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をクラウドファンディングで実現!
大川小津波裁判の教訓を、原告遺族の思いを、そして子どもたちの記憶を、一緒に未来に繋げませんか?
応援してくださる皆様と共に「記録に残る」ドキュメンタリー映画を完成させ、広めたい。
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1971年に神戸で誕生しました(産声を上げたのは母の実家の広島ですが…)。 校門圧死事件の3カ月前に神戸高塚高校を卒業。 27歳からディレクターとして番組制作に携わっています。 主な作品は、ビラ配り逮捕と公安警察(2006年JCJ賞 テレビ朝日・ABCサンデープロジェクト) DNA鑑定の闇(2015年テレメンタリー年間最優秀賞 テレビ朝日) 近年はアイヌの先住権問題に取り組んでいます。
大川小津波裁判の教訓を、原告遺族の思いを、そして子どもたちの記憶を、一緒に未来に繋げませんか?
応援してくださる皆様と共に「記録に残る」ドキュメンタリー映画を完成させ、広めたい。
このプロジェクトに興味をもって頂き、ありがとうございます。私はテレビ番組の制作会社パオネットワークのディレクター寺田和弘です。1971年生まれ、神戸市出身です。
1995年の阪神・淡路大震災を私は、実家がある垂水区で経験しました。垂水は神戸市で最も震源地に近いところですが、活断層が東方向にずれたため、私の実家ほとんど被害を受けませんでした。しかし、垂水から離れた場所で、多くの方が命を落としました。「被災者なのに被災者じゃない」これが私の震災体験です。その後、東京に出てテレビディレクターとなり、阪神・淡路大震災の取材もしてきました。
こうした中、感じていたのは「10年」「15年」「20年」等の節目でしか、なかなか番組を制作できない現実でした。
東日本大震災ではどうでしょうか。すでに節目の報道が目につきませんか。こうした節目とは関係なく、 「記録として残る映像作品」を作りたい。テレビ番組ディレクターである私が、今回、はじめてドキュメンタリー映画を制作しようと決意したのは、こうした理由からです。
この映画制作のきっかけは、遺族とともに裁判を闘った吉岡和弘弁護士との出会いでした。
「大川小裁判の教訓を、遺族の思いを、子供たちの記憶を風化させないために何かできないだろうか」
私はこれまで大川小学校の取材をしてきたわけではありません。しかし、この頃、遺族に対して脅迫事件まで起きていました。私にできるものは何なのか。みなさんと議論していく中で、映画制作の構想が浮かんできました。
遺族の方々は多くの事実を記録してきました。その一部は報道されていますが、それでも、まだ、これまで報道されていない記録や子どもたちの記憶が数多くあります。また、遺族と弁護士とが裁判で集めた数々の「証拠」。こうした 「記録」と「記憶」と「教訓」、そして、今も歩む遺族の再生の経緯を次世代につなぎたい。こうした思いから、この映画の制作が始まりました。来年春(2022年)の完成を目指しています。
撮影をはじめて間もなく、私はヤフーのクリエータズプログラムで 「大川小学校」の訴訟に挑んだ2人の弁護士の動画と記事を配信しました。
60万回を超える動画再生があり、そして、数多くの反響、感想をいただきました。これは多くの方が世界有数の地震国・日本だからこそ、大川小学校の教訓を生かさなければならない、記憶をつなぎ続けなければならない出来事を考えられているからだと思います。まだ見ていない方は下記のURLから動画と記事をチェックしてください。
「大川小学校」の訴訟に挑んだ2人の弁護士――判決後も原告遺族と向き合う理由 【#あれから私は】 - 寺田和弘 | Yahoo! JAPAN クリエイターズプログラム
https://creators.yahoo.co.jp/teradakazuhiro/0200093049
撮影:只野英昭さん
この写真は、震災3日後の大川小学校の様子です。遺族の方が撮影しました。学校周辺には大量の土砂が積もっています。遺族の方々は素手に近い状態で、子どもを探し続けました。お互いに「(子どもは)見つかったか?」と声をかけ合い、遺体が見つかった遺族に対しては「よかった」と言い合いながら探し続けました。ある遺族は、遺体安置所の体育館で泥まみれの娘を見つけ、娘の目と鼻に入った砂や泥を自分の舌でなめて娘を清めるしかなかったと言います。
石巻市の教育委員会が説明会を最初に開いたのは4月9日でした。そして3月11日当日、学校にいた教職員11人の中で唯一 助かった先生が、遺族の前で話をしました。しかし「あの日、何があったのか」「子どもの最期を知りたい」という遺族の願いは最後まで叶えられませんでした。
遺族は責任を追及したいわけではありませんでした。 事実を嘘で隠してほしくなかったのです。しかし、その後の説明会や検証委員会でも、真相は明らかにされませんでした。
遺族はこうした 説明会や検証委員会などをビデオで記録し続けてきました。今回の映画では、これまで撮影してきたビデオや写真を見ながら、子どもと歩んだ人生、これまでの活動、その当時の思いを振り返ってもらいます。
「勝てない」と言われる国賠訴訟。児童23人(19家族)の原告遺族と共に挑んだのが、吉岡和弘弁護士と齋藤雅弘弁護士です。通常、こうした大事件は、多くの弁護士が参加し、弁護団を組織するのが通常ですが、大川小の津波裁判は、最初から最後まで2人だけで担当しました。
それには理由がありました。津波で多くの証拠が流されていました。目撃証言を探そうにも、どこに誰が避難しているか分からない状態でした。地元のことを分からない弁護士がやみくもに動くよりも、遺族が一人一人探し歩いた方が事実に近づけるはずだと吉岡弁護士は考えました。「皆さんが我が子の代理人弁護士になったつもりで自ら真相を追及すべきだ。それが津波で亡くなった子供たちに対する親の責任ではないか」と遺族に語り、遺族一人一人が自分ができること、やるべきことは何なのか考え、裁判を闘い続けました。
「大川小学校」の訴訟に挑んだ2人の弁護士のラストシーンで齋藤弁護士が、私の質問に言葉をつまらせたのは、原告遺族の方々の地道な活動をみてきたからでした。
裏山には誰でも避難できる勾配のところもある©paonetwork
早稲田大学でジャーナリズムを教えていた社会学者の花田達朗さんは言います。「大川小学校の事件について私が思うことは、日本の国家・行政・官・『お上』というものはどうして非を認めて、謝罪し、損害賠償をしないのか、この『国家の無謬性』という神話はどこからやってくるのか、ということです。国家であっても、それに雇用された人たちであっても間違えるのです。それを認めないことが、被害者を二重、三重に苦しめるわけです。この国に必要なことは『国家の失敗』についての哲学を持つことだと、私は思います。その哲学を持つことで初めて、失敗を失敗として認める度胸と正直さが得られるのです。この事件では、まさにそれが求められています」
遺族の方が抱く子どもたちの記憶と裁判の記録、震災の教訓を次世代に活かしたい。私はこうした思いから、文化庁に映画制作にかかわる助成を申請しましたが、「残念ながら不採用」となりました。そのため、今回クラウドファンディングのお願いすることにしました。是非とも応援よろしくお願いします。
今年2月、原告遺族は、新型コロナの影響で、延期していた〈大川小学校児童津波国賠訴訟判決報告検討会〉を行いました。オンラインも含めて約200人の参加者が全国から集まりました。 他人事ではなく、大川小の教訓を心に刻み、思い出すことで、いつかどこかで必ず発生する災害時に我が身を守ることにつながると再認識されたと思います。この映画もそうした視点で制作していきます。
また、この報告会は、これまでの支援のお礼と判決の報告と解説、そして裁判が終わった今からが真のスタートだという遺族の思いがありました。裁判が終わった後も、原告団と2人の弁護士は2・3カ月に一度、集まり、会議を続けています。大川小学校の震災遺構施設に、裁判の記録や子どもの遺品などを展示し、震災の教訓を活かす施設にしてほしいという要望を市に提出したり、ドローンで大川小学校周辺の変化を記録し続けたり、語り部の活動をしています。
校舎の廊下にあるフックの名前のシールは年々 薄くなっている©paonetwork
また2人の弁護士も、これまで津波被害を受けた地域で、どのように震災の教訓を活かしているのか、または活かせていないのか、全国各地をめぐる計画を立てています。こうした、今も続けれられている活動も記録しています。
今回、映画を制作するにあたり、遺族のみなさんから「震災10年を迎えた思い」について、メッセージを預かりました。是非ご覧ください。
この映画制作の目的は「完成」ではなく、1人でも多くの方に映画を見てもらい、現地に足を運ぶきっかけにしてほしい。そして、大川小の教訓を繋いでいくための一つの記録にしたいということにあります。それを皆さんと一緒に広げていきたい。そのためにはどうしたらいいのか。考えてみました。
そこで私は制作期間中、応援して下さる方のみ見ることができる、限定のウェブサイトで、制作過程のドキュメントを公開していきたいと考えています。応援してくださる皆さんと共に「記録に残る」ドキュメンタリー映画を完成させ、広めたいと思っています。
撮影の様子©paonetwork
企画準備:2020年11月〜2021年1月
クラウドファンディング実施:21年7月〜10月
撮影日程:2021年1月〜2021年12月
編集期間:2022年1月〜2022年2月
初号試写:2022年3月
上映日程:2022年夏〜 全国劇場公開(※見込み)
裏山から児童が待機していた校庭を見る吉岡弁護士©paonetwork
【制作報告・御礼メッセージ】
監督による撮影進捗のご報告を定期的にメールでお届けします。
【制作ドキュメント】
限定のウェブサイトで、制作ドキュメントを不定期にお届けします。
【エンドクレジット】
本作のエンドロールに、お名前を掲載させて頂きます。(ご希望者のみ)
【全国鑑賞券】
本作が公開される全国の劇場でご使用いただける特別鑑賞券をお届けします。
【試写会ご招待】
本作の劇場公開前の試写会にご招待させて頂きます。(都内と宮城で2022年の春に予定)
撮影日程を2021年1月〜2021年12月としていますが、コロナ禍でもあり、確約はできません。もし撮影期間が延びた場合は、編集、初号試写などの日程に変更がでる可能性があります。
頂いたご支援は主に
の制作に充当させて頂く予定です。 *目標金額が未達成の場合も、映画制作は行います。
ただ、上記の資金だけでは、オリジナルの音楽を制作費用、映画上映のための活動費用など 、まだまだ制作費は大幅に不足しています。映画を作ることが目的ではないので、さらなるご支援を頂けると嬉しいです。
寺田和弘 1971年神戸市生まれ
台湾でえん罪被害者を取材している寺田©冤獄平反協會
1999年から2010年までテレビ朝日「サンデープロジェクト」特集班ディレクター。シリーズ企画「言論は大丈夫か」(足利事件などの再審事件や匿名実名報道など)を担当。また、阪神・淡路大震災を継続的に取材しました。2011年以降、民放各局やNHKなどで東日本大震災の取材やえん罪事件の調査報道など、主に社会問題を中心に番組制作を行っています。近年は、アイヌ民族の「先住権」問題に取り組んでいます。
受賞歴
・DNA鑑定の闇~捜査機関“独占”の危険性~ テレビ朝日 2015年6月放送
テレメンタリー年間最優秀賞 ギャラクシー奨励賞
・シリーズ言論は大丈夫か~ビラ配り逮捕と公安~ テレビ朝日・ABC 2006年3月放送JCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)
株式会社パオネットワーク
映像制作プロダクション。2019年に「アール・ブリュット」作家の古久保憲満さんを描いたドキュメンタリー映画「描きたい、が止まらない(監督・近藤 剛)を制作。全国上映し、大きな反響を得ました。
本作に興味を持っていただき、本当にありがとうございます。
私は「サンデープロジェクト」のディレクター時代、ジャーナリストの大谷昭宏さんと共に、全国各地の事件、事故、災害現場を飛び回っていました。その現場で取材のいろはや、取材先との関係作りを大谷さんから学びました。今も大切にしている言葉があります。
「取材先で出会ったすべての人と、ずっと関係を保ち続けることはできない。でも、その中の1人でもずっと関係を保ち続け、その人が困った時に『そうだ、寺田に相談してみよう』と思ってもらえるような取材者になれよ」
その言葉通り、大谷さんは阪神・淡路大震災の取材でも、二人の被災者と向き合い続け、最期の瞬間まで一緒に歩んでいました。
大川小学校でも、ずっと継続取材している地元の新聞記者やジャーナリストがいました。だから最初は、この映画を作るのは私よりも、もっと相応しい人がいるのではないかとも思いました。
それでも、作りたいと考えたのは、東日本大震災の1年後、岩手県大槌町である女性から投げかけられた言葉が、私の心の中にずっと残っていたからです。
「阪神・淡路大震災で身内を亡くさたれ方は、今も心に開いた穴はそのままなのでしょうか」
その女性は、子どもを津波で失っていました。私はこの時、何も答えられませんでした。
そして、阪神・淡路大震災で、母親を失った当時小学二年生だった女性に、この話をしてみました。阪神・淡路大震災から20年、彼女は一児の母になっていました。
「何も答えなくて良かったと思うよ。だって心の穴は開いたままだから」
この映画ではテーマの一つを 「子どもを失った親の苦悩と再生の経緯」としています。しかしそれは今回、この映画に登場してくださる遺族の方々だけの物語です。すべてを描こうとは思っていませんし、そもそも出来ません。
それでも 「記録として残る映像作品」を完成させることは、大川小津波裁判の教訓を次の世代に繋いでいくための一つの力になるのではないかと考えています。自分の事として考えてもえるように。
どうか、この映画づくりの一員に加わっていただき、学校の管理下で命が失われることがない社会を、ともに作っていっていきましょう。何卒よろしくお願いいたします。
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