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ドキュメンタリー映画「かつて山里は持続可能な世界だった」の制作と配給をクラウドファンディングで実現!
高度経済成長以前の山里の暮らしは環境と共存する社会だった。当時を記録した膨大な記録写真を手掛かりに、当時を生きた人達と当時の生業の継承者達の話に耳を傾け、環境を破壊しない持続可能な共生社会を築くためのヒントを伝えたい。
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ドキュメンタリー映画監督です。人間の命を根底から支えているのが食べ物だとの想いから、農業をライフワークに長編映画やテレビ番組を多数、製作していました。今は山里の暮らしの魅力を伝えたいと山奥の山村に通い続けています。
高度経済成長以前の山里の暮らしは環境と共存する社会だった。当時を記録した膨大な記録写真を手掛かりに、当時を生きた人達と当時の生業の継承者達の話に耳を傾け、環境を破壊しない持続可能な共生社会を築くためのヒントを伝えたい。
はじめまして。ドキュメンタリー映画監督の原村政樹と申します。長年、農業をライフワークに映画を制作してまいりました。農業は人間の命を根底から支える食べ物を生み出している、その大切さを伝えたいと、一貫して農業にこだわっています。私が出会った農家の方々は「人は山があるから生きていける」と語ります。彼らが言う山とは村を取り囲む自然環境のことです。その大切な自然環境が荒廃している姿を私は各地の農山村で目の当たりにしてきました。とりわけ山村の人口減少は甚だしく、山林は放置され荒れ放題となってしまっています。そのことは昨今の頻発する土石流や洪水の大災害の大きな原因ともなっています。今こそ山村に若い力が必要だという思いで、現在公開中の映画「若者は山里をめざす」を制作しました。今回の映画はその続編です。
現在公開中の映画「若者は山里をめざす」の舞台は日本創生会議によって埼玉県の消滅可能性都市第一位とされた東秩父村です。その撮影をする中で、昭和30年代以前の村の様子を記録した膨大な白黒写真を知りました。写真に写し出されていたのは、貧しい暮らしにあっても生き生きとした村人たちの姿でした。とりわけ子どもたちの笑顔が輝いていました。
電気もガスも水道もない不便な暮らしなのに、何故、村人たちは生き生きとしているのか、豊かさとは何なのか、を突き付けられました。その答えを見つけようと、日本がまだ貧しかった高度経済成長以前の山里の暮らしを詳らかに描こうと決心しました。
勿論タイムマシンはないので、昔の時代に戻ることは出来ない、それなら当時を記録した写真を当時を生きた方々に見て頂いて、青少年時代の記憶を呼び戻してもらおうと、今ではご高齢になった方々の取材を始めました。すると、あたかも昨日のことを話しているかのごとく、リアルに時代が浮かび上がってきたのです。
しかし、それだけでは単なる歴史の証言映画に留まってしまう、さらに「昔は良かった」といった回顧にはしたくないと考え、今も当時の生業を受け継いでいる方々の取材も始めました。確かにそうした方々は少ないかも知れませんが、過去の暮らしにあった精神風土は今も息づいていることを伝えたかったのです。
ですからこの映画は、かつてを記録した写真とその時代を生きた人たちの証言、そしてその時代の生業の継承者たちといった3本柱で構成される映画をめざしたのです。
一方、かつての山里の暮らしや生業を伝えるだけの映画にはしたくありませんでした。どうして戦後の経済成長とともに山村が寂れ、山の自然が荒廃していったのかも伝えたいと考えました。その要因は多岐に亘りますが、今回、この映画ではインタビューから2つの要因を聞き出すことが出来ました。その一つが平成の大合併です。
撮影した秩父市は大滝村、荒川村、吉田町を合併しました。大滝村は60年ほど昔の昭和35年には8202人が暮らしていましたが、今ではその15分の1,1556人になってしまいました。最奥部の大滝地区は435人が今ではわずか34人です。大滝地区では秩父市に編入されたことで、小中学校も病院も無くなり、上がったのは税金と下水道料金だと村人は言います。
もう一つの要因は、昭和31年から始まった国の林業政策でした。拡大造林と言われ、全国の山々の自然林を伐採して杉檜を植林していったのです。しかしほぼ同時に木材の輸入自由化となり、安い外材に押され、せっかく植えた人工林が放置されていったのです。その結果、山は荒れて自然大害を引き起こされたばかりか、野生動物の被害が頻発するようになっていきました。「昔、自然の森だった時は動物の餌が沢山あったので、人の住む場所に野生動物は来なかった。国が悪い」とまで村人は語りました。
こうした慟哭とも聞こえる村人の声も伝えることで、日本が目指してきた豊かさとは何だったのかを観客の皆様と一緒に考える映画にしたかったのです。
当時の写真には、子どもたちが大勢で楽しく遊んでいる様子だけでなく、働いている姿も沢山記録されていました。10歳にもなれば、農作業、薪集め、家事といった家の仕事の役割も担っていたのです。今の感覚で言えば、児童労働だと非難されそうですが、インタビューを通じて、子どもの頃から村で生きる知恵と技術を子どもの頃から身につけていたことが解りました。両親が忙しく働く姿を見て、子どもながらに手伝おうという気持ちがあった、それが当たり前だった、今は親に感謝していると語ってくださいました。
それは確かに貧しさが原因だったのかも知れません。今の時代に当てはまるとも思いません。しかし、例えば薪運びにしても、子どもが担える程度の重さから始めて、成人の年齢に近づくにつれ、大人が担える重さを担うようになっていくという、子どもの成長に合わせた仕事を親たちは与えていたのです。子どもも大人も力を合わせて生きる素朴な家族の原点を伝えたいと願って、敢えて、子どもたちの働く姿を紹介しました。
当時の生業を受け継いでいる人たちはただ単に昔の仕事を受け継いでいるだけではありませんでした。効率重視・使い捨ての現代社会にあって、それとは真逆の考え方で仕事に向かっていたのです。自然と向き合い、自然と共存する生き方でもありました。
鍛冶屋さんは親子3代は使える長持ちする刃物や農具を作っていました。使う人に喜んでもらうことが第一だと刃物を作る鍛冶屋さんは、あるホームセンターの社長が「すぐに壊れるものを作って欲しい」との依頼に、門前払いして追い返しました。
江戸時代から続く伝統的林業家は、すべてを伐採する効率重視の皆伐ではなく、その時に必要な本数だけを選んでの択伐に制限して、森を守っていました。それは「森に生きる動植物と共に生きる」ことだと言います。さらに、質のいい木だけでなく、ふつうは見捨てられる傷のある木も活用していました。「人間も人それぞれ違うように、木も様々だ。悪い木も使えるように工夫すればいい」と語ります。
手作りの生活用具を制作している方は「山の自然素材の採取をしなくなったことで山が荒れる、山の恵み使うことが環境保全に繋がる」と語ります。彼の竹箒作りに密着して、確かに手間暇はかかるが、使いやすいものに仕上げる技に目を見張りました。
原木椎茸農家は「原木伐採は20年サイクルで行うことで、伐採した切り株から新しい芽が生え、20年後に山が蘇る」と語ります。人が山の恵みを使うことで山も若返えらせる知恵は、将にこの映画のテーマである持続可能な世界を象徴していました。
伐採業を営む傍らで炭焼きを続けている老人は「昔から不要になった木を利用して炭焼き窯を作っていた」と昔ながらのやり方で炭窯の修理をしていました。ここにも使い捨て時代とは反対の営みがありました。
若い養蚕農家の後継者は「日本の発展を支えてきた伝統産業を絶やしたくないし、日本の繭を使いたい人がいることに勇気づけられる」と語ります。かつての生業を応援する市民が今も存在することで伝統的な生業は生き続けているのです。
私は彼らの言葉の一言一言に本当に心を打たれました。このような考え方が増えれば、大量の廃棄物を持て余すこともなく、自然環境も壊さない持続可能な社会に繋がっていくのではないかと想いを深くしました。是非、皆さまの温かい応援をお願いいたします。
2021年5が月から撮影をスタートし、同時に編集作業を進めて参りました。現在、ほぼ完成形に至っています。これからスタジオで完成品を作るまで、最後まで推敲して、作品の質を高めて参ります。
仕上げと完成後の上映スケジュールは下記の通りです。
2023年9月下旬:スタジオ作業(映像・音声の補正、ナレーション入れなど)で完成
2023年11月~2024年4月:配給準備(上映素材・予告編・チラシ・ポスターHP作成)
2024年5月~:上映開始
本プロジェクトは実行確約型のため、目標金額に満たなかった場合でも、自費で補填するなどして、必ず作品を完成させ、配給準備を行います。未達の場合もリターンをお届けしますのでご安心ください。 なお、なるべく多くの劇場で上映できるよう活動してまいりますが、現時点でお住いの地域で上映される確約は出来かねますこと、ご了承くださいませ。また、映画館上映だけでなく、文化ホールなどで自主上映も出来るように推進して参ります。
5万円、10万円のご支援を下さった方に進呈する映画に登場した鍛冶屋さんが製作した刃物(調理用の包丁)は、法律的にネット販売可能な商品です。お送りする際には、危険の無いように包装してお送りしますのでご安心ください。尚、開封の際は十分にお気をつけください。
今までの撮影・編集に費やした費用は自己負担で賄い、今後、スタジオ作業と配給経費、にご支援頂いた資金を使わせていただきます。それにかかる経費は下記の通りです。
1)スタジオ経費:100万円(スタジオ代60万円、ナレーション20万円、音楽20万円)
2)上映用素材作成費:30万円(DCP、ブルーレイ、DVD 予告編作成)
3)上映配給経費:110万円(チラシ・ポスター作製費<デザイン、印刷>50万円、
配給発注費30万円、宣伝営業経費30万円)
4)クラウドファンディング手数料:30万円
5)リターン経費:30万円
合計300万円
2006年 「いのち耕す人々」 これは1986年から20年かけて完成させた作品で、山形県高畠町の有機農業の軌跡を描いたものです。(キネマ旬報文化映画ベスト・テン第4位)
2009年 NHK・ETV特集「よみがえれ里山のコメ作り」 耕作放棄田の再生に賭ける福島県と新潟県の農家を描いたものです。
2010年 テレビ東京・カンブリア宮殿「日本一のコメ作り」 コメのコンクールで5年連続、金賞を受賞した有機農家・遠藤五一さんのコメ作りを苗作りから収穫までの1年を丹念に追った番組です。
2011年 NHK・ETV特集「原発事故に立ち向かうコメ農家」 福島県で放射能汚染ゼロを目指す農家集団と東電と闘う農家を追ったものです。(農業ジャーナリスト賞受賞)
2012年 「天に栄える村」 福島県天栄村で原発事故を乗り越えようと動く農家集団と彼らを応援する市民の姿を描いたもので、原発事故以前の2009年から4年間かけて完成させました。(キネマ旬報文化映画ベスト・テン第5位受賞)
2014年 NHK・戦後史証言プロジェクト「日本一のコメ作りを目指して」 稲作を主軸に日本の農業の歩みを敗戦から現代まで伝えた番組です。
2016年 「無音の叫び声」 日本を代表する農民詩人、木村廸夫さんの詩から、戦前から現在までの村の歴史を描いた作品です。木村さんの詩のテーマの一つに<山(自然)があるから人間は生きていける>という村の伝統的な価値観があり、そのことに迫りたいという思いが、次の作品に繋がりました。( 書籍「無音の叫び声 農民詩人・木村迪夫は語る」 と農業ジャーナリスト賞W受賞)
2018年 「武蔵野 江戸の循環農業が息づく」 私が暮らす地域の農村を舞台に、江戸時代から続く落葉堆肥農法を伝えました。平地の雑木林を舞台にしたもので、次回作は、山奥の村を描きたいと今回の映画の引き金になりました。(キネマ旬報文化映画ベスト・テン第6位)
2019年 「お百姓さんになりたい」 これも私が暮らす川越市に隣接する三芳町で、自然栽培農法を実践している明石農園の日々を描きました。農業を通じて地域で人々が共生する姿を伝えた作品です。
2020年 「タネは誰のもの」 種子法廃止、種苗法改定の動きの背景にあるグローバル化の問題に迫りました。(キネマ旬報文化映画ベスト・テン第7位 / 日本復興奨励賞受賞)
2021年 「食の安全を守る人々」 日本と韓国、アメリカに取材して、世界的に危険が認知されている除草剤や子どもたちの発達障害を引き起こす殺虫剤、そして流通が始まったゲノム編集食品の危険性に迫り、子どもたちが健康で健やかに育って欲しいとの願いを込めて 、 給食のオーガニック化の大切さを訴えました。
2022年「若者は山里をめざす」 今回の映画を制作するきっかけとなった作品です。3人の若者が村の人たちと力を合わせて、村の大切な伝統文化を未来へ繋げようとする姿を3年間、密着しました。3人の若者たちは村人と共に活動をする中で、山里の暮らしから大切なものを見つけていきました。
「温故知新」……使い古された言葉かも知れないが、今ほど身近に感じた時代はないのではないか。コロナ禍が続くなかで、ロシアのウクライナ侵略戦争の終わりが見えないなかで、貧富の格差がすすむなかで、食料を含め様々な日用品が高騰を続けるなかで。
いかに近代化が進み、デジタル化がすすんでも、ヒトとしての日々の平穏な暮らしのなかに幸せを求めることに変わりない。国や都市が暴走しても、山里がある限り暮らしの再生は可能だ。山里の暮らしには、自然の恵みとそれを生かすヒトの営みに支えられた循環の世界が今も息づいている。そのことの現代的意義と大切さを、原村監督が静かに語りかけてくる。
原村監督の本作品製作と上映活動のご支援をよろしくお願い申し上げます。
鈴木(神出)敏夫(企画プロデューサー/農文協プロダクション代表取締役)
経歴:映画『武蔵野』『若者は山里をめざす』のプロデューサー。一貫して原村政樹監督の映画製作と上映活動を支援してきた。農文協のグループ会社で、雑誌・書籍などの企画編集製作を手がける株式会社農文協プロダクションの代表取締役。長年にわたり農文協編集部で全国の農業農村の移り変わりを見守ってきた。農的暮らしを提案する生活雑誌「季刊・うかたま」の初代編集長。川越市在住。
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