応援コメントをいただきました!その4
vol. 12 2020-07-06 0
弦巻楽団『出停記念日』は、無事に7月4日終演いたしました。
お客様はじめ、激情、関係者一同のご協力のもと、問題なく幕を閉じることができました。
客席数を絞っての公演でしたが、全ステージ満席で迎えることができました。ありがとうございます。このあと、『出停記念日』は9月の芸術鑑賞公演に向けて力を蓄えます。
引き続き、応援していただけると嬉しいです。
達成率160%が見えてきたクラウドファンディングにも、新たに応援コメントをいただきました!
昨年演技講座、戯曲講座両方を受講してくれたシノさんと、
2014年度の演技講座に参加、その後、年を隔てながらも継続して戯曲講座を受講している小塩さんのお二人からです。
社会人として本業を持ちながら講座に通ってくれたお二人は、弦巻楽団の「講座」に対する思いを語ってくれました。
シノ ※2019年度演技講座「秋の大文化祭!」より
弦巻楽団の演技講座はとても敷居の低い場所です。演劇に触れたいという気持ちさえあれば誰でもフラッと来て、フラッと帰れます。上下関係や主従関係はありません。あるのはフラットな関係です。
フラッと集まったメンバーがフラットに一つの作品を創り世に送り出す。そしてフラッと帰っていく。ここでしかできない経験があります。学びがあります。とても豊かで貴いです。
このような場所を末長く存続させるために、弦巻楽団の活動を継続的に応援/支援していきたいです。
小塩大輔 (高校教諭) ※2014年度演技講座発表公演より
場が生みだすもの
弦巻楽団の戯曲講座に何度か参加させてもらうなかで、創作の過程そのものについて何度か考えることがあった。作品とは「創造力に満ち溢れた作家が何もないところから物語を紡ぎ出し、それに共感した優れた役者が集まって素晴らしい芝居が出来上がり、劇場という場で目の肥えた観衆と共有される」ものだと普通は考える。確かに、そういうこともあるかもしれない。しかし、実際に講座で自分も戯曲を書くという経験をしてみて実感したのは、「読んでくれる人がいて、それには締め切りがある、だから書く」という泥臭い現実だった。月に2回集まって書いたものを読んでくれる他者がいるかいないか、そんな小さなことが自らの創造力の有無に大きな影響を与えることを痛感した。
おそらく、ほとんどの芝居も「公演が決まってしまった、そのために役者を集めてしまった、だから書かざるを得ない」という俗っぽい過程を経て作られてきたに違いない。さらに言えば、この一見逆説的なプロセスというのは、1度の創作で完結する線分なのではなく、終わりのない円環、あるいは上に向かっていく螺旋になっていて、それが繰り返されるうちに「目の肥えた観衆」が、そして「優れた役者が」、最後に「創造力に満ち溢れた作家」が生まれてくるに違いない。螺旋だからどこが最初で最後かは規定できないのだけれど。
「創造力に満ち溢れた作家」が創作の主体だと考えるならば、公演というものは結果でしかなく、そこに中断があろうが、大きな問題はない。だけれども、「発表の場」こそが創造の主体であって、その場が支えている大きな螺旋の中に私たちそれぞれがいて、そのつながりや連なりこそが創作そのものなのだとしたら、中断は停滞を意味する。経済的観点からは理屈の通らない公演を実施してゆく意義というのは、過去から未来へのつながりの中でこそ評価されるはずだろう。弦巻楽団の戯曲講座を通して私が骨身にしみて知ったように、私たちは「見てくれる人がいないと創れない」生き物なのだから。
シノさん、小塩さん、ありがとうございます!