『出停記念日』感想が寄せられました!
vol. 13 2020-07-09 0
残り10日を切りました、当クラウドファンディング。おかげさまで達成率170%を突破しました!次々コレクターになってくれる方が現れ、まもなく100人を越えそうです。本当に驚きです。そして、深く感謝します!
先日の『出停記念日』一般公演の感想が劇団に寄せられました。
昨年『私たちが機械だった頃』を共同で創作した、北海道大学CoSTEPの種村剛さんからです。
我々が今回の演出に込めた想いを受け止めてくださっている、ありがたい文章でした。
終演後のご紹介となってしまいましたが、
ぜひ公開されてる舞台映像と合わせてお読み下さい。
https://www.youtube.com/watch?v=91i68SCPVXo&feature=youtu.be
種村さん、ありがとうございます!
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舞台上で、役が入れ替わっていく。このような演出の舞台は初観劇だった。役の切り替えは、演劇にリズムとよい緊張感を生み出していたように思った。役者が変わると登場人物の造形や印象も変わっていく。5人の登場人物を8人の役者が演じ分けるならば、40通りの表現が生まれることになる。それは、舞台上をにぎやかにしていた。
さて、この演劇の一つの見所が「変化」であるならば「変化する」とはどういうことなのだろうか。今とさっきは違っていることに、変化を感じることができるとするならば「変化する」ことは成長するということだ。この物語は、ある登場人物の成長のストーリーでもある。舞台の上で彼女の内面は変わっていく。今の彼女はさっきみた彼女とは違っている。彼女の成長は、演じる役者が入れ替わることで生じる変化と同期して、自然に感じることができた。
そして「変化する」ことの一つは、対比して比較することだ。この脚本には、いくつもの対比の関係がある。学校祭の前と後、高校生と大人、そして、ここに残された者と向こうへ行ってしまった者。今ここにいることと、今ここにいないことの根本的な違いが対比され明らかにされることから「変化」が生じるのかもしれない。
終盤のシーンでは、今ここにいる者が、今いない者もまたどこかに「いる」こと可能にしていることを暗示する一方で、登場人物が一人、また一人と舞台から降りて「向こう」へゆく。ここで明らかになることは、一見矛盾するようではあるが「変化する」ことは「変化しない」ことが支えているということだ。不動の基準点があるからこそ、変化が浮かび上がる。舞台上に在り続けるものは二つある。一つは、教室の空間だ。登場人物が入れ替わり立ち替わりしても存在する空間の不変性が、ZOOMのリーディング公演と本番の印象を大きく変えた理由の一つなのではないだろうか。そしてもう一つの在り続けるものについては、実際に劇場に足を運んで、ラストシーンの美しい照明の下で観ていただくと良いかと思う。
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