【本日まで!】志賀理江子さんから寄せられた文章をお送りします
vol. 2 2020-02-10 0
クラウドファンディング最後の一日に、写真家の志賀理江子さんから寄せられた文章をお送りします。
志賀さんは、前書『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』(2010年)の刊行後、リレーエッセイに参加してくださろうとしていましたが、
東日本大震災が起こり、歳月が経ちました。数年前、遠くから届けられた手紙のように、その原稿を託してくださいました。
そして今、今回の『あれから—ルワンダ ジェノサイドから生まれて』に掲載される母親と子どもたちの言葉を読み、新たに綴ってくださったのが、こちらの文章です。
「ここからさらに語り合うことは、どのようにして可能だろうか。」
問いをたくさん宿した言葉だからこそ、「ここから」の未来に向けて送ります。
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隣人を殺し、残忍な暴力を振るった沢山の人たち。
人は、誰しも条件さえ揃えば、彼らと同じようなことをするのだろうか。
私が、ルワンダ虐殺に関してずっと考えているのは、加害者となった人たちの、犯行に及ぶまでの、心身の経緯だった。
「レイプ」という言葉とその意味を、友人からの噂話で知ったのは、10歳を過ぎた頃、思春期の始まりだったと思う。
お互いを想い合う性行為でも、衝動的に犯されるレイプだとしても、その先には「命」が宿ることがあるという点で同じ・・・この事実は、まだ幼かった私には衝撃的だった。
「赤ちゃん」と「性行為」の「イメージ」は、自分が生まれ育った環境の中においては、少なからずかけ離れたものだった。だから、人間の場合、「命」は、性行為によってしか繋がれない、そんな当たり前のことに、圧倒された記憶が残っている。
本文中に何度も出てくる「愛」という、一言の言葉。この言葉にも混乱していたと思う。もう子供でもない現在でも、どこか生理的に使うことを避けている。
私には5歳の息子がいるが、彼に対しての感情をもし「愛」と呼ぶならば、それは、胸をぎゅっと締め付けられるような強い喜びに似た気持ちだが、それは、時に不安や怒りとして噴出したりもする。彼までの心理的な距離はあまりに近しく、常に彼のことを考えているので、ともすれば苦しいような、そんな感覚だ。
そして、それ以上に、子どもとは、己への関心を親が驚くほどに求めていると感じる。「後追い」という時期には、私が一瞬でも視界からいなくなると息子は激しく泣いたものだった。
子と生きる細やかなひとつひとつ、一分一秒の長い時間。見つめ合い、笑い、泣き、怒り、会話し、寝て、食べて、歩いて、ひたすら一緒にいる。あまりにも多い様々な出来事としての日々を過ごす。
息子に「僕はどこからきたの?」と聞かれたことがある。私は、まだ彼が納得するようには答えられていない。教えることはとてつもなく難しい。
人が成長してゆく過程は実に複雑だと思う。
そして、愛と憎しみのような感情は背中合わせにあると思う。
人間社会は幾度とないジェノサイドを経験しており、だから、ここまでの残忍さをやってのけてしまう人間について考えると、それは裏返っていってしまう。当然じゃないか、人間はそのようなことをする存在だと、当たり前のように思えてきてしまう。それらの歴史について、知れば知るほど、ただ絶望し、麻痺してしまう。
この本の中に、「できるだけシンプルに生きたい」と語られた言葉があった。複雑で困難な状況下において、あらゆる感情を落ち着かせる「理性」が役割を果たすのだとしたら、このような言葉として語られるのだろうか、と思わずにはいられなかった。
そして、さらに、はっきりと、ジェノサイドとは「人間に起きる最悪の事態」であり「だから世界はもう見捨ててはなりません」と語られる。条件さえ揃ってしまえば、誰しもが加害者となるだろうという恐れや傲慢さに対して、このメッセージは重要であると思う。だから、重く受け止めている。ここからさらに語り合うことは、どのようにして可能だろうか。
写真に写る自分の姿は、大体の場合は、自分の想像とは違うものだ。しかし、これらの写真には役割がある。ルワンダ財団の3つのMission(使命)のうちのCreate awareness(認識を深める)のためにある。そういう写真であり、言葉だ。世界の一部からだとしても、彼らの経験への応答だ。
この本に姿を写す誰もが、「一番辛かったことは、本当のことを知らない状態」と語った。
私たちは、何者なのだ。
恐れ多くも、私も、そのことを知りたい。
志賀理江子