのはBUCK-TICKのアニイさんのバースデーライヴの時でしたが、あの時に櫻井敦司さんとISSAYさんと僕の3人でお話をさせていただけたのも凄く良い想い出です」(kyo)
なお、ISSAYとの逸話をこのように紹介したくれたkyoさんは、今回「Der Rhein」を歌うのにあたっての想いも以下のように語ってくださいました。
「実は、昔ソロをやってた時に僕はDER ZIBETのマネージャーさんに“ISSAYさんに詞を書いてもらいたいと思うんです”って頼んだことがあったんです。基本的に、僕は誰かが書いた詞を歌う経験があまりないし、歌いたいと思ったこともないんですけどね。でも、やっぱりISSAYさんが持っている世界観はとても好きで。残念ながらその時その思いは叶わなかったんですが、今回こうしてISSAYさんの言葉を歌えることになったのは感慨深いです。ひとつずつ噛みしめながら、味わいながら、楽しみながら、歌わせていただこうと思ってます」(kyo)
一方、そんなkyoさんからの指名を受けたヴォーカリストであり、ISSAYとはかねてより盟友でもある宙也さんはというと…?
「ISSAYやDER ZIBETとの共演は何回もしてるんだけど、意外にDER ZIBETのライヴを観た回数は少ないんですよ。でも、この「Der Rhein」はISSAYが仮面を使いながらライヴをやってたイメージが凄くある。そして、この曲は歌うのが難しいタイプの曲だよね。 “この人はどこの国にいるんだろう?”っていう歌詞の異国情緒を出すには、歌う自分もそこまで飛んでかなきゃいけないしさ。ISSAYは昔“マイムとかの場合はその1時間なりでその役の人生を演じ切らなきゃいけないし、歌の場合は1曲でその人の人生を演じ切らなきゃいけない”って言ってたのね。それも、まだけっこう若い時に。当時から“すげーな”とは思ってたんだけど、今回「Der Rhein」のレコーディングをするってなった時には、そのISSAYの言葉を思い出したな」(宙也)
ちなみに、おふたりは先ほどヴォーカルリハで録ったテイクをチェックしつつ、宙也さんとkyoさんがともに歌詞をプリントしたものを見ながら聴き直し、細かいところまで確認しながら「ここはこんなニュアンスで歌っていこう」「こっちはもうちょっとこんな感じで」と、お互いに意思を伝えあっている様子が微笑ましいことこのうえなく、とても息の合っている様子が周りにもありありと伝わってきました。
レコーディングブース自体にはひとりずつ入り、それぞれのパートを歌っていくことになったものの、録れた歌は「まるで互いに見つめあいながら歌っているかのような」仕上がりだったのです。「ふたりとも色っぽいわぁ~」と、エミさんも絶賛!!
結果、予定していたよりも歌録りは早く終了。もしもレコーディングが難航するような場合、翌日に延長戦となっても良いようなスケジューリングを念のために組んではいたのですが、その必要はなくなってしまったのです。
皆様のおかげで1日空き日が出来ましたので、連日の作業が続いているエンジニアのKoni-youngさん、プロデューサーの岡野さんも、明日はせっかくですのでどうぞゆっくりなさってください。
次のレコーディングは17日。おそらくその日は、スタジオ内で〈青いバナナ・フィッシュが飛び出す〉ことになるかもしれません。
Text:DZTP(S)
ここより加筆部分
こうしてピアノと歌を録り終えた「Der Rhein」のトラックは後日マヒトがエミさんの複数テイクあったピアノを自宅エディットし、岡野さんの元へ。そしてリズムトラックをキックを除いた部分を生ドラムに差し替えるために、岡野さんの(L'Arc-en-Cielのドラマー時から親交のある)推薦もあり、ISSAYとは何度かライブ共演もあったSakuraさんにご自宅スタジオで録音していただくことに。
「参加した楽曲は、歌劇調でノスタルジックな感じにとれるもので、所謂ロックバンドにはない独自性がとても面白かった。ISSAYさんは日本ロック史に名を刻むべき存在だと思う。今回その一端をお手伝いできて光栄です。」Sakura
さてお膳立ては整いました。Sakuraさんのドラムを3月末までに録り終えていただき、4月初旬の某日、いよいよSUGIZOさんのヴァイオリン収録です。
この日はまだ肌寒さが残るどんよりした休日、我々DZTPスタッフ2名は収録予定のスタジオにお邪魔。夕方になってスタジオに現れたSUGIZOさんはなんと杖をついて片脚を引きずり気味。「昨日家で捻っちゃって」と昨年末のLUNA SEAツアー中の腰椎骨折からの回復から間もないというのに心配です。「大した怪我ではなかったので大丈夫です」と気丈なSUGIZOさん。「それよりこのトラック既にすごい完成度ですよね、僕が入る必要ないくらい」と謙遜されていましたが、岡野さんとはすでにメールと電話でやり取りしてもらっていて、岡野さんはSUGIZOさんに「すべてお任せします」ということに。我々も冒頭のご挨拶だけ済ませて、自家製ヴィーガン&グルテンフリー弁当と同じくグルテンフリーのお菓子をお土産に手渡し、スタジオを後に。
そしてこの日はSUGIZOさんといつも一緒にレコーディングされているエンジニアの大野さんの二人を中心にレコーディングは進められました。SUGIZOさんはかなりいろいろなチャレンジをしながらテイクを重ねて頂いたそうで、収録は深夜のかなり深い時間まで作業が続いたそうです。
レコーディングを終えたSUGIZOさんからは岡野さんと我々スタッフに向けてこんなメッセージが届きました。
お疲れ様です。
無事レコーディングを完遂致しました。
岡野さんからご指示いただいた、IntroとInterを始め、2A&2B、そしてD’ にもヴァイオリンを入れてみました。Introとドンケツのキメのみ2テイク録ってあります。これらをいかに使うかは、もちろん岡野さんの判断にお任せ致します。
僕がダビングする前段階で、既に非の打ち所のない素晴らしいアレンジでしたので、大変なプレッシャーでしたが、「昭和デカダン」とも言えそうなとてもいい雰囲気に持っていけたような気がしています。気に入っていただけたら幸いです。
とにかくこのプロジェクトに参加させていただき非常に光栄でした。
敬愛するISSAYさんが喜んでくれているとしたら、それこそこの上ない喜びです。
本当にありがとうございました。
SGZ
かくして昭和に生まれたデルジベット初期の名曲「Der Rhein」は時を超え、令和の時代に一つの傑作として、聴いている者の心を震わす一曲へとメタモルフォーゼしたのです。その完成度の高さからバイオリン収録が終わった時点でこれを1曲目、アルバムのリーディングトラックにとの思いがどんどん募ってきて(その後2枚組となることが決まりましたが)最終的にDISC-1の1曲目に据えることとなりました。
更新版Text: DZTP イトハル