大学教授の特権?
vol. 18 2025-01-31 0
クラウドファンディング、本日が最終日です。達成率100%を突破し、冊子制作を追加したストレッチゴールの目標120%も達成しそうな勢いです。本当にありがたい限りです。同時に、まだ出版の決定に至っていない部分もあり、その責任を果たせていないことに申し訳なさを感じています。ただ、たとえ商業出版が難しくなったとしても、本は必ず作ります。その場合、自主出版ではなく、いわゆる私家版として刊行します。デザイン、組版、印刷所への納品まで、実は自分でも対応できるのです。もし、今の社会や出版業界に求められない本だとしたら、その枠を超えたところで作ります。ですので、本は、私が生きている限り、必ず皆さまの手元に届けます。
今日はクラウドファンディング最終日に合わせて、自分自身が大学教授であることについて、みなさまとその意味を考えたいと思います。なぜかというと、「木川さんがやってることは大学教員だからできるのでは?」と言われることがあるからです。それは半分正解であり、半分不正解でもあります。これから本格的に本を世に出すこのタイミングで、自分自身のためにも、それがどういう意味か振り返りたいと思います。
かつては「大学教授=薄給」というイメージもありましたが、現在ではサラリーマンとしては比較的良い方の収入を得ています。ただ、「付き合いは社長、給与はサラリーマン」というのが正確な表現かもしれません。収入はあっても、研究や交際費、書籍購入などに多額の自己投資をする必要があります。国の研究費である科研費が獲得できると嬉しいのは、その分の自己負担が減るからです。
今年度は海外出張が多い年でした。しかし、規定ではヨーロッパの宿泊費上限は16,000円程度、アジアでは12,000円程度。それを超えた分は自己負担です。たとえば、木曜島では最も安い宿泊施設でも1泊25,000円。つまり、毎日9,000円は自腹になります。それでも研究費があるだけありがたいのです。博士課程の時は、研究費がないので全額自腹でした。
そういえば、かつて「博士が100人いる村」という話が流行しました。ちょうど私が博士課程の学生だった頃です。
創作童話 博士が100人いる村
当時は博士号を取得しても教員職に就くのが難しい時代でした。私が博士課程に在籍していたのは2003年から2006年。日本で博士課程の学生が最も多かった時期です。そのため、良い論文を多数執筆し、国際会議にも積極的に参加する必要がありました。その話をすると、「奨学金をもらっていたの?」「実家が裕福だったの?」と聞かれることがあります。奨学金は学費と生活費で消え、実家に経済的余裕はありませんでした。結果として、教育ローンやカードローンを組み、借金を抱えながらの大学院生活でした。華やかな生活とは無縁ですし、今も決して楽ではありません。動けば動くほど、出費は増えていきます。
博士課程の学生だった頃。Bill Hiller先生が京都にきた時に。
さて本題です。大学研究者には特権があるのでしょうか?
私はあると思っています。それは何かというと、今回のYokosuka1953でも、大学の研究者だからこそ、話を聞いてもらえた部分は多くありました。探偵じゃないか?と思われるような状況もいっぱいあったと思います。でも研究者だからこそアプローチできるところがありました。ある意味、社会から大事にされているところがあります。正直なところ、研究者の中には、この特権だけでゆっくりと生活している人もいるでしょう。しかし、特権はそういうことではないはずなのです。何かを与えてもらっているということは、それを行使して、世の中、社会に貢献する義務が伴うということです。
今回、たぶん、なかなか簡単には進めなかった道がありました、大学研究者だからこそできたことはありました。だからこそ、社会に必要な何か、をやらなければならないのです。
「市場の失敗」という言葉があります。これは市場原理に基本的には任せるのがマーケットの正しい形だとしても、そのままではまずい状況も生まれる。市場が失敗することもある。その時に政府が関与しなければならないということなのでしょう。私は「資本主義の失敗」「民主主義の失敗」もあると思っています。競争が富を生み、社会福祉を充実させるという流れがあっても、過度な競争が社会福祉を後退させることもある。それに対して個人の責任を追求する競争社会もある。この現実に対する、実感、リアリティを人が知り、他者に優しくできる、そのような人のあるべき姿を取り戻す流れも、また必要な力です。
映画を公開するとき「ドキュメンタリーは客が入らないので」と言った劇場。そして本を出版しようと思う時「このようなテーマは売れないので」という人々。これらは「民主主義の失敗」の兆しです。
確かに、私にはこの状況を突破できるドキュメンタリー映画を作る才能も、売れないと考えられるテーマを商業的に成功させるほどの筆力もありません。でも、それでもなお、この社会に抗いたいのです。
すみません。少し、きつい言葉で書いたかも知れません。でも、自分自身の覚悟のためにも、書きました。
そして、応援してくださる皆さまに、心から感謝いたします。
みなさまのおかげで出版のためのクラウドファンディング、成功しました!ありがとうございます。
木川剛志