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岩名雅記監督最新作「うらぎりひめ」をクラウドファンディングで実現!
監督の岩名雅記です。来年3月1日から9日間都内アートホールで新作「うらぎりひめ」と旧作2本を同時公開することを決めました。今回はまさに公開を僕自身で決断したというのが実情です。といいますのも過去2作品の上映ではかなり興行成績をあげても映画館との収益のシェア、パブリシスト(広報宣伝担当者)への報酬支払いなどで手元に残るお金がないばかりか、赤字を抱え込むことになってしまったからです。現在もうこれ以上同じリスクは繰り返せないギリギリのところに立っておりますので、今回は在外というハンディがありますがパブリシストも自分でやり、映画館ではなくレンタル料の支払いだけで済む都内一般ホールでの公開に発想を切り替えました.
どうぞ皆様のご理解とご支援でこのプロジェクトを成功させていただきたく心からお願い申し上げる次第です。
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1945(昭和20)年2月東京生。‘75年演劇から舞踏世界へ。‘82年全裸/不動/垂立の‘非ダンス’で注目される。‘88年渡仏、現在まで70カ国/200都市で舞踏ソロ公演。‘95年フランス南ノルマンディに拠点をつくり、2004年から映画製作を開始、2007年初監督作品「朱霊たち」は英国ポルトベロ国際映画祭でグランプリを受賞したほか、第二作「夏の家族」ともどもロッテルダム国際映画祭に公式招待される。2019年にはニコシア(南キプロス)のオルタネティブ国際映画祭で本作品を含む3作品のレトロスペクティブ上映が決定。映像企画 Solitary Body/映像舞踏研究所・白踏館主宰。「独立映画鍋」会員。
監督の岩名雅記です。来年3月1日から9日間都内アートホールで新作「うらぎりひめ」と旧作2本を同時公開することを決めました。今回はまさに公開を僕自身で決断したというのが実情です。といいますのも過去2作品の上映ではかなり興行成績をあげても映画館との収益のシェア、パブリシスト(広報宣伝担当者)への報酬支払いなどで手元に残るお金がないばかりか、赤字を抱え込むことになってしまったからです。現在もうこれ以上同じリスクは繰り返せないギリギリのところに立っておりますので、今回は在外というハンディがありますがパブリシストも自分でやり、映画館ではなくレンタル料の支払いだけで済む都内一般ホールでの公開に発想を切り替えました.
どうぞ皆様のご理解とご支援でこのプロジェクトを成功させていただきたく心からお願い申し上げる次第です。
監督の岩名雅記です。本年3月1日から9日間都内アートホールで新作「うらぎりひめ」と旧作2本を同時公開することを決めました。今回はまさに公開を僕自身で決断したというのが実情です。といいますのも過去2作品の上映ではかなり興行成績をあげても映画館との収益のシェア、パブリシスト(広報宣伝担当者)への報酬支払いなどで手元に残るお金がないばかりか、赤字を抱え込むことになってしまったからです。現在もうこれ以上同じリスクは繰り返せないギリギリのところに立っておりますので、今回は在外というハンディがありますがパブリシストも自分でやり、映画館ではなくレンタル料の支払いだけで済む都内一般ホールでの公開に発想を切り替えました(詳しくは Princess Betrayal_JA「監督のメッセージ」 )。どうぞ皆様のご理解とご支援でこのプロジェクトを成功させていただきたく心からお願い申し上げる次第です。
<私の環境>
私は本来ソロ舞踏家です。約40年間舞踏の実演者/舞踊教師として日本と全欧で仕事してきました。約20年前に欧州へ移住、現在フランス北西部の丘陵地帯に家族と住んでおります。厳しい自然が支配する環境のなかでいわば地産地消の生活をおくっています。無論そこだけでは仕事にならないのでときどき欧州各都市へ出稼ぎに出る生活です。
そんな私が2004年ふとしたことがきっかけで(詳しくは拙著「ニオンのオルゴール」(燦葉出版)参照)60歳にして映画を撮り始めました。以後商業主義に偏らず、舞踏家として身体性のある映画作りを心がけています。今回が長編第三作となりますが、映画の主題をひと言でいえば「倫理性と孤独」ということになります。
<失われた倫理>
ご承知のように今回の東日本の津波震災とそれに伴う原発事故で日本の社会と生活は大変な被害を受け、私達は意識の大きな変容を迫られました。ただ私は震災のあった数年前から以前とは全く異なる日本社会の変化に注目してきました。それは社会や政治が壊れていく以前の倫理性の崩壊です。30年前には子が両親を金属バットで殴り殺すという家庭崩壊が取りざたされましたがこの10年は希望を託すべき司法や行政、公共報道が崩壊しているのです。そして3・11以降さらにその崩壊の波が決定的になったと言えるでしょう。
こうした観察から見えてきたものは先の大戦時と現在との酷似と差異でした。「酷似」とは言うまでもなく時代を超えた政治/社会の同質性であり、差異とはモノと人心とのバランス/アンバランスです。私は現代のモノが溢れかえった時代に起こった人心/倫理の荒廃と、モノが充分にない時代の<豊かさ>をどうしても映像によって対比的に描いてみたいと思いました。私は一人の主人公を通してこの大きく隔たった70年ほどの時間を二つの物語で結びつけるという試みをこの映画でやってみました。
権力への抵抗や政治的主題を語るということは現在の日本では、あるいは現在の日本映画界ではタブーらしいのですが私は映画界に身を置いているわけではないのでそこは自由です。「倫理性の崩壊」を考える時にどうしても権力という主題に行き着かざるを得なかったわけです。そしてそれこそが「映画らしい映画をみたい」という心あるお客様の期待に沿えることだと硬く信じています。つまりイデオロギーや党派制を超えた「人間の在り方」についてもう一度映画を観てくださる方々と考えてみたかったわけです。
<孤独のかたち>
第二の視点は人間の孤独ということです。一般的に現代社会に住む人びとはいわば「集団の中の孤独」を感じています。あるいは近年の世界経済の変動で「集団からはじき出された結果としての孤独」を感じている方が日本にも多数いると思います。後者は非正規雇用者やホームレスの方々などを含むいわばコートの襟を立てた「寒い孤独」です。
前者も後者もあらわれは異なっても「自己(=個)のレベルでものごとを考え行動する」という本当の意味での孤独を決して肯定しない、出来ないという共通点があります。
何故孤独である事がいけないのか?もっとポジティブな孤独のかたちがあるのではないか?と私は自分なりにずっと考えてきました。ありかたこそ違いますが私も孤独者です。ただなぜ孤独でいるのか?と言えば「人間の尊厳について云々し、それを実践するとなると、好むと好まざるとにかかわらず、その位置まで一旦おのれを引き戻さなくてはならない。孤独を恐れてはならない。(小説家丸山健二氏のツイッター)」という想いに突き当たったからです。いま現在孤独を感じている方々が孤独を必ずしも否定的なものとしてだけ考えず自分と他者を理解し、ひいては尊厳するための出発点としてほしいのです。この想いを皆さんと共有したいということがこの映画を作る引き金になっています。
具体的には私はこの映画の二つの物語のうちの過去(戦時)篇のなかで、訪ねて来る男以外いっさいの社会から隔絶されたひとりの若い女性を描いてみました。そして外部と通底するたった一つの抜け口であるセッチン(旧時代の簡易便器)を設定してみました。セッチンは彼女が過去と対話する窓でもあるのです。
また現代篇では社会的にかなりの成功をしたひとりの老女を描きました。ただし彼女は絶えず自分の過去と今の自分のありかたを闘わせ葛藤し、最後には一つの行動に出るのです。過去篇/現代篇を貫ぬく共通の主題は「孤独と倫理」です。むろんその二つは通底しています。種明かしをせずにこうした説明をすることはどうも<もどかしい>ので、興味を持ってくだされば是非映画をご覧になってください。(脚本/監督:岩名雅記)
老練舞台女優にして人生論の文筆家でもあるT(86歳)は双光旭日章受賞を機会に自分の特別番組放送の為ある放送局のインタビューを受ける。同時にその中で放送されるTをモデルに製作された中編映画「うらぎりひめ」の監修を依頼される。
自分の戦中の経験を綴ったエッセーをもとに作られた映画「うらぎりひめ」に嫌悪を感じたTは、預かったDVDを観ることなく鉄路に投げ捨てる。むろん映画を観なくてもTの脳裏には67年前の記憶が鮮やかによみがえる。
2度目のインタビューの帰途、何時ものように自宅近くの公園で憩うT。何故かTは栄誉ある双光旭日章をポイと傍らのゴミ箱へ。
誰かを待ち続けるT。期待通りというべきか、ほぼ毎夕同時刻にそこを訪れる『誰か』がやってくる。この人物はこの1年間、日本だけでなく世界を震撼させた大事故の首謀犯罪者である。Tにとってこの半年間充分な準備をしてきたその成果が見事に結実する一瞬が訪れたーー。
たましいの孤独という細いが強靭な一本の糸で過去、現在、劇中劇の断片を貫き紡いでいく希有なるモノローグドラマ。
監督・脚本:岩名雅記
1945(昭和20)年2月東京生。‘75年演劇から舞踏世界へ。‘82年全裸/不動/垂立の‘非ダンス’で注目される。‘88年渡仏、現在まで40カ国/100都市で舞踏ソロ公演。‘95年フランス南ノルマンディに拠点をつくり、2004年から映画製作を開始、2007年初監督作品「朱霊たち」の東京上映ではレイトショーとして異例の63%の稼働率をあげる。また同作品は英国ポルトベロ国際映画祭で最優秀映画賞を受賞したほか、ロッテルダム(蘭)、ヒホン(西)、タリン(エストニア)ほか4国際映画祭に公式招待される。第二作「夏の家族」はロッテルダム、ヨーテボリ(スエーデン)ほか4国際映画祭で公式招待。映像舞踏研究所・白踏館主宰。
たうみあきこ(老女T)
大澤由理(若い女)
ななみこうしょう(男)
たむらまさき(過去篇チーフカメラマン)
(前略)と同時に、特に「過去篇」における孤独な身体性を生きることから拡がる豊かさの描写にこそ、孤独であることの充実と豊かさがダイレクトに体現されている。思えば映画そのものであることの豊かさとは、孤独であることの豊かさそのもののことだと思う。
これまでゴダールやブレッソンやドライヤー、ペドロ・コスタやスコリモフスキーのような本物の映画監督は作品のテーマは色々違っても、映画そのものの豊かさとは孤独の豊かさであることをこそ捉え、それを視覚化してきたと思う。
(中略)しかしながらもうそういう瞬間というか豊かさを撮れる映画監督は絶滅寸前な状態だが、岩名監督のこの作品にはそんな映画の豊かさ =孤独の豊かさが溢れているように思う。
つまり孤独の豊かさ=映画の豊かさの体現と同時に、孤独を恐れぬ者の倫理まで描き込まれているような実に得難い稀有な映画を実現している。(後略)
<以上 大口和久氏(批評家)「孤独の豊かさ=映画の豊かさの体現と、孤独を恐れぬ者の倫理」
Princess Betrayal_JA「コメント」より抜粋>
私はつい3週間ほど前に独立映画ネットワーク
「独立映画鍋」の「設立趣旨」の冒頭に書かれているたった一行「——自分の生活、あるいは人生を犠牲にして一本の映画を作り上げるということは、決して美談ではなく、文化の貧困です。——」を読んで眼から鱗が落ちる思いで早速「独立映画鍋」への参加を決めました。
確かに私は2003年に生涯たった一回だけの映画を作ってみようと貧しい我が全財産(900万円)を投入したばかりか母親から600万円の借金、学生時代の仲間を中心に数百人の方から寄付(総計300万円)をいただいて何とか最初の映画「朱霊たち」の撮影までこぎ着けました。このときはまさに自分の行為、母や友人たちの支援を「美談」として正当化したものです。
しかしながらアーティストとして恒常的に映画を作ろうとした第二作からは困難が始まりました。第一作「朱霊たち」は幸いにも日本のドキュメンタリー制作会社が製作の一翼を担ってくださったので文化庁からほぼ製作費全体の半額を助成してもらいました。しかしながら第二作からは前にも後にも自分の映画を支援してくれる人や会社はありません。同じ友人たちに寄付をお願いする事もなかなかたやすくは出来ません。当然の事ながら製作予算を削るということになります。正直に申して第二作「夏の家族」は第一作の7分の1の製作費(500万円)、今回の「うらぎりひめ」に至っては恐らく10分の1(350万円)です。
ロケセットに自宅スタジオを使う、時代ものの衣装は自分の長年の蒐集物で賄うといったところまでは自分を許せるのですが、ことキャストやスタッフに報酬を払えないということになると、これは罪悪です。むろん監督の私は無収入どころか生活費を切り裂いて支払いに充てたので家族にも迷惑をかけています。それでもよく350万円もの金を持っていたな、と思われるでしょうがこれは月々5万円弱の年金と生命保険の解約金の切り崩しです。
こんな悪循環から抜け出すには恐らく三つくらいのオプションがあると思います。第一は映画を作らない事です。ですが当面これは私に出来ません。第二は商売になる映画を作る事。これは私には甚だ難しいのです。商売になる映画作りの上手い方は他に沢山いますし、私にはそのためのノウハウがありません。それ以前にこれは私の願望ではありません。すると第三の道は「独立映画鍋」のようなネットワークで一般の方々にご支援をお願いするしかありません。
その前に文化庁のやっている映画製作支援助成があるだろうといわれるでしょうが、正直に申し上げてお役人たちは映画製作の実情を全く知りません。一つの単位として劇映画5000万円規模の映画を助成対象としていますが、恐らく殆どの映画人は予算の水増しをして申請している筈です。何年か前に第二作目の助成を依頼した時に文化庁の担当者に「映画製作するには何千万、何億とかかるものものですよ」と頭ごなしにいわれました。角川映画や吉本興業じゃあるまいし個人の映画作家が何千万の映画を構想してその何分の一かの助成を受ける等と言う事自体まるで非現実的です。映画作家の大多数を占めるインディーな映画人は数十万から数百万で映画を作っているのが実情です。
確かに(日本のある著名映画プロデューサーが言われたように)「自分で作りたい映画があるなら自分の金で作れ」という言葉に一理はあると思います。実際私はこれまでそうしてきたわけです。然し乍ら私はこの意見に全面的には賛成出来ません。というのは商売にはならなくとも必要な映画はあるだろうということです。私が高校時代を過ごした60年代の前半には日本にアートシアターギルド(ATG)という組織があってもっとも多感な時代に随分精神的な滋養や美意識を享受出来たと思っています。一方でグローバル化と金融資本の闊歩する今という時代に映画までがその渦に巻き込まれているとしたらそれは進歩でもなんでもなく後退です。
私自身の仕事が上に書いたような「商売にならなくとも必要な仕事」であると断言出来るほど私は実力があるわけでもなく、厚顔でもありません。が、少なくとも単なる自己満足ではなくそれを必要とする人(倫理や孤独について考えることで人間の尊厳に触れようとする人びと)に自分の映画を届けたいという意志だけは固く持っています。幸いにも前2作品が連続でロッテルダムの国際映画祭で上映されたおり、有数の映画は大ホールで上映され、私の映画は中小ホールで上映されました。それでも私の映画を映画祭のスタッフ何人かが見守ってくれ、終了後に「あんたの映画こそベストワンだ」と言ってくれたことを今でも自分の誇りにしています。
どうぞ皆様のご理解とご支援を賜わりますよう重ねてお願いします。長文を最後まで読んでくださいまして誠にありがとうございました。(文責:岩名雅記)
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