目標金額30%達成しました!/ 作品について
vol. 2 2024-07-26 0
こんにちは。大竹ココです。
なんと、支援金が目標金額の32%に到達しました!
わー!
ご支援くださった18名の皆様、誠にありがとうございます。
プロジェクトを始めてから1週間とちょっと。
お一人お一人からご支援の通知が届く度、感動と感謝の気持ちで心がとても温かくなります。それと同時に、これは当たり前のことではないのだと、身の引き締まる思いであります。
楽しみにしてくださる皆様に向けて、最高のパフォーマンスをお見せできるよう、真摯に作品に取り組みたいと思っています。
引き続き、応援していただけましたら幸いです。
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作品について
さて、また稽古場のお話でも……と思っていましたが、前回のアップデートから今日まで稽古がなかった(というか私が稽古に参加できなかった)ので、ここで「だいたいみんな躍ってる2024」って一体どんな作品なんじゃ? ということを書いていきたいと思います。
まずはあらすじとコメントをプロジェクトページより拝借。
■あらすじ
上司の結婚式を間近に控え、オフィスで余興の練習をしている女性社員3人。 軽いノリで好きな人をバラされた主人公(ほたる)は余興を辞退すると言い出してしまう。 なんとか機嫌を取り戻してもらおうとあの手この手を尽くすメンバーの説得空しく、年齢不詳のチームリーダー、会社に来ては煎餅ばかり食べている税理士、さらには結婚する上司も巻き込み議論は激化してしまう。——いいな、お前らはスッキリして。
一幕ワンシチュエーション、女性キャストのみのバチクソ会話劇!!
《作品について》
2021年初演の「だいたいみんな躍ってる」を2024年版に少々リメイク。ユトサトリ。初の再演公演です!
昨今話題となっているアウティングをテーマに、個々の価値観やその受容について描きました。「言葉を尽くし、身体も使い切り、沈黙する」現在のユトサトリ。スタイルが確立したきっかけとなる作品でもあります。初演から3年。ダイバーシティ&インクルージョンという考え方の浸透、LGBT理解増進法の成立など、世間の価値観は様変わりしました。さらにコロナ禍を経てより個人主義が加速した現代社会で、この作品は世間の目にどのように映るのだろう、と興味を持ち、この作品を上演することにしました。
一幕ワンシチュエーションといって、全編通して舞台上の時間が飛んだり、場所が変わったりすることはなく、リアルな時間経過の中で物語が発展する作りになっているので、舞台が初めて、という方も抵抗なく観劇することができると思います。
喧嘩あり、ダンスあり、生け花ありの元気いっぱいの作品です。
自分で言うのもなんですが、面白いので! 是非劇場でお楽しみいただけたら幸いです。
あらすじにもある通り、上司の結婚式で披露する予定だった余興(ダンス)を辞退する! と言い出した主人公ほたるちゃん。入社当時からすごくお世話になってきた上司の結婚式だし、辞退なんかしたらお互い後味悪すぎる……。何とか踊ってもらおうとみんなで説得する、という物語。シンプル。
結婚式直前に練習してきた余興を辞退なんて、迷惑な話ですよね……。仕事だったら契約してるんだから、とか、じゃあ代わり探してよ、とかあるでしょうけど、結婚式は業務外ですからね。だけど、ほたるちゃんにはほたるちゃんなりの余興に出たくない深ーい訳があるんです。
2021年「だいたいみんな躍ってる」より
劇中では、余興に出たくない/出て欲しい の他に 出なくていい/出るべきだ などといった対立が起こり、多角的な議論が展開されて行きます。このようにある議題に対して登場人物達が意見を交わし合う作品を議論劇といい、「だいたいみんな躍ってる2024」は正にその議論劇に当たります。……なんて書いてみたものの、議論劇の正確な定義を示す文章が見つからなかったので、議論の意味を調べてみました。
ぎ‐ろん【議論】① 互いに、自己の意見を述べ、論じ合うこと。意見を戦わせること。また、その意見。② ある事柄を問題として、論ずること。
出典:精選版日本国語大辞典
だそうです。結構多くの作品が議論劇に当てはまる気がしてきました。
議論劇って聞くと、全員椅子に座り、会議のような雰囲気で全編進んでいくと想像する方もいるかもしれませんが、そうとも限りません。議論は様々なシーンで起こり得ます。真夏のビーチかもしれないし、パーティーの準備中かもしれない。どんな設定で、人間関係の中で、どんな会話の引っ掛かりで、どう自然な流れで議論に入っていくかが、脚本家の腕の見せ所だし、オリジナリティなのかもしれませんね。自分でハードル上げちゃいました。
そんな感じで、議論パートのある演劇作品はよく見かけます。
だけど、私達って日常生活でそんなにしょっちゅう議論しないですよね?
いや、する人もいるとは思いますけど。でも、多くの人が仕事のミーティングや、重大な問題が起こったりしない限りは、議論を避ける傾向にあるんじゃないかと思います。
議論って喧嘩ではなくても意見のぶつかり合い=衝突ではありますから、余計なストレスを相手に掛けたくないし自分も感じたくないし、できる限り衝突は避けたいと考えるのが一般的な考え方ではないでしょうか。
だったら、できるだけ議論を避けた方がリアリティ溢れる劇が作れるんじゃない? ……一理ある!ありすぎる!
だけど演劇は議論が多い。なんでなんでしょう。
理由は沢山あると思います。
物語を作るにあたって敵(反対意見)は不可欠。意見の相違が会話を生み、物語を進める大きな原動力になるから。伝えたいメッセージの反対意見と闘うことで、観客により印象深くテーマを伝えることができるから。リアルな会話でやり取りするには膨大な時間を要する内容を演劇の尺に落とし込むために直接的な意見交換が必要になるから。脚本力不足(会話や状況に落とし込むことができなかった)。異なる意見がぶつかり合う様は単純に面白いから。などなど。
※議論しない、テキストもない、そんな演劇も沢山あります。演劇の可能性は無限大です。
これはあくまで個人的な意見ですが、私は、演劇って可能性を見せるものだと思うし、議論は可能性そのものだなと思っています。
リアルの世界で人は衝突を避けます。
あ、この人とは合わなそうだなと思ったら距離を取るし、ちょっと自分が我慢すればその場が丸く収まるのであれば積極的に反論しないという人もいるでしょう。意見が対立してしまったとしても、これ以上関係がこじれない様にその話題には触れないようにすることもできるし、こじれ始めたらその人との関係はもう諦めて縁を切ってしまう、なんてこともできます。
だけど演劇ではそこをぐっとこらえて、舞台上にとどまり、普通ならこれ以上対話できないような関係の二人が、言葉を交わす、ということを実現させることができます。もちろん不自然じゃない範囲で!(同じ空間が無理だとしても、設定次第では時空を超えて会話をすることだってできちゃいます。演劇の可能性は無限大なので。)
私達ができなかった、してこなかった会話や議論の中で、どんなことが語られ得たのか、やり取りの先にどんな未来が待っているのか、可能性の一つを示すことができる、観ることができる。議論劇の、広く言えば演劇の醍醐味の内のひとつだなあと私は思っています。
こないだ見た舞台で、「つまんない!あたしはやり取りがしたいんだ。」という台詞がありました。その台詞を発したのはメインのキャラクターではないし、シーンも大きな見せ場、と言うわけではありませんでしたが、セリフ単体がというよりは作品のテーマと、そこまでのやり取りの積み重ねと、役者さんの技量と、ストレートなその台詞がすごく良くて、客席で一人赤べこのように頷いていました。
余談ですが、子供時代、私は一言多いタイプで、言わんでいいことを言ってはトラブルを起こしたり、人を不快にしたりして、よく大人に怒られていました。
今でも思い出しては過去の自分の愚かさに身もだえる日々です。そんな「元一言多い奴」の私だからこそ、断言できることがあります。それは、余計なことを言うと必ず波乱が起きるということ。絶対にね(共感者求ム)。
そんな私ももうアラサー。二度と同じ過ちを繰り返さないぞと心に誓い、むしろ今では一言少ないくらいなんですが……脚本にはどうしても本性が現れてしまうので、私の劇には一言多い奴がよく出てきます。一言多いと波乱が起きる、波乱が起きるとやり取りが増える。ほほほ。
果たしてほたるちゃんは余興に出てくれるんでしょうか?
「だいたいみんな躍ってる2024」
一波乱や二波乱では済まないドタバタバチクソ会話劇です。
やり取りに飢えているそこのあなた、あなた、あなたに観てほしい!
是非、ご注目ください。
作品について書くつもりが演劇に対しての私感のような内容になってしまいました。
あんまりこんな事をSNSに書いたりしないので、今更恥ずかしくなってきました。拙い文章ですみません。
この話はアップデートを読んでくださった皆さんと私だけの秘密で。
ありがとうございました。
応援、よろしくお願いいたします!
大竹ココ
2021年「だいたいみんな躍ってる」より