*制作日誌* vo.2 台本編
vol. 4 2025-11-25 0
はじめまして、「運命代行屋」制作チームのナツノです。
今回は台本について、綴りたいと思います。
運命は、どこまで“つくれる”のだろう?
この作品が生まれたきっかけは、八木監督の「偶然をデザインする物語を撮りたい」というアイデアでした。
偶然だと思っていた出会いが、もし誰かの手によって“そっと仕組まれて”いたとしたら。駅前の人混み、イベントの熱気、すれ違う花屋の配達、焼肉屋の段差、夜の橋の欄干。
映画を作っていると、スクリーンの中で起きることは基本的に誰かの手で作られたものなわけです。その視点は、普段から演出部として無数の段取りをつくり出している八木監督らしい発想だなと思いました。
とはいえ、「運命」を“物語の中でどう紛れ込ませるか」は、脚本段階からずっと試行錯誤が続いていたようです。
ほんの数秒の出来事に、どれだけの「準備」が潜んでいるのか。
物語の最初のほうで、とある雑踏でちょっとした騒動が起こります。にぎやかなイベント、押し寄せる人波。そこに、あるヒーローが割って入ることで、一組の男女の「最初のきっかけ」が生まれます。
台本の中では、その数分間のためにあらゆることが細かく設計されています。
あるキャラクターは、あたかも自然にその場にいますが、「最初からそこに出てきた理由」がちゃんと書かれています。
このシーンは猛暑で撮影時の人数も多く、撮影現場でもいちばんバタバタした場面のひとつでしたが……。
小さな店、小さな会話。そこで揺れる“運命”への距離感。
予告編でも出てきていた小さな花屋。日常の中で誰にでも起こりそうなことのひとつひとつが、登場人物たちの「運命」に対する距離感を浮き彫りにしていきます。
彼らの会話がお互いの核心に触れすぎないギリギリのラインで、物語の“ある後半の場面”とつながってくるのですが、そこはぜひ、本編で確かめてもらえたら嬉しい部分です。
誰かの後悔、誰かの願い。もうひとつの運命の形。
運命代行屋たちは、恋愛の仕掛けだけをやっているわけではありません。予告編にもあるように「逃げてしまった家族に謝りたい」という依頼者のエピソードが織り込まれています。
ここは、台本を読んでいると「なにがこの人たちにとっての正解なのか」が静かに伝わってくるように書かれています。
とても短い言葉、でもそこに辿り着くまでの過程が、ページの余白に詰まっているので、演じる側も観る側も、息をのむシーンになったのではと思っています。
それでも世界は、こじんまりと続いていく
本編が終わったあと、誰か“その後”が、ちょっとだけ描かれます。
こじんまりとした場所で、誰かふらりと現れるラストの小さなシーンです。
観た人それぞれが、「これは偶然なのか、作為なのか」を考えられるような余白が残っています。
運命代行屋が仕掛けたのかどうか、台本には答えが書いてあるのでしょうか。
◆ 台本PDFリターンについて
今回のクラウドファンディングでは、「台本PDF」 をリターンとしてご用意しています。
この台本には、
- 【偶然】と【作為】が見え隠れする小さな仕掛け
- 花やジム、屋上、焼肉屋など、具体的な場所を活かした演出指示
- キャラクターたちの、言葉にならない間まで書き込んだト書き
など、映像だけではすべては見えない部分がたくさん詰まっています。
映画を観る前に読むと、「あのシーンはこう撮るのかな?」と想像する楽しみがあり、映画を観たあとに読むと、「あの一言には、こんな意図があったのか」ともう一度物語をほどいていく楽しみがあります。
もし「運命」や「偶然」という言葉に、少しでもざらっとした感触を覚えたことがある方がいたらその違和感ごと受け止めてくれる台本になっていると思います。
ぜひ、台本PDFのリターンで、この作品の“裏側の設計図”を覗いてみていただけたら嬉しいです。
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