これからの映像制作への想い
vol. 8 2025-09-02 0
これからの映像制作への想い
なかなかない機会ですので、最後に私の今考えていること、これからの映像制作、表現活動におく想いをお伝えさせてください。
人って、ほんとうに複雑で脆いなぁと感じます。みんな自分が育ってきた環境や人間関係があり、培ってきた価値観を持っていて、自覚があるにしてもないにしても、みんな、自分なりの正義や信念を持って、自分や自分の大切な人たちを守るために生きていると思います。そこに明確な正解や不正解はないと思っています。
なにかを守るために発言した時、それが予期せぬ形で誰かを傷つけてしまうことだってあるし、本当の哀しみや怒りを誰かが発信した時、それを怖いとかそういう思いで、誰かの感情を拒絶してしまうことだってあるし、不明瞭な情報に大きく感情を左右されてしまったり、思わぬ形で身近な人に酷いことを言ってしまったり。また、自分がこうだと思って言葉を発した瞬間や、覚悟を持って決断したことに対して、“あれ、自分は本当にこれでいいのかな” “間違ってるのかな” と不安に思ったり、自分自身への罪悪感や劣等感みたいなものと付き合って生きていたり。
人は、傷ついて傷つけて生きているなぁと感じます。
私自身の生き方として、またこれからの映像制作の向き合い方として、正解を見つけることはできないと思っています。何かに対して理性を持って思考しても、真実や誰かの思いというのは、その人だけのものであって、他者が善や悪を判断することはあまりに不確かだと思うからです。でも、守りたいと思っていることは確かにあって、この社会への希望を見つけようとすることからは逃げたくないです。
だから私は、自分の生き方としては、とにかく知るという行為を大切にして、想像力を培えるように勉強して、行動していきたいと思っています。そうして、みなさんにご覧いただく私が監督した映画は、知るという行為と、誰かの人生に対して想像を持てるものであってほしいと思います。
そこに、世界中に必要な優しさが、人と人の間にあってほしい優しさが、確かなものになっていくのではないかと思うのです。
守りたいという思いはあります。世界がこうなってほしいなぁという思いもあります。それはみんなバラバラな願いかもしれないけど、私はこの映画が誰かの人生を少しでも応援できるような、あなたの心を少しでも抱き締められるような映画だと信じて、人生を賭けたいです。
こんな本当の気持ちをお伝えしていますが、まだまだ未熟で、自分が偏りのある人間だとも思っています。だけれど、今お伝えした思いをずっと胸に、成長していきたいと思っています。
映画『わたしには叶わない』を後悔のない形で映像制作し、大きな公開視野でこの作品を届けられるかが、今後の私の仕事の進み方としても、大きな道標になると思います。
死ぬ気でやるしかないです。
また今後も映画監督として作ることと、届けることを叶えていくために、さまざまな表現活動の実現もしていくつもりです。その活動は創るという工程、届けるという工程が映画監督とは異なるけど、観てくださる方へ願う信念に通じていくことは同じです。
映画は、誰かの人生を垣間見て、自分や社会の大きな希望と向き合うことのできる最も有効な媒体なのではないかと信じています。皆さま、いろんな思いと生活があると思いますが、もしもご賛同いただけましたら、皆さまの様々な方法で、可能な限りで、ご支援をいただけましたら幸いです。どうか、何卒宜しくお願い申し上げます。
最後まで、お読みいただき誠にありがとうございます。
村田唯