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廃墟だった佐渡島の洋館「旧若林邸」の再生をクラウドファンディングで実現!
解体寸前で長らく廃墟だった元町医者の和洋館を再生させて、地域内外の人が泊まれる、集える観光スポットとして生まれ変わらせたい。その屋敷は旧若林医院(通称:旧若林邸)といいます。現在、シロアリ被害で土台からの基礎工事中です。
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編集者、美術館の学芸員もしていました。田舎にUターンして一般社団法人佐渡古文化保存協会の業務執行理事。保存協会で旧若林邸再生事業を進行中。編著に『イラストで読む芸術家列伝』(芸術新聞社刊)等。未開拓ゾーンを自分の足で歩いて佐渡を調査し、資料の保存と活用に励んでいます。
解体寸前で長らく廃墟だった元町医者の和洋館を再生させて、地域内外の人が泊まれる、集える観光スポットとして生まれ変わらせたい。その屋敷は旧若林医院(通称:旧若林邸)といいます。現在、シロアリ被害で土台からの基礎工事中です。
みなさん、こんにちは。私たちのプロジェクトのページを訪れてくださり、誠にありがとうございます。プロジェクトリーダーの古玉かりほと申します。私は日本海に浮かぶ「佐渡島」に住んでおります。このプロジェクトはその佐渡島にある廃墟に近い洋館を再生させて、みんなが泊まれるホテルにしよう!というお話です。
その廃墟は元町医者の建物で「旧若林医院」といいます。私たちは「旧若林邸」と呼んでいます。2021年からコツコツと修繕工事をしていますが、実はクラウドファンディングをするのは初めてです。最初からお話しますので、どうぞ最後までお付き合いください。
旧若林医院(通称:旧若林邸)日本館正面。日本館と西洋館の2棟が渡り廊下でつながっている。
きっかけは2018年6月に建物のまち歩きをしていたときでした。薄ピンク色の塗装が残る廃墟に近い洋館があることに気がつき、なんの建物で誰が所有しているんだろう?から始まりました。地元の人をたどって所有者から中を見せていただく機会があり、これは文化財クラスの建物ではないかと思いました。そのとき元所有者からこの建物が負担で解体するか誰かに売りたいという話を聞いて、これは大変だと。ここから私の悪あがきが始まりました。
西洋館2階の廊下。
一度壊せばもう元には戻らない。二度とつくれない。できれば建物が持っている歴史的背景と、その土地を取り巻く人と思い出を尊重しながら、後世に残す方法はないかと考えました。いい方法は思い浮かびませんでしたが、人生を賭ける思いで、悩みに悩んだ末の2019年9月、建物保存の目的で不動産売買契約を交わしました。ここからは命がけの毎日。修繕工事の計画を立てるために蜘蛛の巣にまみれながら実測をし、お金をかけずともできる建物周辺の草刈り、ゴミ捨てに励みました。それから、旧若林医院正面玄関に次のような貼り紙をして情報収集に努めました。「ここは、もとは若林医院という町医者の建物でした。私たちはこの建物を再生させようと、旧若林医院について調べています。現役の頃の若林医院について、少しでもご存知の方はお話を聞かせてください。」
ブルーシートを廊下に敷いて、実測から再生計画を始めた2019年11月。
徐々に旧若林邸保存活動が話題になり、新潟日報2021年3月4日付の朝刊で「大正の館 再生へ」の見出しが掲載されました。新聞記事を読んだ東京都渋谷区在住のSさんから寄付が包まれた手紙が届いたので、電話して詳しく話を聞いたところ、旧若林医院は子供の頃に学童疎開していた場所で、若林医院がまだ残っていたことがうれしかったということでした。続いて、朝日新聞2021年5月20日付の朝刊に「鬼太鼓座(おんでこざ)の拠点 保存へ動き」の見出しで掲載されました。鬼太鼓座は1969年に故・田耕(でん・たがやす)代表のもとに集まった若者たちにより、佐渡で結成された太鼓集団です。佐渡では郷土芸能の鬼太鼓を「おんでこ」と呼ぶため、鬼太鼓座と名付けられました。彼らはIターンですから、住まいがありませんでした。そこで閉院していた旧若林医院を借りて、この場所を拠点に立ち上がって行きました。結成当時は宮本常一のほか同世代の文化人や芸術家などが多数、田耕に協力したそうです。その約10年後に田耕は佐渡を離れ、佐渡に残った座員により結成されたのが現在の鼓童です。
宮本常一が若者に宛てて書いたニーチェの言葉
この朝日新聞の報道により、当時の鬼太鼓座座長K氏、田耕の奥様Y氏などから寄付と応援メッセージが届きました。それがきっかけで寄宿当時、台所の井戸掃除をさせられたエピソードなどを聞くことができました。その井戸は旧若林医院にそのまま残っており、今も水を湛えています。
こうして次から次へと、建物保存をきっかけにこの建物との思い出を様々な人から聞く機会を得ました。私が自分の足で歩いて見て聞いて、徐々にわかってきた旧若林医院のことを次に書きます。
掃除のお手伝いをSNSで呼びかけたら集まってくれた皆さん
畑野町史編さん委員会編集『波多-畑野町史総篇-』(畑野町、1988年2月発行)によると、旧若林医院は真野地区金丸の漢方医だった若林文平の次男・篤之が金沢医学専門学校で西洋医学を学び、大正2年に料亭山屋を譲り受けて開業したと記されています。若林篤之には5人(男3人女2人)の子供がおり、男子3人については不明なところが多いですが、畑野地区の元呉服屋・H氏が2021年3月6日に話を聞かせてくれたところによると、息子のうちひとりは赤子で他界し、ひとりは戦病死、もうひとりが東京帝国大学理科二類の薬学部を卒業されているそうです。H氏も東京帝国大学の卒業生で、若林篤之の息子は2歳年上の大学の先輩であったと。同じ佐渡出身ということで、大学ではいろいろなことを教えてくれた親切で頭の良い先輩だったと思い出話を聞かせてくれました。ただこの方も夭折され、旧若林医院は篤之の長女が女医になり跡を継ぎました。旧若林医院が閉院になった時期についてはわかりませんが、畑野出身で子供の頃に若林医院に通院したというKさん(75歳)によると、5歳くらいまで通院したがその後の記憶がないそうです。このことから、70年前までは開院していたがその後閉院した可能性があると推測できます。旧若林医院が閉院後も住居として住んでいたのが次女ということになりますが、結婚と同時にこの屋敷が空家になります。
『波多ー畑野町誌』の若林医院について記述があるページ
閉院した旧若林医院は昭和35(1960)年に売買され、畑野地区のO氏の所有になりますが、そのまま空家の状態が続いたようです。そこで若林家の次女の夫で郷土史家の本間雅彦が、1971年に結成された「佐渡の國鬼太鼓座」の寄宿所として屋敷を貸し出します。鬼太鼓座の主宰は田耕(でんたがやす・故人)、初代座長は当時23歳の柏木薫氏(1948年松江市生まれ)。2022年3月に柏木薫氏に話を聞いたところ、旧若林医院に寄宿した期間は3年くらいで、鬼太鼓座を旗揚げするための拠点にしたということでした。旧若林医院はその後も賃貸として何人かの人が住んだようですが、空家バンクに出すか解体するかのところを譲り受け、2019年9月に土地建物売買契約を交わし、私たちの保存活動がスタートしました。そのときには雨漏りも複数箇所あり、梁が折れていて、床も抜け落ちている文字通りの廃墟でした。
「この建物はもうダメだ」と言う人もいた。壁が落ちて梁も折れていた。
傷みのひどい旧若林邸を大きく工事できる第一歩となったのは、2021年10月に法人化して起業すると、創業支援としていただける助成金(4分の3補助)に採択されたことでした。そのほかSNSを通して私たちの活動を知った方から寄付金をお寄せいただき、皆様のお力添えで補助事業の自己負担金150万円も集まって、500万円分の修繕工事ができました。ここから拍車がかかり、2022年7月に市の商店街を活性化する補助金100万円(2分の1補助)の内装工事ができました。内部公開や工芸品の展示販売ギャラリーを展開するうちに、2023年には東日本鉄道文化財団の地方文化支援事業に採択され、300万の支援に自己負担300万で600万の修繕工事ができました。しかし工事が進むにつれてわかったことは、想像をはるかに超えて傷んでいたということでした。2024年も東日本文化財団の支援(2分の1補助)をいただき、シロアリ被害で腐蝕している土台交換工事17ヶ所、雨水対策として側溝路の整備や雨樋新設、排水工事など地味に重要な工事をしてきました。ここまでの総工事費1,800万、ここまでなんとか工面して、補助事業にも積極的に応募して、たくさんの人に知っていただくために建物内部公開もしてきました。
皆様にお願いです。あと2,000万以上の修復費が必要です。しかしこれは遠い道ではありません。あと一歩なんです。2024年現在の工事で基礎工事の山を越えつつあります。だからここで、これまでしてこなかったクラウドファウンディングを初めてさせていただこうと思った次第です。
私と旧若林邸の根比べ工事、どうか最後まで工事をさせてください。
水の侵入を防ぐため、建物内部を人力で掘って、配管を通して水を外に逃す。
2025年 4月 着工
2025年12月 工事終了予定
2026年 1月 Newオープン
プロジェクトが達成した場合、皆様からご支援いただいた資金は以下の内訳の一部に活用させていただきます。
日本館正面玄関側の雨樋、上下庇とサイド玄関小屋根の交換 | 928,735円 |
日本館隣家側外壁補修 | 2,000,000円 |
日本館道路側の庇交換、木製建庇の復元、高圧洗浄と塗装 | 2,000,000円 |
日本館1階の床張り | 5,581,727円 |
日本館1階の壁面補修とクロス張り | 3,000,000円 |
全館の建具補修と建て付け調整 | 1,609,938円 |
日本館1階のトイレ、洗面、キッチン設備導入 | 3,911,600円 |
日本館1階の電気配線工事 | 968,000円 |
合計 | 20,000,000円 |
2024年3月には国登録有形文化財にも登録されました。ただし、この文化財制度での工事費の補助はありません。シロアリ被害により一難去ってまた一難の工事の道のりは険しいですが、苦しいばかりでは続きません。だからこそ楽しみだなと思えるような工事に、次世代に残せる工事に逆転させていきたいと思います。
電気工事(一部)により灯りがついた。
よく「この建物をどうするの?」と聞かれます。どうなるといいと思いますか?と聞き返すと、だいたいが「泊まれたらいいな」「カフェがあったらいいな」というご回答が多いようです。だったら、この屋敷はたくさんの人にご利用いただける「泊まれる国登録有形文化財」のホテルにしようと思います。みんなで一緒にこの廃屋を素敵なホテルにして活用しませんか? 必ず素敵なホテルにできます。その一員になってください。参加型の特典(リターン)をご用意しました。ポストカードやクリアファイルなどグッズもご用意しましたが、できれば佐渡島においでくださり、実際に旧若林邸をご覧いただきたいと願っております。見ると見ないでは、その素晴らしさは全然ちがいます。設計者と建築年代はわかっておりませんが、築110年は経っているパワーのある美しい屋敷です。
① お気軽支援……旧若林邸設計図(青図)をデザインしたポストカードのお礼状(1枚 3,000円)
② グッズ購入で支援……旧若林邸設計図(青図)をデザインしたクリアファイル3枚1セット(3枚1セット 5,000円)
③ 佐渡古文化保存協会の会員になって応援する……会員(入会金2,000円+年会費3,000円)になると、旧若林邸のホテル利用が常時20%オフでご利用可能。保存協会の運営する寺泊(宿坊)が通常7,800円のところ素泊まり5,000円でご利用可能です。また年2回〜3回の会報紙がメールまたは郵送で送られますので、保存協会の活動を読むことができます。総会・会議などにご参加いただき、一緒に運営する仲間も求めておりますし、または遠くからあたたかく成長を見守ってくださる方も募集しております。よろしくお願いいたします。(1人 10,000円 【入会金2,000円+年会費3,000円と今回の修繕支援5,000円】)
④ 大工さんが出した木の切れ端購入で支援……工事で出てきた木の切れ端を捨てずに、支援札をつくります。レーザーで貴方のお名前を刻ませてください。その木の切れ端支援札は日本館正面玄関の壁の一部になります。(1人1札 10,000円)
④ 近代建築ホテル旧若林邸に泊まる(1泊1組 最大4名様迄)……ホテルになった旧若林邸の宿泊をお試し価格でご提供します。このお値段で泊まれることはこれ以後もうありません。この価格はクラファンにご協力くださった方へのご奉仕です。(1泊1組 最大4名様迄 50,000円)
⑤ 旧若林邸の大座敷で蔵から出てきた輪島塗の膳椀に盛られた昼食会……日本館の大座敷で中庭を眺めながらの美味しいひとときを過ごしませんか?かつて旧若林邸が「料亭山屋」だった頃の雰囲気を味わえること間違いありません。蔵から出てきた明治時代の輪島塗の御膳とお椀を実際に使います。クラファン限定です。(1人1食 25,000円)
⑥ 旧若林邸西洋館2階でafternoon tea……西洋館の2階は旧若林邸の中で一番良い部屋です。上等な部屋でケーキとコーヒーを味わってみませんか? この部屋は床材のリノリウムを保存したいため、これ以後の一般開放はありません。こちらもクラファン限定のまたとない機会です。(1回2名様迄 50,000円)
⑦ どーんと応援、リターン全部のせ……(1人 150,000円以上)皆様に助けられて、旧若林邸保存事業をここまで続けて来ることができました。一口いくらに関わらず高額ご支援をくださった方には、リターン全部のせでおもてなしさせていただきます。どうぞ旧若林邸をご満喫ください。お待ちしています!
本プロジェクトは集まった資金が目標金額に満たなかった場合、2025年度の旧若林邸ホテル開業は行われない「All or Nothing方式」を採用しております。不成立となりますと、支援者の方々にご返金となりますので、皆様へのリスクは少ないプロジェクトです。
企画成立を目標に、どうかお力添えください。
お風呂の天井。これを生かしつつ現代のお風呂として活用してみたい、ですよね?
東山魁夷の言葉に「古い建物のない町は、思い出のない人間と同じである」という言葉があります。私は旅をするとき、古い建物を訪れたくなります。古い建物はその地域の文化的なシンボルだと思っています。古い建物のない町なんて、つまらないじゃないですか。訪れたい佐渡島の宝物を壊さず残したいじゃないですか。だから旧若林邸の再生事業は「思い出と共に再生する」を心がけています。旧若林邸が解体されずに残ったとき、「ありがとう」と言ってくださる人がいました。みんなが要らないと思えば、解体されて消えます。声をあげて残しませんか? 佐渡島には旧若林邸という美しい歴史的建造物(国登録有形文化財)があります。この邸は国民の文化的財産です。この邸が必要だと思ってくださるなら、あなたの手を貸してください。小さな一歩が集まって、旧若林邸はよみがえります。
ここまで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。何卒ご協力をお願いいたします。またシェアしてこのプロジェクトをいろんな方に伝えてください。よろしくお願いいたします。
追記:SNSで旧若林邸の工事詳細を見ることができます。アカウント名:洋館倶楽部ー旧若林邸保存会 x(旧Twitter)@youkan_clud Instagram @wakabayashi717 Facebook
古玉かりほ(kodama kariho)
佐渡島生まれ、佐渡島育ち。東京の大学を出て編集者、美術館の学芸員を経て、2018年にUターン。2021年10月に一般社団法人佐渡古文化保存協会を設立し、業務執行理事に就任。自分の足で歩いて調べるを基本にし、人口減少により維持できなくなった、未調査の歴史や文化の保存と活用に力を入れて活動しています。
【過去の実績/保護再⽣事業】地域の資料として、地域と協働し保存につなげ、郷土の思い出と共にみんなの力で修復しています。
【過去の実績/普及活動事業】歴史的資料を多くの地域の人に展示・公開する機会を設け、体験と学びの場をつくり次世代につなげます。
3000 円
5000 円
10000 円
10000 円
残り46枚
25000 円
SOLDOUT
50000 円
残り47枚
50000 円
残り50枚
150000 円