いつかの台湾
vol. 4 2020-02-11 0
これまで出会ってきた台湾人の方たちは素敵な人が多かったので、行ってみました。
いつかの台湾の旅です。
海外旅行へ行く度に、空港へ降り立ち少し後悔してしまう。
なぜ街までの行く術を調べてこなかったのか、、、
そんな暗雲立ち込める心模様もすぐにかき消されてしまうほど、台湾の人は親切。
目的地の駅を指し示すと、そこに辿り着くにはどうすればいいのか調べてくれたり、わからなければ道行く人に助けを求め、あっという間に人だかりができてしまう、そんな国。
人々が、とにかくコミュニケーションとることを心から楽しんでくれている感覚が伝わってきて、こちらまで嬉しくなったことを覚えています。
びっくりしたのは街の木々の生命力に満ち溢れた成長の仕方。
それは台湾のどこでも、まったく遠慮のない自由で強烈な姿。
木々をそこまで躍動させる土地の力が、きっとここに住む人たちをエネルギッシュに育てているのかもしれないと感じました。
数十年ぶりに雪が降ったという時期とたまたま重なってしまい、予想以上の寒さにやられていたのですが、道を歩けばすぐさま感じられる街の活気に気分が高揚し、寒さも忘れて楽しみました。
メニューは基本的に予想しながら身振り手振りで注文。そのやりとりは客観的にみると滑稽に映ると想像しますが、その先にある"目の前に運ばれてくるご飯に一喜一憂する瞬間"がまた、旅の醍醐味だと思います。
とは言いつつも何十年かぶりの大寒波、身体が冷えてきたので、台湾のタクシーに乗車。
物静かそうな佇まいとは裏腹に、運転手さんのスピード感に驚愕。
狭い路地をとにかく猛スピードで走り抜けるので、気分はジェットコースターでした…。
運転手さんも少し迷ってしまう様な路地裏にある宿、ソロシンガーインに到着。
詳しくは書きませんが、ここは本当にお薦めの宿。
2、3泊と数日間滞在して欲しいと思える宿でした。
宿のスタッフさんにお薦めされるがまま、街を散策。
宿の近くには温泉や市場があったりと、変に観光地化されることなく、ありのままの街の魅力を存分に感じることができました。
温泉は日本の温泉とほぼ一緒でありつつも、浸かり方に独特のルールがあり、現地の方に優しく注意されながら、それはそれで楽しく新鮮な経験でした。
言語がわからず注意書きも読めないので、肌感覚で土地のルールを察していく。その過程も貴重な体験です。
勤務の終わったスタッフさんと、その友人も交えて、近所のご飯屋さんに出かけました。
そこでもお薦めされるがままにオーダーしてもらい、とにかく食べて食べて食べまくる…。
旅先での出会いはいつも刺激的で有難く、その土地のイメージは、言葉を交わした人々の存在から縁取られて行く気がします。
宿へと帰る道中も、夜な夜な、敢えて迷ってしまいそうな道を選び、歩く。
映画のワンシーンのような世界観に触れながら、ソワソワしながら、入り込んでいく。
こんな路地を歩き回りながらふと我にかえると、自分はどこの国の者で、どんな髪の色、目の色をしてるのかも見失うような感覚に陥る時があり、何故だか嬉しくなったりもしてしまうのでした。
そして、またここでも鉄道の旅。
北から南へ移動して行く中、車窓からの景色を眺め、ぼーっとする。
その時間が旅中感じたことを整理する時間になったりと、すぐ目的地にたどり着く飛行機を利用せず、ゆったりした余白の移動時間を組み込むことも大事だと思っています。
ここでも現地の警察官に美味しいご飯屋さんを尋ねました。
「あなたがいつも食べに行くお店を教えてください!」
その質問一つで心を開いてくれたり、もっと意外な街の情報を入手できたりと、楽しく街散策するきっかけになったりもします。
結局のところ、たゆまぬ人への興味と好奇心が、旅をより深く味わうためのエッセンスになっているのだと思っています。
バイク、バイク、バイク。
信号が変わる度に、けたたましくクラクションが鳴り響きます。
街角の片隅で何かを販売しているおじさん。
簡素なテーブルと椅子とクーラーボックスだけでお店を開いていました。
大きなお金を投じて作り込むのではなく、アイデア一つで街の余白を楽しく塗り替える価値観は、心の底から素晴らしいと思います。
きっとこの画が街の風景となり、子供達の記憶を彩ったり、未来へと繋がっていくのでしょう。
旅の最後の最後まで、圧倒的に親切な人々を介して知ることのできた「台湾」が大好きになってしまいました。
自然体で力みのない人と街の在り方がとても心地よく、普段から宿泊業を生業とする自分にとって、人を受け入れるという所作そのものを改めて考えさせられるような旅でした。
力まず、大らかに生活を営む彼らの日常そのものに触れること自体が、立派な旅の目的の一つとなり、こうして今日もまたどこかの誰かを魅了し続けていくのでしょう。