Altneu インタビュー3
vol. 3 2018-11-19 0
part 3 ・Altneu(アルトノイ)のこれまでとこれからの活動、「変」なことについてのお話、本プロジェクトについてなど
聞き手:平間文朗、上原杏奈
平間ーAltneu(アルトノイ)というユニット名にはどんな意味が込められているのでしょうか?
島地ードイツ語でAlt(アルト)が古いで、Neu(ノイ)が新しいという意味で、それをくっつけました。
酒井ー私がクラシックで、彼がコンテンポラリーと言う事で、島地さんが造語を作ってAltneuにしたんです。
島地ー温故知新という言葉があるように、伝統を大事にしつつ、新しいものを作れたら良いなと。
酒井ー私たちのAltneuは、何か斬新な新しいものを追求するというよりは、ダンスの根源を探っています。私にはクラシックという身体言語があるし、彼にはヨーロッパで培ったものがあって、その二人で何かを作っていけたらという想いがあります。それが結果として普遍的なものであればなあと。
島地ーそもそもクリエイトするということが、普遍的なものであるような気がするね。
平間ーAltneuとして活動が始まったのは、どんなきっかけがあったのでしょうか?
酒井ーさいたま芸術劇場で二人で作品を作ってみないかと依頼を受けた時に、ユニット名をつけてしまおうということになったんです。
島地ープロデューサーの佐藤まいみさんからそのような提案がありました。
酒井ーそう、それがきっかけでしたね。
島地ーユニットにして、はなさんと踊る機会を増やすことで僕自身が上手くなりたいという思いがありました。彼女から何か盗みたいと思ったことが、1つの大きな理由としてありますね。
平間ーAltneuとしては今後、どういった展開を考えていますか?
島地ー最近人を育てるということも視野に入ってきました。そういうことができる場を探しはじめています。 それから、これからはどなたかにAltneuに演出を依頼するということを考え始めています。
上原ー振付家、演出家というのは今どなたか思いつく方はいらっしゃいますか?
酒井ーアレッシオ・シルベストリンさん。
島地ーあと、ディミトリス・パパイオアヌーっていう人が、すごく気になってますねぇ。 もともとファインアート...コンテンポラリーアートをやってて、アテネオリンピックの開会式の演出したり、最近ピナ・バウシュのカンパニーに振付したりしてる人です。
酒井ー結構えぐみあるよね。
島地ーうん。大体脱ぐし、全裸で(一同笑)けど、、ビジュアルとしてものすごく綺麗で西洋の絵画のような美しさがあり、 注目しています。まだ映像でしかみたことがないので劇場で見てみたいです。でも誰に(振付、演出依頼)っていうのは今のところ具体的には考えてないかな。
ー本当にシンプルに身体を使ってそこに立っていたい
平間ー今回、坂本龍一さんの「async」を使用して作品を制作しますが、どんな作品になるでしょうか?
島地ーワタリウムの(坂本龍一)設置音楽展に行ったときに、教会のような祈りの場にいるというか、その展覧会に来ている人たちが椅子に座ってぼーっと音楽を聴いていて、ここではない何か遠くにあるものをみんなで共有している様な感じがしました。映像が流れていて日常の部屋の景色が、「async」のジャケットの様に引き伸ばされて線になって、すーっと伸びてそれがまた追いかけるように元の何か認識できる絵になって、それを繰り返していて、時間が歪むというか、引き伸ばされていくというかそんな印象を受けました。実はそれは…すごく日常に近いというか、奇抜では無いし、だけど強さがあり、じわりと染み入ってくるような音楽と映像でした。そういう意味であまり奇をてらうという演出はできないと思っていて、本当にシンプルに身体を使ってそこに立っていたいということですね。音楽が先にあって振付をしていくということは、初めてではないですが、アルバム全曲をまるまる使うということは初めてです。それも、できたら順番通りに使いたいと思っています。あまり曲の流れは止めないでおこうかなと思いますが、曲を流しっぱなしにするのではなく、曲と曲の合間、少し間隔をおいて、舞台上で出る音、吐息だとか、ダンサーの体が出している音、実際に動いてる音、そういったものは使って良いのかなと考えています。
上原ー舞台の大体のイメージは固まってらっしゃるんですね?
島地ー頭の中に?そうだね...あんまり変なことしないというのはあるかなぁ。でも変なことしたくなっちゃう性分ですけども。
ーでも意外に変じゃないかもね、あれっ?これも有りなんだっていう。
平間ー島地さんの中の基準で、変なことってどんなことなんですか?
島地ー急に舞台上に知らないおじさんが現れて、鈴を鳴らして帰るとか。(一同笑)
酒井ーそれは衝撃的だね。
島地ー何か外からやってくるハプニングみたいなこと、外からの異物というのは、ある種の芸術だと思うので、僕は好きなんですね。
酒井ーこれは余談ですが、フォーサイス・カンパニーを観にいった時に、ダンサーの一人がネギ が刺さっている買い物カゴを持って、服をすっごく着込んだ状態で、冷えないようにもっこもこで、 それで舞台上を歩いて通過するシーンがあったんです。今思い出したんですがそれがすっごく可笑しくて。
島地ーお昼の休憩時間に外に買い物に行って、帰ってきた時にたまたまカゴを持ってクリエイション中の現場を通って、それが面白かったから、採用になったという。あと、クリエイション中に コーヒーを二人分入れて帰ってきたのが、そのまんま採用になったとか、色々偶然に起きた出来事を切り取って作品に入れて行くということを彼(フォーサイス)はしていた。
上原ー確かに変なことかもしれないですが、作品にとっては良い素材になるかもしれないということですね。
島地ーでも意外に変じゃないかもね、あれっ?これも有りなんだっていう。じゃあ、それをもう 一回やらなきゃいけないとなった時に、いかに...でもそれが不自然だと面白くないから、狙ってない状態でそこを通ってる、というのが面白くて、それをいかに初めてやるようにまた再現できるか。舞台と分かっていながら、いかにそっけなく、自然にできるかということになってくる。
酒井ーどうしても気合が入っちゃってね。
島地ーかなり技術がいると思う。面白いことをやろうと思った時に、面白くなくなるんです。本当に真面目に、ピュアにやればやるほど良いということですね。
酒井ーそのすべきことに専念するのが面白い。
上原ー簡単そうで難しいことですね。
酒井ー難しい。でもやっぱりパフォーマンスだから、魅せるということは大事なことだし。
島地ー変なことは好きだけど、変なことをするのではなくて、みんなが変だったら良いなと思ってます。(一同笑)
平間ー素で変だったら良いということですか?
島地ー存在がなんか、あれっ?って。
平間ー誰しもどこかに、ちょっと変な部分というのは持ってるものかと思いますが。
島地ーでも、自分で変だと思っている部分も、他人からみたら変じゃないかもしれないけどね。その場その時によりますね。
ー反応は予測するけど、裏切られたいから。
酒井ー前に私たちがやったパフォーマンスで、お客さんがキョトンとしてたことがあったね。でもその時のパフォーマンスは結構、評判が良くって、アフタートークで、本当に面白かったと言ってくれた方がいたんです。
平間ー島地さんは、前回仙台でやって頂いたワークショップ・ショウイングの時も、客席をアクティングエリアを囲むように四角く作ったりと、観客との距離感や、反応を大事にされていたと思うのですが、観客にどんな反応を求めるのかというのがあって、観てる側としても、どう反応したら良いのか難しい時があると思うんです。それは初めての、言わば今出来上がった新しい表現 だったりして、それを観てる側として、今までに無いパフォーマンスを観た時に、どう反応したら良いのか悩んでしまうこともあると思うのですが、例えばこう反応して欲しいというものはあるのでしょうか?
島地ー何かしらの反応は欲しい。だけど、こう、というのは無いかな。反応も人それぞれですし。
平間ー何か舞台を観に行った時に、僕自身は結構反応出来ないんですよ。面白いと感じていても、 それをただ受け止めて、観客でいる時にリアクションするということがなかなか出来ない。今回の舞台を観に来て頂く方たちも、反応をどうしたら良いのかという部分がもしかしたらあるかもしれないですね。
島地ーそうですね。でも、そういう目に見える部分じゃ無いところ...実際にパフォーマンス中にリアクションがあるとそれはそれで嬉しいですが、別にそれを求めている訳ではないですね。ただ、笑いが起こっている時に声を出したら聞こえないから、その笑いが収まってから声を出すという、リアクションに対するリアクションはしています。かと言って静まりかえっていても、なんでウケないんだろう?とは思わないし。パフォーマンスを見終えた後の時間をかけたリアクションもありますね。
平間ー予期せぬ反応が起こった時に、パフォーマンスしている側がどう反応するのかということでしょうか?
島地ー前にやったパフォーマンスで小、中学生たちが大爆笑してしまって、流石にそうなったらエネルギーで場を締めなきゃいけない、そういうことはあります。
酒井ー反応は自由で良いんだよね。
島地ーうん。反応は予測するけど、裏切られたいから。
ー想像する力は、誰にも侵されることのない大きな力です。
平間ー新作「失われないもの」についてお伺いしたいのですが、「失われないもの」と聞いたときに、僕はやはり無くなってしまった建物、人を思い浮かべました。それは失われないものとは 相反する失われたものをイメージしたのですが、このタイトルに込めた想いとは何でしょうか。
島地ー「失われないもの」ってタイトルの込められたものを一言で言ってしまいたくない気がしていて。
酒井ー「失われないもの」というタイトルを見た時に、津波で流されてしまったものであったり、 平間くんは現地にいたから悲惨な被害をイメージしてしまうのかもしれませんが、私たちにとってみると、そういうとても大変で悲しい事柄があるけれども、それでも決して崩れない何かが人の中にはあって、それこそ言ってしまうとちんけな気持ちになってしまうかもしれないですが、愛であったり、無くなってしまってもその人の心の中には残る想いだったり。
島地ーそれでも生きていくし、祈るという行為であったり。
酒井ーこの世にはやっぱり物質があって、人間もどんどん朽ちていって土に還るわけで、触れるものだけではない、何かがあるのではないかというのは思っていて。
島地ーそんなものなんてないって、きっと絶望したりすることもあるし、そうやって祈っても助からないことだってあるし。
酒井ーそれでも何か、どんな人でも一人一人の自分の心の中の大切なものが、いつも輝いていますようにという気持ちです。けど、皆さんが(作品を見て)感じたことがそれで正しいし。
島地ー想像力を働かせること、イメージすることもそうかもしれない。想像力は他人の痛みを分かつことだと思うし。これからどうなっていくかという未来を想像したり、死んだ人が生き返るんじゃないかと死体に石を乗せてお墓を作るとか、そういうものに対する畏怖も想像力だし。
酒井ー作品を見て、皆さんのイメージ喚起されること。体感して頂くことで瞬間的に皆様のイメージ力というものが働く事があったなら嬉しいですし、それが私たち作り手の望みでもあります。想像する力は、誰にも侵されることのない大きな力です。その人が想うことを続ければ、その世界はずっとあり続けることができると思いますし、誰かがその人が想うことをやめさせることは出来ない。想いは、誰にも傷つけられないものであって欲しいと願っています。12月から出演者、研修生が集まり、仙台でのクリエイションがスタートします。ひと月仙台でみんなと一緒に過ごせるということは、とても大きな意味があって、作品を作ることにおいて大事な時間だと思います。 コミュニケーションをすることで、発見があり、意識を持ち、皆のエネルギーが集合し高まるような良い時間を過ごすことが、良い舞台につながると思います。なかなか日本にこういう集中して創作できる環境はないと思うので、その一瞬一瞬をみんなで大事に積み重ねていけたらと思います。
島地ー「失われないもの」って何だろうって、みんな(出演者、研修生)に聞いてみたいなと思っていて、聞いてみて出た答えが、今回のクリエイションの核になっていくと考えてます。それは、 すごく意外な答えかもしれない。
平間ー最後に、今後ダンサーを志す方たちへ、何かお言葉をいただけますでしょうか?
島地ーなかなか夢を持つという事ができない世の中になっていると感じるのですが、それでもやっぱり夢を持ってもらいたいなと思います。あとは、過激であってもらいたい。僕たちに出来ないことをどんどんやっていってもらいたい。
酒井ー健康で、とにかく元気で、踊って!すごく当たり前のことなんだけど、踊る楽しみ、踊る事が幸せであるという、やっぱりそういう人たちがダンサーになっている。なので、その踊る喜びというものを、是非大事にして欲しいです。
2018年9月5日
編集 平間