双子ちゃんたちのパパ その5
vol. 19 2015-04-28 0
男の子と女の子。かうも違ふのかと思ふのは、子供たちと接してゐるときの、その関係性を包む、私自身の追体験的な感情だ。
男の子の子育てでは、自分自身の追体験的な感情がそのまま二重性をもって包む。自分自身の子供の頃を追体験するのだが、女の子の子育てはどうもさうではないやうだということが、双子ちゃんたち、双子の女の子たちのパパになって初めて分かった。
それは、自分自身の幼児期を女となって新しく体験し直すことになる。自分自身の女性性を極限にまで広げて、仮構の幼児期を生き直すことになることのやうだ。
男の子も、女の子も、子供はみんな可愛いが、その可愛さとは、その可愛さの根源にあるものは、私たちひとりひとりのなかにある男性性と女性性の配分の問題なのだ。
そしてまた、ひとりの人間のなかには、幼児と少年・少女、成人、老人、すべてが同時に存在してゐて、揺れてゐる。その根源にあるのが魂といふものだらう。
言葉で思考していくと、どうしてもまどろっこしく、何を言ってゐるのか自分でも分からなくなるが、それが映像を通して直接的に、直感的にどこまで表現できるのか、といふことを意識しながら、私はカメラを回してゐる。
『双子の星』を、私たち自身がひとりでも、男性と女性を携えた双子なのかもしれないといふことが基層にあるやうな、そんな問いかけをもった映画にしたいと考へてゐる。