Altneu インタビュー
vol. 1 2018-10-16 0
2013年、ユニットAltneu(アルトノイ)発足から、NHK「バレエの饗宴」、「身奏/記憶」「身奏/始点」での神奈川県立近代美術館でのサイトスペシフィックなパフォーマンスや音楽家蓮沼執太との共演、洗足学園音楽大学でのパフォーマンスなど、様々な活動を経て5年。あらゆる価値観が、かつてない速度で生まれ、そして変化していく中、2015年にドイツから日本に拠点を移した島地保武と、一貫して日本で技術と表現力を磨き続けてきた酒井はな。そんなお二人の魅力や本プロジェクトの魅力を知って頂くためにインタビューを行いました。
part 1 ・島地保武さんのこれまでについて、バレエ初心者へのアドバイスなど
聞き手 平間文朗、上原杏奈
平間ー島地さんについては、まだNoismができる以前の「no・mad・ic project -7 fragments in memory」で知ったのですが、金森穣さんとはどんな出会いがあったのでしょうか?
島地ー穣さんが東京で開催したワークショップを受けに行ったことがきっかけでした。この人と絶対に仕事がしたいと思い、ダンス公演「no・mad・ic project」のオーディションを受けて運良く合格し、その後Noismの前身のProject・Noismに参加しパリ、ブタペストの2都市で公演があり、その延長で新潟のNoismに入ることができました。
上原ーワークショップを受ける前は、金森穣さんのことは知らなかったんですか?
島地ー知らなかったです。たまたまある友人に、紹介していただき受けてみることにしたんです。
酒井ー私、彼の踊りを見に行きました。穣さんがヨーロッパから日本に拠点を移してすぐだったので、尖っていたし、作品はすごく画期的でとても面白かった。
島地ー衝撃でした。ヨーロッパの踊りが体にちゃんと入ってる日本人がいた!!と。
上原ーそのワークショップを受けてから決めたんですね。
島地ー決めたんですねぇーとにかく穣さんのように踊りたかった。
ー作品以前の身体のあり様、精神的強さの方が求められてた。ベーシックな部分。
平間ーそして、Noismに入団し新潟での生活が始まり、週5、週6で稽古をやって行く事になるんですね?
島地ーヨーロッパの劇場専属ダンサーと同じスタイルで生活をし始めました。
酒井ーお米が美味しかった?
島地ーそう、酒とコメが美味しくて(一同笑)、温泉あるし。
酒井ー最高だった?
島地ー最高だった。けど、それを楽しめるような精神的余裕は無かったかなぁ。
平間ーそれはやっぱり、劇場でやっていたというのがありますか?
島地ー日本で初めて市の援助で運営されるカンパニーで活動できるという事で、当時ものすごいプ レッシャーだったと思うし、とにかく他とは違う素晴らしいものを作ろうとしていた金森さんの気合いの入りようについて行くのに必死でした。
平間ー作品毎に求められることが違ったりしたのでしょうか?
島地ー作品毎に求められることが変わるというよりは、作品以前の身体のあり様、精神的強さの方が求められてた。ベーシックな部分。でも僕らはベーシックな部分ができてなかった。だから要望に答えられるレベルではなかった。
上原ーそういうベースの部分を求められるのが結構きつかったんですか?
島地ーきつかったねぇ、正直いうと。自分が甘かったですね。
平間ー「no・mad・ic project -7 fragments in memory」を見るとすでに完成された身体性をお持ちのようでしたが、更にということだったんでしょうか?
島地ー当時は振付を踊るということに慣れていなかったので大変でした。でも、それまでの自分に足りなかった様々な要素をNoismにいる期間に沢山得ることが出来たし、その延長でフォーサイス・カンパニー入団に繋がったと思う。フォーサイス・カンパニーでは、Noismではある意味やってはいけない様なことが作品に採用されたりして、あ、それやって良いんだと言うようにどんどん思考を解体されて行きました。
上原ー色んな発想が採用されるということですか?
島地ー持ってるアイディアや、これやってみようって発案して見せたものが採用されたりした。
ー理解できなかったけど魅力を感じてしまった
平間ーちなみにフォーサイスカンパニーに行った経緯としてはどんなものがあったのでしょうか?
島地ーフォーサイスについては、大学生のころに「from a classical position」を見たときに衝撃 を受けて、特にヒップホップっぽい音楽にのせてフォーサイスがインプロヴィゼーション踊ってるのを見たときに、当時僕は、モダンダンスというよりはストリートだったりクラブで踊るダンサーだったから、そういう自分にも単純にカッコいいと思えて、これをきっかけにモダン、コンテンポラリー、バレエに対する考えが変わっていきました。
上原ー映像をご覧になった頃は、ストリートをずっとされてたんですか?
島地ーそう、ハウス・ダンスが好きでした。ハウス・ミュージックを聞きながら足技を多様するダンスです。モダンダンスを始めたのも、モダンダンサーになろうと思った訳ではなく、クラブでもっと面白く踊れるように色んな要素を自分の踊りに取り入れて見たかったからなんです。
上原ー映像を見るのと、これをやりたいと思うのは、また違う視点ではないかと思うんです。例えば、他のハウスのダンサーはモダンをやろうとは考えにくいと思うんです。コンテとかバレエを見ても。
島地ーそれこそ大学の授業でジョルジュ・ドンのボレロとかを授業で見せてもらって、半裸の男がピタッとしたタイツを着て赤いテーブルの上で踊ってる。正直最初は抵抗があったけど、多分何かが心にフィットしたというか、理解できなかったけど魅力を感じてしまったから、気づいたらその映像を何度も見てた。何度も何度も、本当に。あとは大学の先生だった加藤みや子先生にやってみない?って誘っていただき公演に出演して、あれよあれよとよく分からないうちに気づいたら自分が半裸で踊ってるみたいな(一同笑)、一番やりたくなかったはずのことを自分でやり始めてた。
酒井ー面白い結末ね。
島地ーでも、舞台で踊ることだけに収まろうとはしてなかったかな。相変わらず自分の踊りにアカデミックな要素を入れようとし、クラブや公園で即興で踊っていた。
ースタイルは定着することはなくて、常に変化し続ける。だからスタイルというより、今。
平間ーヒップホップの方達は、バレエのように正しい形、ポジションを目指すのではなく、自分のスタイルを確立する事を目指すと聞いたことがあるのですが。フォーサイス・カンパニーもそういった方向性だったのでしょうか?
島地ーオリジナルスタイル?
平間ーはい。
島地ーオリジナルってなんなのかってことだけど、よく言われたのは「ヤスでいてくれ」ってこと。 自分を探せってことだと思うんだけど。でも案外自分自分って探してても、自分の癖に埋没して行くみたいな感じで...人の真似をして初めて自分の癖や、やっぱりそう出来ないことに気づけて、だからそれを直すことも出来るし、それを使うことも出来る。オリジナリティの話で言うと、他の人ができることはするなって言うけど、スタイルは定着することはなくて、常に変化し続ける。だからスタイルというより、今。
平間ー実は、研修生からもお二人への質問を募集したのですが、バレエを最近始めた子が、バレエ初心者の自分と経験者との形やポジションで、何か違うと感じる、でもどう違うか分からないということで苦労しているそうで、今の、人の真似をすることが自分の出来ない何かに気づくきっかけになったりと言うお話しと関係があるように思うのですが、何かアドバイス頂ければお願いします。
島地ーバレエの場合はポジションが厳密だし、こうなりたいという真似したい人を見つけて、その人の真似をするところから始まると思う。ダンスの根源がそもそも動物の真似だったりしていて、バレエも様々な民族舞踊も日舞も真似というのが一つの近道と思う。
酒井ーやっぱりみてくれている先生に、私のポジションはここでいいのだろうかということを尋ねたらいいと思う。自分で思い悩むことも大事と思うけど、ここをこうしたらできるという事が意外とあって、客観的に見てもらうことが大事だと思います。ここをこうしたらこうなっていくということが、だんだん具体的になっていくと思う。
島地ーバレエって肉体改造だよね。
酒井ーそうだねぇ、大変だよ。
島地ー普通ではない形になっていくわけだから急にはできないよね、年月をかけて変えていかないと。例えば自分の立ち位置って、ある物との距離がないと測れない。 バレエを知ることで…知ること自体にも労力と年月がかかるけど、自分の動きとバレエの厳密な決まりの相違点に気づいてくる。 これはバレエである必要はなく、能でも良いわけですが、型がある舞踊を知って行くことで自分がどれくらズレてるか知るわけです。
ーこれは絶対やらないとか決めちゃう方が危険かなと思う。
平間ーフォーサイスカンパニーでの経験についてお聞きしたいのですが、日本人として海外のカン パニーに所属するということは、言語や文化、制度の違いなど様々な苦労があったと思いますが、 どういったことが印象に残っているでしょうか?先ず、海外での生活というのは環境も変わりますし大変だったと思いますが
島地ー海外生活が大変というのは、海外に行くことを決めた時点でおおよその予想はつくけど、 それよりもカンパニーの中で自分がしっかりやれるのかという事がプレッシャーでした。カンパニーのダンサーと自分とは大人と子供くらいレベルの差があって、言い換えるとダンサーとアーテイストの差なのかな、それを痛感しました。生活面では海外だと外人でいられるということでのびのび出来たかも、もちろん外国人だから本来だったら嫌な思いも沢山してるんだと思うんだけど、 気づいてないかもしれない。その時はダンスに必死だったから、暮らしを快適にすることは二の次だった。後々振り返ると食べ物が合わなかったり、役所の手続きが大変とか苦労もあったけど、やっぱり言葉がとても大切だと今になり気づき、勉強すべきだったと反省してる。カンパニーでの一番の苦労は、オリジナルキャストのパートをリプレイスする時が本当に大変でした。しかし、それこそやり甲斐がありました。
上原ー島地さんの柔軟な考え方やアイディアを組み込んで行くやり方、これもいいあれもいいといって、どんどん取り入れていくことというのは、日本に居ると忘れてしまう感覚かと思うのですが。
島地ー日本とか海外は関係ないですね。怖いのはやっぱり固定されていくこと。決め付けていくことが嫌いなんです。だから自分自身でも意外なことをしていきたいと思っていて、昔の自分が今の自分の活動を見て、こんなことやっちゃうんだって!!いうことをしていこうかなと思ってます。これは絶対やらないとか決めちゃう方が危険かなと思う。色んな事を経験してみて判断したい。
2018年9月5日
編集 平間
次回は、Altneu インタビュー part 2・酒井はなさんのこれまでについて、カンパニーや劇場所属 とフリーランスの違い、自分の身体との対話やケアのお話など聞いていきます。
次回の更新は、10月26日(金)予定
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