サカルトヴェロから考える 3
vol. 7 2023-07-09 0
このクラウドファンディングには「角本を支援」という枠もあるようですがその返礼となる資料は支援者の希望でカスタマイズする予定です。今回の文章みたいなものは最も誰も望んでないような気もしますが、こんな伝記の元になる史料から郷土料理のレシピまでいろいろと取り揃えています。
第3回
世界で最も有名なカルトヴェリ人の話をしよう。イオセブ・ジュガシュヴィリは斜陽の帝国の南の辺境地帯のその中でも田舎町なゴリで生まれた。
男の生まれた年に帝国は南の帝国との戦争に勝ちはするものの列国の干渉により戦利を思うようには受け取れない。首都では皇帝が暗殺され革新分子の蜂起が繰り返される。表向き経済は好況だが帝政の歪みは社会を蝕んでいた。なんと東で急躍進を遂げた新興帝国に敗北してしまう。首都では当然のように叛乱が起こる。のちに第一革命と呼ばれる事件である。アントン・チェーホフはこの社会の歪みを中央ではなく黒海地方の別荘地を描くことで炙り出す。『Вишнёвый сад』である。黒海・カフカス地方は、単に劇作家の生まれ故郷であるだけでなく帝国社会構造の矛盾を最も体現した地域でもあったのだ。件のイオセブもその土地の空気を吸って育ってゆく。
さて男の母は我が子をロシア正教の神学校に通わせる。神学校は帝国の辺境支配の要でもある。少しでも中枢の文化に子供を親しませたかったのか。この親なりの挑戦であろう。しかし息子は社会に歪みを感じ取りそれを神学の文法で把握するなら自ずと無神論に傾倒する。親の期待には反したかもしれないが息子の挑戦は、とある新進気鋭の革命セクトへと加入することであった。この地域の南部には大麻の自生する地帯がある。この地域は英仏の対外進出の西の縁に位置することで銀行の取引が大きく動く。麻薬ブローカーと銀行強盗というどちらもあまり褒められたものではない稼業で資材を蓄えた男は私兵を囲い地域の有力な活動家となる。セクトには膨大な資金を上納する。セクトは中央の革命で徐々に中心的な地位を占めるまでに成長する。男はもはやセクトと呼び続けるには大きすぎる一派の中心となり党に要職を得るまでとなる。そして辺境の出身であることを買われ、民族マイノリティについて党の啓蒙雑誌に寄稿することになる。男は自身のカルトヴェリ出自を隠すためか派閥の領袖の名にあやかるためか、筆名で寄稿する。「スターリン」と。
ここからの男の躍進は用意周到なものであり、党を束ねてきたレーニンが遺書で「スターリンを失脚させるべし」と明言してもそれを秘匿してしまうことなく会議で朗読させてなおレーニンの後継者の地位が揺るがないところまで盤石であった。こうして辺境サカルトヴェロに生まれた男は大ロシア帝国の後継、ソヴィエト社会主義共和国連邦の第一人者となる。
サカルトヴェロに他の夢がなかったわけではない。帝国に隷属し続けることを好まぬ者が、帝国を壊して後継国家の「皇帝」となる、のはむしろ珍しく、より慎ましやかな夢として、帝国の混乱に乗じてサカルトヴェロは独立していた。第一共和政である。またカルトヴェリ人の舞台藝術の技は帝国内でも傑出しており帝政期より首都の劇場の要職に就く者も少なくなかった。しかし自らの地位を揺るぎないものとしたいスターリンの飽くなきチャレンジは、この同胞たちの夢を容赦なく叩き潰す。大粛清が決行された。短命な第一共和政の有力政治家にしてフランスのエミール・ゾラと比べられることも多い自然主義の作家ミヘイル・ジャヴァヒシヴィリも、ロシアから戻りルスタヴェリ劇場の革新を主導したサンドロ・アクメトリも、「враг народа」として処刑される。が、そのロシア語の汚名を被せてゆく責任者は同郷のスターリンであってロシア人ではなかった。民族の英雄ジャヴァヒシヴィリやアクメトリを語る者は声高に「ソヴィエトに殺された」と言う。時の指導者はジュガシヴィリですよね、と指摘すると言葉に窮し激昂する者もいる。そしてゴリの町は今でもイオセブを町が生んだ英雄と讃える。
この辺境のここ200年は、いろいろなチャレンジがいろいろなリスクを伴い互いに折り重なって地域の魅力に彩りを添える。それをカタカナでチャレンジ・リスクと書いた瞬間になんとも軽くなる。人の一世一代の勝負はチャレンジでもなくそこで乗り越えるべき障壁はリスクでもない。フットボールスタジアムの箱庭ではないのだから。と、このクラウドファンディングの様式を眺めながら思う。
ゴリのスターリン博物館。この美しいソ連期建築の傑作の一つの横には生家の荒屋もある。