主題歌「証明」制作と、“ゆれる”という創作
vol. 35 2025-05-08 0
クラファンの公開から、約1ヶ月が経ちました。
いちばん最初にこのページを見てくれた方も、
どこかのタイミングでそっと戻ってきてくれた方も、
本当にありがとうございます。
クラファンページの冒頭写真を更新しました。
主題歌「証明」を制作中の、木下百花さんとエアコンぶんぶんお姉さんの写真です。
この写真を撮った日、レコーディング独特の緊張感がありました。
けれどその空気の中に、映画からしか生まれないような音楽の“気配”が漂っていました。
百花さんは、NMB48というアイドルグループを卒業後、
現在はぶっ恋呂百花としてソロアーティスト活動をされています。
エアコンぶんぶんお姉さんは、
『続・ゆれるせいかつ』出演当時は芸歴2年目の若手芸人で、
現在は5年目としてさらに活躍の幅を広げています。
2人は、同じ吉本興業所属として活動されている/されいたという共通点があります。
(木下さんはNMB48を卒業、エアコンぶんぶんお姉さんはお笑い芸人として在籍中)
卒業と在籍という立場の違いから、
今回のような形で出会い、共に曲を作ることがなければ、
道が交わることはなかったかもしれません。
『ゆれるせいかつ』シリーズは、
監督ほむらから始まり、そこからキャストスタッフへの協力依頼によって実現してきました。
個人に向き合い、企業に向き合い、業界構造に向き合いながら、
小さな作品をどうにかかたちにしてきました。
その中で、ほむらが大切にしてきたのは、
表現する人たちが“まっすぐ創作に向き合える現場”をつくること。
それが、この「ゆれるせいかつ」シリーズに通底する、
少しだけ見えにくいけれど、確かな創作の姿勢です。
ーーーー(以下、ほむら記述ママ)ーーーー
商業映画の多くは、産業構造に支えられ、事前に座組が固まります。
そのぶん安定は得られるけれど、
表現の自由や創作の時間は、すこしずつ削られていきます。(という実感は、20代にしてきた)
一方で、インディペンデント映画、手弁当の映画、無頼の映画は、
「何を志すか」が試されます。(という気合は、数少ない在野の師匠たちに教わった)
それは、
つくりてのための映画、出演者のための映画、スタッフのための映画、成長の機会となる映画
だと思っています。
プロスポーツの世界にファームがあるように、
豊かな挑戦の場なくして、その文化は成熟しません。
映画も同じです。
金銭や承認欲求だけで循環する環境では、
やがて表現者が疲弊し、表現そのものを手放したり、
ひいては憎むようになることさえあるでしょう。
福利厚生の傘はなく、接待や欲求で循環する。
そんな構造からうみだされるものが、
表現(芸術や映画やエンタメ)ということでいいのでしょうか?
こうした点で、
自分はたとえちいさな作品であっても、
逆にそうであるからこそ、
関わる出演者やスタッフには、自由で、率直で、本質に向き合える時間を演出したいと思っています。
それが「ゆれるせいかつ」シリーズのすこし見えにくいですが、
とても大切にしている創作の感覚です。
そして、そのすべての根本は、
ぼく自身が映画に救われたので、映画に恩がある。
という1点。
好きなものには、愛をもって報いる。
そういうこころが、さいごのときまで、成長させてくれると思ってる。
映画に恋したその瞬間から、
さいごまで、変わらぬ思いで焦がれつづける。
その過程でうまれる、折々の作品や表現は、
きっと自分にしか、あなたにしか、
演出できないものとして、
自然に立ち現れると思います。
アフリカのことわざ
「愛があるところに、闇はない」
生半可じゃない思いだけが、困難を乗り越えます。
そして、たとい果てても、絶景のなかで笑っていられます。
だれしも通った淡い初恋、その心の青さを、想いの熱さを思い出してほしい。
創作が、誰かの自由の火種になりますように。
そう願いながら、今日も映画のことを想います。
支えてくださっているすべての方へ。
あらためて、心からありがとうございます。
ほむら
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