代表エピソード:『母と、一周年』
vol. 18 2014-02-19 0
この連載では、「力もない」「お金もない」「夢しかない」のCATiC代表 教来石小織(きょうらいせき さおり)が夢を綴ります。
↑小織さんごめんなさい
『母と、一周年』(代表エピソード)
物心ついた頃から、
家では毎日のように映画が流れていた。
母が大の映画好きだったからだ。
母曰く、母は「本当に何もない」海辺の田舎町で生まれ育った。
母曰く、母は真面目な女学生だった。
唯一していた悪い事は、町の映画館に映画を観に行くこと。
学校から一人で映画館に行く事は禁じられていたそうで、
母は「退学になったらどうしよう」と怯えながら、
それでも映画館に通ったそうだ。
「私は一度の人生しか生きられないけど、
映画を観たら、たくさんの人生を生きられるような気がしたの」と母は言った。
いくつもの世界を体験させてくれた映画は、
やがて母の人生の扉を開き、
母は海辺の町を出た。
数年後に生まれた娘は、
貧乏で仕送りもできない、
バツイチで孫の顔も見せられない、
なかなかの親不孝者に育ってしまった。
その上30才過ぎて
貯金残高もないのに、
カンボジアに映画館をつくるのだと言い出した。
母の激怒はもっともだった。
なぜなら母は、娘の幸せを誰より願っている。
母は活動に反対したまま、
私はカンボジアで二回上映をして、
団体の活動を報告する一周年イベントがやってきた。
メンバーのおかげで、
六本木の映画館の席が、100名以上の素敵な方たちで埋まった。
母の顔もあった。
その時のスピーチで、活動を始めた本当の理由を初めて語った。
他人から見れば実にくだらない理由だ。
聞かされても困る話だ。
けれど私自身は人前で公にしたことで、ずいぶんと楽になった。
これが自分の人生だと、開き直れるようになった。
あの一周年イベントから変わったのは、
私だけではなかった。
実家に帰ると、母はいつも通りおいしいご飯を作ってくれた。
夕飯後、テレビのバラエティ番組を見ながら、母はポツリと言った。
「お母さん、500円玉貯金を始めたの。
あなたの活動の足しになったらいいなって」
素っ気なく「ありがとう」と答えた。
影で思い出しては何度でも泣ける。
孫の顔はなかなか見せられない。
裕福にもなれない。
ただ母の500円玉貯金はいつの日か、
カンボジアの村の子どもたちの、人生の扉を開くかもしれない。
過去の記事
■第一回: 代表エピソード:『始まりは腹痛と共に』
■第二回: 代表エピソード:『紙ナプキンの夢』
■第三回: 代表エピソード:『母と、一周年』