サカルトヴェロから考える 4
vol. 9 2023-07-11 0
東部カケティ地方の町サガレジョの学校での伝統舞踊の稽古。
これ、そういえば舞台藝術についてのクラウドファンディングでしたよねと初心に…
第4回
牧畜や農耕は平坦な土地を期待する。しかし現実の土地がのっぺりと平らなわけがない。人も獣もその土地の凹凸を巧みに利用しその土地でしかなしえない果実を得る。技術とは理想に安住する夢ではなく現実との抗争である。
近代劇場建築に慣れすぎると、舞台藝術もまた同じこととの認識が失われる。平坦な舞台は理想かもしれないが平坦な舞台にしかゐることができない演者は脆弱だし、そんな舞台を前提とする身体技法も劇場に囚われてしまっている。
サカルトヴェロの伝統舞踊の技法はそのことにとても意識的だと思う。平坦地で踊ることはもちろんできるが、丘や崖で立ち回るすべが始めから所作の中に組み込まれている。それどころかこの踊りで見事に身体を捌くと丘や崖が平であるかのように見えてくる。そんな構成能力すらある。そんな伝統と共に生きながら育った者、ましてやそんな伝統を己の技として咀嚼した者は、その狭い伝統から離れて他の様式の舞台藝術に関わったとしても、当然のように力を発揮する。
ロシア演劇やロシア・バレエの中に、帝政期もソヴィエト期もどちらにおいても、カフカス山中からあまたの人材が流れ込みそして名を残したのもあの伝統舞踊を観れば納得できる。
そんなことを念頭においたまま、さらにサンドロ・アクメテリとコテ・マルジャニシヴィリという二人の演出家の業績に思い至る。二人の共通した注目は群衆であった。群衆を舞台にのせる。群衆の美しさを場面に活かす。二人のこの注目とサカルトヴェロの伝統舞踊の大地の起伏への対峙ひいてはサカルトヴェロにおける生業一般においての大地との格鬪とは、なんらかの連関があるのではないか、予想する。近現代演劇を分析する視点として、土地はつまり舞台は、実は平坦ではないという命題を提示しておきたい。