サカルトヴェロから考える 2
vol. 6 2023-07-02 0
第2回
トビリシを首都とするこの地域をなんと呼ぶか? とても悩ましい。サカルトヴェロと呼ぶべきだと私は考えているし、ジョージアと呼ぶのが最も愚行とも考えている。
カルトヴェリと自称する人々つまりカルトヴェリ人の土地を意味する語をつくるためにこの土地の言葉カルトゥリでは「サ…オ」で挟んで「サカルトヴェロ」とする。「საქართველო」と書く。それでよいではないか。
歴史的な他称としては、この土地は「グルジスターン」である。イーラーン系の言葉やその借用で、「グルジュ」とは狼のこと、その土地を示す「-イスターン」をつけてつまり「狼たちの土地」である。近隣諸国で最も使用されているのはいまでもこれで、語尾を少し変えたロシア語の「グルジア」もこの借用。過酷な山岳森林地帯と平野部の民から指し示されたのである。そしてそこに暮らす人々について、しばしば誤解されるように未開性を侮蔑してではなく開拓心に溢れる勇猛性に敬意をもって狼とされたのではないかとの説に与したい。
この「グルジスターン」にイーラーン系言語よりもギリシャ語の方に親近感を覚える人々が接した時、これを「ゲオルギオスの土地」と誤解か意図して読み替えたかしたのが「ジョージア」の始まりである。ゲオルギオスとはキリスト教聖人の中で最も好戦的な人物、あるいは征服や抵抗の守護者である。しばしば龍を屈服させた姿で描かれる。例えば、コンスタンティノープルのギリシャ正教徒が、オスマン朝の征服によりハギア・ソフィアを追われた時、臥薪嘗胆と市内に大司教座として選んだ教会にゲオルギオスの名が用いられ、また例えば西地中海でもムスリムと対峙した人々の守護者とみなされたためにカタルーニャの守護聖人もこのゲオルギオスである。そんないささか物騒な聖人。ギリシャ語世界にとっては『アルゴナウティカ』もあるためイアーソンが来訪したこの土地に龍を操る太陽の末裔を王とする民族がいたと記憶され、それがゲオルギオスの成敗する龍と重ね合わされる。つまり「ジョージア」とは「非キリスト教=非文明との前線」という意味なのである。しかしこの土地はむしろ戦いの場である以上に交流と共存の場であったはずである。その象徴として「シルクロードの東端」である。またカルトゥリを話す人々にも他の言語を喋る人々にもこの土地にはそれなりの数の非キリスト教徒もいるし、ゲオルギオスを聖人とは扱わないキリスト教徒もいる。「ジョージア」はそれを忘れさせかねない。
それだけではない。ゲオルギオスの土地として「ゲオルギア」ではなく「ジョージア」と英語風発音の呼称を非英語圏でも薦める時、それは過度な英語中心主義ではないのか? ロシア帝国主義を忌避してイーラーン系呼称のロシア語「グルジア」の国際使用を止めるために、アメリカ帝国主義に屈服するのか媚を売るのかといった風である。2008年のロシア帝国主義がこの地のムスリム人口の保護者を自認して侵攻してきていた側面があるとしてもである。この歴史的にも大事な文化の結節点は、独自の自称でその重要性を世界に誇ってもよいのに、とサカルトヴェロに赴くたびに思う。
トビリシにあるジヴァリス・ママ(ჯვარის მამა =十字架の父)教会。この教会のある一帯がゴルゴタの丘に似ているとされるのが名の由来。